作家のタイプ

カクヨム近況ノートのやり取りより。

最近、自分の物書きとしてのあり方をまた考えるようになったのですが、物書きには二つのタイプがあるんだと思います。
一つはとにかく書くのが好き、話を作るのが好きで、読者を楽しませることに喜びを感じるタイプ。
こちらは流行に合わせて柔軟に話を作ることができ、文章術やストーリー手法の学習意欲も旺盛。力がつけば面白い作品を量産できるので、プロ作家になりやすい。(特に作品が多いことは新人賞でかなり有利)
そしてもう一つは、書きたいものがすでにあって、それを(自分の納得できる)形にしたいタイプ。
はい、私です笑
「この作品じゃなきゃダメ」という気持ちがあり、自分の気持ちと乖離した作品を書いて仮に書籍化したとしても、多分あまり嬉しくないです。
本命を至高の作品に仕上げたいという一心で続けてきたので、「小説家になりたい」とはちょっと違います。より多くの人に読まれるためには、やはり書籍化(それも有名誌での漫画化まで)を目指さなければなりませんが。
前者のようなやり方で書籍化作品を出してから、肩書きを利用して本命を売り込むのが正解なのかな……とは思います。
ただ、書きたくない作品を書くのは自分の気持ち的にどうなのか……徒労に終わるかもしれないし、そんな時間あったら先に書きたい方を仕上げてしまいたい……という葛藤で身動きが取れない状態です。

追記

元々、読み手としてもかなりの偏食で、プロの作品でもほとんど読める作品がありません。そんな中で私の心を動かすのは、決まって後者の作品でした。

後者は流行と無縁な分、作者が描きたいものをひたすら突き詰めたものに仕上がります。なので時代や流行が移り変わっても、良くも悪くも魅力は変わりません。

プロとしてやって行くには難易度は高いですが、不朽の名作を生み出すポテンシャルは後者の方が高いのではないでしょうか。

新人賞の振り返り/予告

昨日、「集英社ライトノベル新人賞」の二次選考結果が発表されました。
ブログ限定で公開していた『パルテミラ』での応募でしたが、結果は残念ながら二次選考落ちです。
今までは長編一本しか書いておらず、新人賞に応募することさえできなかったので、初めて土俵に立てたという点では大きな進歩ではあります。
ただ……進歩と言えば進歩なのですが、これから先どうしていけばいいのか、途方に暮れているのが実際の所です。
『パルテミラ』は自分の人生経験や思想、溜め込んでいた歴史上の小ネタ、4年分の執筆経験……まさに持てるものすべてを注ぎ込んだ渾身の力作でした。狙って書けるものではありません。自分の書きたかったものを書いて、たまたま応募に適した中編にまとまっただけの話です。
なので、「よし次!」とはならないんです。
書きたい話があるから書いているわけであって、プロ作家になるために書くというのは私のやり方ではありません。
なので次に『パルテミラ』のような応募できる形の作品を書くのは、『宝永の乱』を差し置いても書きたい話ができてからになるでしょう。
(しかし未完の長編を延々と書いていても、プロへの道が遠ざかるばかりなのもまた事実……)
この性格は、やはりプロ作家には向いていないようです笑
でも創作に没頭する時間を確保するためには、やはり書籍化して収入を得るのが一番ですから、プロ作家にはなりたいんです。贅沢な話ですが。
現時点で、その唯一の希望が『パルテミラ』でした。
まあ、他の賞にも回せるので、あまり落ち込みすぎることはないのですが、やはり悔しい……
フリーターになってまで、短期決戦のつもりで創作活動に励んでいましたが、この敗北でいよいよ方針転換を考えなければならなくなりました。

Twitterでも少し書きましたが、特殊な書き方や主人公の癖の強さが仇になったようです。プロローグとエピローグだけ三人称だったり、ベテルギウスの地の文が誤解を招いたり(ベテルギウス命名の技名がぞろぞろ出てきた部分……あれ、ネタだって気付いてもらえなかったようです笑)
本当に、「え? そんなこと?」と思うような指摘しかなく、それ以外はありがたい言葉ばかりで……作品へのダメージは皆無なのに、落選のショックが……

結果は残念でしたが、今回応募した賞はかなり好感触でした。特に気に入った点が二点ありまして、
まず募集要項に「応募作品の著作権は応募者に帰属します」って書いてあったこと。細かいことですが、こうもはっきり書いてくれると、安心して応募できます。
実際は他の賞も著作権は尊重してくれると思いますが、「版権は出版社に帰属します」って書いてあるものしか見たことがなかったので、地味にモヤモヤしていました。
そしてもう一つが、一次選考通過作品は希望すれば評価シートが送られるということ。
落選しても、選考担当者視点の評価が見れるのはありがたいです。

今回の応募で、新人賞にかなり可能性を感じました。
二次選考を突破して残ったのが30作。ネット小説サイトで埋もれる率を考えれば、比べ物にならないくらいチャンスがあります。
また今回のは募集要項を見た感じだと、選考担当者は恐らく各段階で一人(最終選考は複数人)。相性次第では全然あり得るんじゃないかと思います。
応募できる作品が複数あれば、どれだけ心強いことか……

【予告】
ブログ限定で公開していた『パルテミラ』を、近日中にカクヨムでも公開しようと思います。一話あたりの字数が多いので、ところどころ分割しての投稿になるかと思います。
これからもよろしくお願いいたします!

『宝永の乱』第二部公開のお知らせ

カクヨムにて『宝永の乱』の連載を再開しました。
第二部開始です!
漫画化作業と並行しての執筆になるので、更新はかなり遅くなりますが、お付き合いいただければと思います。

なお『パルテミラ』については、新人賞の結果が出てからカクヨムで連載する予定です。このままブログのみになる可能性もありますが。

『宝永の乱』再開にあたって思うこと~作家である以前に思想家であれ~

※今日はちょっとデリケートな話になります。控えめに書きますが、苦手な方はスルーしちゃってください。

 

     *  *  *

『宝永の乱』第一部の十四話で、鵺丸のこんな台詞があります。
「たとえ世の為だとしても、侵蝕人を虐げてよいはずがない。彼らの犠牲を当然だと思っているこの世を、儂は変えたいのだ」

最近、この言葉がよく思い起こされます。
というのも、今まさに、世界中でこれに近いことが起きているからです。
人権が尊重されている現代で、こんなことが起きていることが信じられません。
公共の福祉を盾に、人の生命権すら踏みにじるようなことが、あろうことか民主主義国家で起きています。
幸いにも日本は、それはいけないと政府が公言してくれていますが……
世界中でこんな流れになっていることには、ショックを通り越して憤りすら感じています。
公共の福祉のために我慢しなければいけないことがあるのは分かります。しかし生命に関わるところだけは、公共の福祉であっても決して侵してはならない領域だと私は考えています。
たとえそれで救われる命があったとしても、体を差し出せというのはおかしいです。

言いたいことは山ほどありますが、この辺にしておきます。
本来ここで話すべきことではないと思うので、かなり遠回しな書き方をしました。分かりづらくてすみません。
ですが、分かる人には分かってもらえたかと思います。

私は今世の中で起きていることを、『宝永の乱』に重ねています。
いろいろと激しい感情が渦巻いています。
でも、それがむしろモチベーションになっているところがあります。
こんな世の中だからこそ、なおのこと『宝永の乱』を書く価値があると。

     *  *  *

以上、デリケートな話でした。

作家が自分の政治的立場や社会思想を打ち明けることは、結構リスクのあることだと思います。
炎上はまだいいとして、作品にまで批判が及ぶのが作家としては一番怖い。

でも、作品には少なからず作者の思想が反映されるものだと思いますし(特に歴史系は)、その方が作品に深みが出るのではないかとも思います。
私がここに書いた考えも、『宝永の乱』に反映されていることなので(まさか現実になるとは思っていませんでしたが)、今日は思い切って書いてみました。

私の書く作品って、結構自分の思想や経験が強く反映されています。
ずっと前に漫画のネーム(今思えば、スッカラカンな内容でした。ページ数を守ることしか頭になかった)を出版社に持ち込んだことがあって、その時に「なにかテーマ性を持たせるといい」と言われました。
ただそれだけなんですが、それから結構意識するようになりました。
それまでの『宝永の乱』は世界観しか見どころがなく、侵蝕にも深い意味はありませんでした(あんまり覚えてないけど)。
それが「侵蝕人を救う」というテーマを得たことによって、ようやく本物の作品になったと思っています。
別に、無理にテーマ性を持たせなくても、面白ければいいとは思いますが――単なる娯楽で終わらせたくないという気持ちが、今はあります。
物語が書かずにいられないのと一緒で、心の中にしまっておけない気持ちや考えが、やっぱりあるんです。だから物語に組み込んで表現する。
そして読者が共感したり、考えたりするきっかけになれば、作品を作った甲斐があるというものです。
(パルテミラなんかは、世界観と思想が上手く絡み合って物語にまとまった感じで、その意味でも大満足の作品でした)
いつからか、私は自分にこう言い聞かせるようになりました。

作家である以前に、思想家であれ――

活動報告/今後の展望~漫画原作者改め~

ご無沙汰です!
ここ一年近く、中編小説『パルテミラ~砂漠の妖精帝国~』の執筆に集中するため、カクヨムでの執筆活動はお休みしておりました。このほど、パルテミラが完結いたしましたので、ご報告申し上げます!
『パルテミラ~砂漠の妖精帝国~』はブログの方で掲載しております。
カクヨムでの連載はあと半年ほどお待ちください。一応新人賞の結果を待ってからにしたいので(長い……)。

さて、気分転換(一年間……)の小説が完結したので、メインだった『宝永の乱』の執筆に戻りたいところですが、これまでと大きく変わるところがありまして、
「漫画原作者」の肩書きは今日で捨てることにします。
そしてこれからは「漫画家」(時々小説家……)として活動していきたいと思います。

元々、『宝永の乱』は漫画にしたくて作り始めたもので、これまでは「漫画だと後々修正が大変そう」「今から練習しても漫画家にはなれない」などという理由で、自分で漫画にすることをためらっていました。
その代わりに2016年から4年間、小説として書いてきましたが、元々文章を書くのは大の苦手で、今でも執筆が思うように進みません。『パルテミラ』の執筆で、ようやく書くことの楽しさを覚えたところではありますが、やはり筆力には限界を感じております。
なのでこれからは、『宝永の乱』を漫画として描いていきたいと思います。絵を描くことは好きなので、時間を掛けてでも、下手でもいいので、とにかく漫画として描いてみようと思います。

漫画って、連載の中で後付け設定が出てきたり、矛盾が出てきたり、当初の予定を変更したりということが結構多いですよね。でもそれは暗黙の了解みたいなもので、「面白ければいい」というのが実際のところだと思います(度が過ぎれば面白さ半減ですけどね)。
なので自分も、史実(小説版)をもとにした漫画という体で、細かいことを気にせずに「面白さ」に重点を置いていこうかなと。
そしたら「修正しなきゃ」という気も起きないでしょうから、漫画を描かない理由がなくなります。画力は、何とかなる気がする……笑

まったく小説を書かなくなるわけではないので、そこはご安心ください。噴煙シリーズの短編や中編をたまに書くかもしれません。
『宝永の乱』の方も、漫画にするための「下書き」くらいの開き直った気持ちで書くつもりではいます(意外とその方がいい文章がすらすら書けるかも……?)。
漫画で長編、小説で短編・中編って感じかな……詳しいことはまだ決まっていませんが、とりあえず『パルテミラ』の表紙イラスト、四コマ漫画で絵のリハビリして、まずはそこからですね。

【追記】
実は『パルテミラ』が完結したあたりから、家庭環境が急激に悪化しています。ちょうど創作活動がひと段落したところで、生活を立て直すべき時が来たようです。
家の中に「人がいる」と感じると、どうも落ち着きません。このままだと、今の家にはいられなくなるかもしれません。そろそろ引っ越しも視野に入れないと……

噴煙シリーズ

(カクヨム近況ノートより)

ブログで先行公開中の『パルテミラ』ですが、ストックが無くなりそうなので、次回更新は少し遅くなるかもしれません(いつの間にか、隔週で更新してましたね)。
最終話まで書き上げてからがいいのかもしれませんが、早く公開したい気持ちもあるので、二、三話分書き溜めてからにする予定です。

【噴煙シリーズ】
当初は、漫画原作の『宝永の乱』に作家人生を捧げるつもりでいました。
それが今は、完結作品を持たないとヤバイ……ということで、中編のスピンオフ作品を書き始めています。(しかも本編との関連性が比較的薄い……)
方針は変わったのでしょうか?
変わるには変わりました。でもよくよく考えたら、ただスケールが大きくなっただけなんですよね笑

『宝永の乱』の構想を膨らませていく中で、それと対になるもう一つの長編の物語が徐々に形を持つようになりました。
まだ詳しいことは話せません(そもそもまだ構想途中だし)が、『宝永の乱』を妖峰戦記と呼ぶならば、それは魔峰戦記です。
この魔峰戦記のスピンオフが、『パルテミラ』なのです(実は作中に、チラリと魔峰戦記について触れている場面が)。

つまり、私の新しい方針は、
「妖峰戦記と魔峰戦記――二つの大長編と、その世界観を引き継いだ作品群に、作家人生を捧げる」
ということになります。

果たして完結するのだろうか。
特に魔峰戦記の方は、幻の作品と化しそう……笑

これらの作品群は「噴煙シリーズ」と心の中で呼んでいました。とりあえず、そのままで呼ぶことにします。

創作とゲーム

(カクヨム近況ノートより)

ここ一ヶ月くらいの間、ゲーム中毒で執筆が滞っていました(なにやってんだか……)。
五年近くも細々と続けていたゲームがサービス終了して、その穴埋めにと始めたものでした。
ローマをテーマにしたシミュレーションゲームで、パルテミラのモデルになった国も出てきます(昔っからゲームをやり出すと止まらないので、時間が掛かるもの、ハマり過ぎるものは避けてきましたが、こういった自分の作品と関連性のあるものは許容しています)。
先月からアプリ制限の機能で抑え込もうとしたのですが、制限を破って続けてしまう有様で、昨日完全クリアが叶い、ようやく衝動がなくなったところです(他のモードもありますが、おまけみたいなものなのでゆっくり遊べるはず)。

新作開始で勢いに乗っていた時期でのこれは、なかなかの大惨事だと思います。
でもこれまでを振り返れば、ゲームはそれ以上の恩恵を、私の創作活動にもたらしています。
『宝永の乱』は、高校生時代に熱中した和風ダークファンタジーゲームの影響を、『ナルト』に負けないぐらい受けていますし、
去年までの一年間ハマっていた放置系RPGは、パルテミラの世界観構築に一役買っています。ベテルギウスの語り口も、ゲーム内チャットでジョークを言っているうちに醸成されたものだと思います。さらに去年、友達に誘われて始めたゲームは、ジェロブとエミールのキャラデザの元になっていたり……

とは言え、執筆に集中できなくては本末転倒ですね。
もっといいやり方はあるかもしれませんが、中毒に陥ってしまった時、私は納得が行くまでやることで衝動を抑えるようにしています(あるいは、やるメリットがないと言い聞かせてアプリを消す)。モヤモヤしながら小説を書いても、やっつけ仕事になってしまいそうなので。
今回、無事にこの段階まで持って行くことができました。
これからは本腰入れて書いて行きたいです。
ちょうど先月、仕事を一つ辞めたので、これからはその時間に絵を描いて、他で小説を書くスタイルでやっていこうと思います。

あ、でも今月中旬までは本業が繁忙期だ(今の仕事は楽しいからいいんだけど)。

 

文脈を作らない書き方/新作公開のお知らせ

御無沙汰です!
現在、新作の第五章(一章=一話で書いています)が終盤に差し掛かったところですが、書き始めてから一ヶ月くらい掛かってしまっています。計画的二度寝作戦(早く寝て、深夜に起きて、目標分まで書いて寝る!笑)でなんとか詰まっていた場面を切り抜けました。

遅筆を改善するために、最近は主に生活習慣を見直しているところですが、書き方についてもまた少し思うところがあったので、今日はそれを書きます。

【文脈を作らない書き方】
文章を書いていて、いざ読み返してみると「なんか違うな」と思うことがあります。
文法がおかしいわけでもない。単調なわけでもない。延々と悩んで書いては消して、それが原因で書くのが嫌になってしまうことが、結構多いように感じます(違和感があってもとにかく書き進めるやり方がよく推奨されていますが、私の場合は全部書き直す羽目になりそうで……笑)。
そこで思いついた対処法が、地の文に「文脈を作らない」ことです。
私の場合、書きたいことを無理に詰め込もうとするので、文脈に歪みが生じるのだと思います。
ならば最初から文脈がなければいいじゃないか、というわけです。
「文脈を作らない」なんて、そんなことできるのかと思われるでしょうが……例えば漫画なんかは文脈がなくても成立しています。つまり、漫画で表現できること――情景描写に絞って書くということです。

実はこれ、以前二回にわたって話した「情緒的な文章」なんじゃないかと思います。
情緒的な文章は理路整然としているわけではないけれど、余計なことに頭を使わなくていい分、心地良く感じる――なんてことを書きましたね。
文脈を生まない、絵的に表現できる文章は「ふ~ん」で流せますが、
そうでない――思考や知識が絡んだ文章が出てくると、読者はそれが出てきた意味を考えます。なのに意味を持たせないままにしてしまうと、もやもやが残り、違和感となるでしょう。作者としてはその一文を書きたかっただけで、これといった意味はないのですが笑
どうしても書きたければ、会話文にさりげなく入れたり、地の文に入れるならちゃんと話の中での意味を持たせるか、ただの豆知識だよと分かる形にする必要があるかと思います。

「文脈を作らない」書き方は、文章の美醜を問わなければすらすら書けてしまいます。
特に新作の場合は一人称なので、多少は雑に書けます。むしろそれが主人公の魅力を引き立たせることも。
もちろん文脈を作るところは作ります。書き出しなんかは特に、状況説明や豆知識から入ると読者も物語に入りやすいと思います。作者からすれば、書き出しは書き損ねた豆知識を書くチャンスでもあるかと(前後の繋がりをほぼ無視できるから)。要はバランスですね。

ということで、詰まった時は「文脈を作らない」書き方を意識してみようかと思います。
なんだか一人称を書くようになってから、いわゆる「情緒的な文章」を書く頻度がかなり多くなった気がします。『宝永の乱』に戻った時、どうなるんだろうか。

【新作公開のお知らせ】
個人ブログ『幻想歴史資料館~ナマオの館~』にて、プロローグまでを公開しました(と言っても、プロローグはすでに近況ノートで公開してますがね笑)。
本当なら第六章まで書き上げてから公開する予定でしたが、これ以上遅らせるわけにもいかないので、とりあえず。
まあ二月中に第六章が書き上がれば、予定通りと言えなくもない。

パルテミラ~麗しの女帝国~【予告編(プロローグ)】

 *著者――ポカフォフ(プロセイン王国)

 プリニウス暦一一九七年。蒙句麗帝国が、アルケサス朝の首都テシオンに侵攻した。
 当時世界の四分の一を支配していた超大国が、史上最大規模の兵力で行った攻囲戦である。テシオンは二週間足らずで陥落し、なだれ込んだ蒙句麗兵により、市街は破壊と殺戮の嵐にさらされた。百万とも言われた市民は死に絶え、神殿、礼拝堂、学校、図書館……先祖代々受け継がれてきたあらゆる建造物、文化財が灰燼と化した――

 かつてこの地には偉大な帝国があった。
 パルテミラ帝国――大陸の東西を結ぶ絹の道に跨る砂漠の大国である。大陸各地からさまざまな交易品、文化がもたらされ、最盛期には大ローマ帝国に並ぶほどの栄華を誇ったという。
 帝都テシオンは世界で最も先進的な都市の一つであり、学術、芸術、信仰の中心地として栄えた。一定の年齢に達した市民は学校に通い、優れた成績を収めた者は、さらに宮廷図書館で学術や魔法の研究に励んだ。聖殿には少年達の美声が木霊し、劇場には連日のように定員を超える観客が押し寄せた。
 しかしやはり、パルテミラが歴史上の他のどの国とも決定的に違うのは、女性が絶大な力を持っていたという点であろう。帝位は代々女系で継承され、国政は主として女性が司り、軍事においても、主戦力は女の戦士であった。
 残念なことに、テシオンの貴重な史料が焼失した今となっては、パルテミラ史のほとんどは、各地に散在する僅かな史料と外国の記録からでしか、うかがい知ることができない。
 だがここにひとつ、興味深いものがある。
 大ローマ帝国のパルテミラ遠征に参加していた将軍――ベテルギウスが書き残した手記である。
 二五年のカルデアの戦いから、同年セルキヤの戦いまでの短い期間ではあるが、最盛期のパルテミラ帝国内部の様子が、この書には詳細に記されている。

 そして物語の始まりは、カルデアの戦い前夜から―― 

 

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『パルテミラ~麗しの女帝国~』
異国に恋した将軍が綴る物語――神秘と哀愁漂うオリエンタル・ファンタジー

2021年2月頃~ブログにて連載開始予定!

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どうも、ご無沙汰しております!
現在制作中の新作、いつチラ見せしようかと迷っておりましたが、今日はクリスマスということで、プロローグだけこちらに載せてみました。
本編はブログにて、遅くとも来年二月中には公開しようと考えています(いろいろ賞に応募したいので、カクヨムでの公開は当分控えておくつもりです)。

これまで大長編の『宝永の乱』一本でやっていましたが、このまま完結作品を持たないままではまずいと思い、第二部執筆開始までの休載期間を使って、本作を書くこととなりました。
執筆歴4年半目にして、初めての一人称です。
なんだかんだ言って、小説を書くきっかけとなった作品は一人称だったので、実は一人称の方が相性がいいのかもしれません。
ゲームをする時とかは、自作のキャラクターになりきって他のプレイヤーと交流することが多いので、それに近いノリで書いているような気がします。
相変わらず遅筆ですが、文章を書くのがこれほど楽しいと思ったことはありません。

さて、プロローグからも分かるように、本作はかなり変則的です。
最初から狙っていたわけではありませんが、結果的にいろんなことに挑戦しています。
冒頭からバッドエンドだったり、一人称なのにプロローグは三人称だったり、それから主人公が頭おかし……
執筆を始める直前まで、自分でもこんな作品になるとは思っていませんでした。『宝永の乱』と同じ世界線の物語ではありますが、それを読み続けて下さっている方でも、好みが分かれるかと思います。
しかしハマる人にはハマるはず。
長い付き合いなのに申し訳ないけど、正直私は『宝永の乱』より好きです。

どうぞご期待ください!
(ハードル上がったのか下がったのか分からぬ……笑)

ネット小説にプロローグは必要か

※カクヨムの近況ノートでの交流で書いたものに少し書き足した内容となっています。

 

だいぶ前のことですが、プロローグ不要論なるものを見たことがありました。「プロローグがある作品は駄作」とでも言わんばかりの強い論調だったような気がします。

私が見たのはかなり極端なものでしたが、やはりプロローグはない方がいいといった意見は、少なからずあるようです。理由としては、「内容がない」「本編との繋がりが薄いから読む必要がない」「せっかく物語に入り込んだと思ったら、第1話でまた新しいのが始まって……疲れる」などがあるようです。

そう言えば、『宝永の乱』をカクヨムに投稿したての頃は、なぜかプロローグがすっ飛ばされる現象が起きていました(PV数が第1話の方が全然多いという……)。

『宝永の乱』はプロローグを読まないと内容が分からない構成にしているので、プロローグはほぼ必須だったんですよね。それをすっ飛ばしていきなり第1話を読んで、「なにこれ分からない」と離脱されてはたまったものじゃないです。今は第1章の方に移した効果があったのか、ちゃんと第1話より多く読まれるようになりましたが。

 

私は「プロローグは必要」派です。

無理に入れなくてもいいんですけどね。必要だと思えば入れればいいんです。

そもそも、「内容がない」「本編との繋がりが薄いから読む必要がない」だのって、そんなのは作品によるじゃないですか。そんなしょうもない先入観でプロローグをすっ飛ばすのは、読者にとってもなに一ついいことはないと思います。

プロローグには、その作品の世界観を掴んで自分に合っているかを見定める大事な役割があると、個人的には思います。たいていは字数が少ないので、気軽に読めます。これが読者にとってのメリットです。

漫画でも、ファンタジーや歴史ジャンルの作品は、扉絵の前にプロローグ的なものが入ることが多いですよね。ページ数の都合で第1話に含まれてはいますが、内容的には区切ることもできるはずです。

作者にとってのプロローグを書くメリットは、迷っている人に「まあプロローグくらいなら読んでみよっか」と思わせられることではないでしょうか。

いきなり第1話だと、どこまで読めばその作品の世界観を掴めるのか検討がつかず、自分ならためらってしまいます。第1話で掴めればまだいいけど、第2話、第3話まで読まないと分からないものも……そして迷った末に読んでみて、合わないと感じた時には、まあまあな時間を消費しているわけです。内容的な区切りが悪いところで離脱したら、モヤッとしますよね。

対して、プロローグは1000字すら行かないものもチラホラ。プロローグだけ読んで「合わない」と離脱しても2分程度。内容の区切りも良いので、読後感はスッキリです。「ふ~ん、いいじゃん」と応援ボタンを押す余裕もあるでしょう。

 

プロがやってるから「なんとな〜く」入れるプロローグはともかく、

「世界観を手軽に掴んでもらう」などといった、目的を持って書かれたプロローグは、プラスになるのではないでしょうか。