第3章:妖精たちの饗宴

 意識が朦朧とする中で、優しく囁きかけるような、どこか懐かしくも感じられる歌声が、かすかに聴こえてきた。
 何重にも重なり合った、透き通るような綺麗な高音。
 オレはその歌声に身を委ね、しばらくの間、自分がどこでなにをしていたのかすら忘れていた。
 ああ、そういや……オレは死んだんだっけな。
 じゃあこれは、天国から迎えに来た天使たちの歌声だ。
 魂が、あるべき場所に還ろうとしている。聴いているうちに、そんな安らかな気分にさせられる。
 オレの体がだんだん消えていく……透明になって消えていく……
 残された仲間たちは、どうなったのだろうか。
 あの状況じゃ、とても生き残れないだろう。
 ごめんな……勝利に導くことができなくて……
 そしてありがとな……こんなオレなんかについて来てくれて……一足先に、天国で待ってるぜ……
 さあ天使たちよ、オレを連れて行ってくれ。
 え? その前に懺悔もしておけだって?
 それじゃあ、一つだけ。
 ソグナトゥス先生。あなたの胸筋大魔王というあだ名は、オレが付けました。もう何年も前のことだけど、すみませんでした。
 そうして、オレは優しい歌声に包まれながら、永遠の眠りへと落ちた……

 オレを永遠の眠りから呼び覚ましたのは、天国にいるとは思えないような気だるさと、悪魔の揺り籠にでも乗せられたような、激しい揺れだった。
 ここは……どこだ?
 重い瞼を開けた時、最初に目に入ったのは、背中に大きなコブのある、変な顔の動物。
 オレは手足を縛られた状態で、そのコブの上に積まれていた。
 前の方でも、同じ動物が列をなして歩いている。
 辺りは真っ暗闇だったが、ぼんやりとした青い光が、列を左右から照らしていた。
 ふと、人の気配を感じ、上体を起こす。
「!」
 そこにいたのは、オレが最後に戦った、あの髭の生えた女騎士だった。
 だが今は、あの奇妙な兜はなく、その下の秀麗な顔が露わになっていた。
 顔の半分を隠す、銀色の髪。夜空を切り裂くような鋭い眼からは、強い生命力と知性が感じられ、細長く整った口髭が貫録を添えている。
 兜の上からでは、どんな顔なのか想像もつかなかったが……そうか、オレはこいつにやられたんだな。不思議と納得してしまった。
 そしてこの状況……思い出したぞ。
 この変な動物は確か、駱駝ラクダだ。クラウススが言っていた。パルテミラの前にあった王国――パルミュラが主に物資の輸送に使っていた動物だと。
 戦はもうとっくに終わっていて、オレは捕虜として連れて行かれてるってところか。
「よう、ヴェルダアースと言ったな」オレは髭の騎士に話しかけてみた。「教えてくれないか? 戦はどうなったんだ? これはどこに行こうとしている?」
「………」
 ヴェルダアースは馬にまたがったまま、行く手を見つめるばかりで、なにも言わない。
 言葉は通じるはずなのだが……あの時も、トラキヤ語の誰何にはっきり答えていたし。
 他にやることもなかったから、オレはとりあえず上体反らしを始めた。
 手足を縛られた状態ではそれくらいしかできないが、いついかなる時でも肉体鍛錬を怠らないオレは、まさにスパルタ戦士の鏡だった。
 怪訝そうな顔をして、ようやくヴェルダアースが口を開いたのは、五十も数えてからのことだった。
「なにをしている……?」
「なにって……背筋を鍛えているのさ」
「………」
「なあ、教えてくれよ。オレの部下はどうなった? それだけでも……」
「侵略者に教えてやる義理はない。おとなしくそこで寝ていろ」
 ごもっともで……返す言葉もない。
 本来なら、殺されていて当然の身だ。ローマ人だろうがスパルタクス人だろうが、相手にとってはただの侵略者。今はパルテミラ側の都合で生かされているに過ぎない。
「でも、名前は教えてくれたんだな」
「それが、戦場での礼儀だからな……同じく祖国のために命を賭す者としての。少なくとも、私はそう考えている」
 なるほど、たいした紳士だ。
 オレの名は聞いてくれなかったがな。オレ如きでは聞くに値しないってことか。
 その時、列のはるか後方から、力強い女の声が響いてきた。
「追撃部隊よりご報告! 敵将クラウススを討ち取ったとの由! 繰り返す! 追撃部隊より、敵将クラウススを……」
 各所から甲高い歓声が上がる。
 そっか……やられちまったんだな。あのおっさん……
 敵中に取り残されてしまったことを、オレは実感せずにはいられなかった。
「だ……そうだ。貴様も戦士の端くれなら、覚悟はできていよう。最期まで戦士らしく振る舞うことだ」
 それだけ言って、ヴェルダアースは歓声の大きい方へ駆け去って行った。

     *  *  *

「吐け! 貴様らの目的はなんだ!? なにゆえ我らが領土を侵す!?」
 同日夜――パルテミラ帝国軍野営地の天幕の中で、オレはさっそく尋問を受けた。
 ローマの内情なんて一ディギトゥス約一センチメートルも知らないオレに、その女はしつこく聞いてきた。
 オレはローマ人じゃない! 信じてくれ!
 なんて言うのも癪だったから、オレは忠義面をして――
「見損なうな。このオレが、保身のために敵に情報を売り渡すような男に見えるか?」
 なんて、ちょっとカッコイイことを言ってみた。
 戦士は最期まで戦士らしく――そうだろ? ヴェルダアース。
 なあ、そうだろ?
 あいにくと言うか、この場にヴェルダアースはいない。
 鞭を片手にオレの前に立っていたのは、金髪金眼の、腰のくびれが際立つ、絵に描いたような美女だった。
 見覚えがある。確かこいつは、プブリウスの首をぶん投げた女だ。半端ない投擲力だったな。
 オレが頑なに口を割らないことに、女はいら立っているようだった。
「そんな怖い顔すんなよ。せっかくの美人が台無しだぜ?」
 機嫌を取ろうとしたつもりなのに、途端、女は顔を真っ赤にして、鞭で殴りつけてきた。
「いっ……!」
 鎧の上からではあったが、腹を打たれた衝撃は重い。オレはその女の望むのとは違うものを、吐き出しそうになった。
 くそ……なめんなよ! オレがスパルタクスの訓練生時代に、どれだけ体罰を受けてきたと思ってるんだ! 同期からは被虐趣味と言われたくらいだ。鞭なんてどうってことねぇ……むしろ血行がよくなって、疲れた体が喜ぶんじゃないか?
「それ以上くだらないことを言ってみろ。次は顔面にお見舞いしてやるぞ」
 顔面か……それは痛……気持ちよさそうだ。
「聞き方を変えよう」落ち着きを取り戻した女は、その綺麗な髪をひと撫でしてから続けた。「旧パルミュラ王国時代からの宿敵同士とはいえ、我々と大ローマ帝国は百年もの間戦争をしなかった。それがなぜ、今になって戦を仕掛けてきたのだ? ローマでは今、なにが起こっている?」
 言われてみれば、オレにも少しばかり引っ掛かることがあった。
 ここ数年、大ローマ帝国が、領土的野心を強めていることについてだ。
 実は今回のパルテミラ遠征に並行して、ローマはアルペン山脈の北方、西方地域の平定も進めている。プブリウスも元はそこに配属されていた。二年前には、トラキヤ系国家のダヌビアにも侵攻したらしい。
 ヴェシモス山の大噴火から、まだ七年――廃墟と化した周辺地域には、魔獣が跋扈するようになったとも聞く。多方面に手を出す余裕など、ないように思われるのだが……
 ともかく、ローマの内情なんて一ディギトゥス約一センチメートルも知らないオレは――
「何度聞いても無駄だ。そんなに情報が欲しけりゃ、クラウススとかプブリウスにでも聞いてみるんだな」
 そう、答えるしかなかった。
「あいつら女に弱いから、あんたくらいの美人に聞かれれば、うっかり口を開くかもな」
「減らず口を……!」
 まただ。
 おだててやったつもりなのに、その金髪美女は顔を真っ赤にして、鞭を振り上げた。
 恐怖……否、歓喜の形に口を開くオレ。
 天幕の出入り口が揺れ、鈴を鳴らしたのは、ちょうどその時のことだった。
 入って来た者の姿を見て、金髪美女が驚きに目を見開いた。
「へ、陛下!? なぜここに……?」
 陛下だと……!?
 オレは食い入るように、そいつを見つめた。
 肌は健康的な小麦色に焼け、それでいて目鼻立ちは彫刻のようにはっきりしている。目から力を感じるのは、まつ毛と眉毛が濃いからだろうか。
 豪奢な絹服はよく似合っているが、どこか野性味を感じさせる、不思議な女だった。
 一言で言うならば、百獣の女王といったところか。
 こいつが、パルテミラの女帝……!
「ホッ、よい反応じゃ。スレイナよ」百獣の女王様は、悪戯っぽい笑みを、かしこまる臣下に向けた。「なに、決戦に臨む戦士たちをねぎらおうと思うてな、こっそり後を付けてきたのじゃ。どうじゃ? 驚いたろう?」
 なんだ? この女帝様……?
 オレと……波長が合いそうじゃないか!
 波長が合わなそうな金髪美女――スレイナが反応に困っていると、女帝はさらに続けた。
「だが、驚かされたのは私の方じゃ。もう戦が終わっていたとはな。しかもほとんど犠牲を出さずに完勝とな」女帝は臣下を誇らしげに見つめた。「どうやら、私はまだそなたのことを見くびっていたようじゃ。まこと、妬ましいほどの戦ぶりよ」
「お褒めに預かり……? 光栄でございます!」
 それから女帝は、芋虫のように寝転がるオレに目を向けた。
「ヴェルダアースが捕まえた敵の指揮官というのは、そやつのことか?」
「は! 今拷問にかけているところですが、なかなか口を割らないものでして」
「縄を解いてやれ」
 早く打ちたそうに鞭を弄んでいたスレイナが、固まる。
「は? 今……なんと?」
「縄を解いて、自由にしてやれと言っておるのじゃ」女帝は繰り返した。「他の捕虜から聞いた。そやつはローマ人ではない。かつてローマの侵略を受けてその属州となった、スパルタクスの者じゃ。拷問してもなにも出ぬし、殺してもおいしくなかろう」
「し、しかし……こいつのせいで仲間が何人も殺されているのですよ!?」
「それはお互い様じゃ。見るべきは、なんのために戦ったかであろう」
 なおも不満そうだったが、プブリウスの首をブン投げた女は、それで黙った。
「同情のつもりなら、やめておいた方がいいぜ」オレはスッと上体を起こして、代わりに反論してやった。「スパルタクスは今じゃ立派なローマの忠犬さ。今回の遠征に参加したのも、餌に釣られてのこと。同情の余地はない。犬死にする覚悟はできている」
 結構真面目なことを言ったつもりなのに、突然、女帝は腹を抱えて笑い出した。
 オレ……なんか変なこと言ったか?
 言ったな。
「ククク……犬死にする覚悟か……それは覚悟と呼べるのか? 私には、ふさわしい死に場所を見失っているだけのように思えるのだが、違うかね? ベテルギウス」
「………」
「だが戦士の誇りまでは失っていないようじゃ」
 女帝はまた口元をほころばせた。今度は嘲笑うものではなく、戦の女神の微笑みだった。
「お前は部下に、こう呼び掛けたそうだな。オレたちはローマのためではなく、スパルタクスのために死ぬと。勝敗が決しても、決して最後まで降伏することなく、祖国のために戦う姿は、まさに音に聞こえたスパルタ戦士のもの。見事じゃ」
 オレはその称賛を、素直に受け止められなかった。
 なにがスパルタクスのためだ……!
 結局オレは、体のいい言葉で煽り立てて、部下を犬死にさせただけじゃないのか?
 思い出したように自責の念に駆られるオレに、女帝はさらに語りかけた。
「どうじゃ? その気概、パルテミラのために振るってみる気はないか? ローマの犬としてではなく、かつてのスパルタクスと立場を同じくする、我々のもとで命を張る方がよかろう。少なくとも、お前たちの死に場所はここではないはずじゃ」
「!」
 その言葉は、砂漠のように乾き切ったオレの心に深く沁み込んでいった。
 そうだ。それがオレの本意だったはずだ。
 憎きローマのもとで戦う屈辱を、この女帝はよく理解している。
「……分かった。考えてみよう」
 曖昧な返答をしたオレに、女帝はまたフッと微笑んだ。それからまた口を開く。
「ああ、そうじゃ……面白い話を思い出した。お前が倒れたあと、残ったスパルタクス兵は怯むどころか、次々とヴェルダアースに挑みかかったそうじゃ。おかげで多くが捕虜になった。正確な数は知らぬが、ざっと五百人くらいは残っておろう。彼女に感謝するんじゃな」
「!?」
 オレは耳を疑った。
 ヴェルダアースと当たった時には、すでにオレの部隊は半数近くにまで減っていた。五百人と言ったら、そのほとんどじゃないか!
「さあて、私は宴の準備に戻るとするかね」天幕を出る前に、女帝は言った。「ベテルギウス、お前も来い。私はパルテミラの女帝――ゼノビア。今宵は楽しもうぞ」

 ひょっとしたら女帝様は、オレなんかよりもずっと愉快な頭をしているのかもしれない。
 祝勝の宴に、ついさっきまで敵であり、敗者であった男を招くのは、どうかしている。
 しかも女帝にほど近い、なかなかの上席だ。
 案の定、警戒と敵意を含んだ視線が、チラホラと感じられた。
「なんだ、まだ生きていたのか」
「おかげ様でな」
 隣には、あの髭騎士――ヴェルダアースが座っていた。
 相変わらずそっけない話しようだが、女の宴に男が混じっていることに、さほど嫌な気はしていないようだ。髭を生やしているだけのことはある。
「あんたに言われた通り、戦士らしい最期をと思ったが、どうもオレはまだ迷っているらしい。情けねぇ男だよな」
「そうだな。私の見込み違いだったようだ。生き恥を晒す方がお前にはお似合いだ」
 言ってくれるじゃねぇか。
 そうさ、オレの人生は恥そのもの。生き恥がなんだというのだ。今日からまた、新しい恥の人生が始まるだけのことではないか。
 そうだろ? ヴェルダアース。
「………」
 宴の料理は豪華なものだった。
 鹿肉のシチュー、ラム肉と玉ねぎの串焼き、麦酒ビールの香り高い薄パン、色とりどりの乾燥果実などが、銀の器に盛り付けられていた。オレは飲まないが、葡萄酒ワインもある。
 味も量も、贅沢な食事をよしとしないスパルタクスのものとは大違いだった。あの腐った血のようなシチューを食わされていた日々を思うと、涙が出てくる。あれがあったからこそ、オレたちスパルタクス人は死を恐れずに戦えたのかもしれないが。
 昼間からの空腹感から解放され、パンをシチューにつけてみようかと考え始めたところで、女帝ゼノビアが参加者たちに呼び掛けた。
「さあ、宴はここからが本番じゃ! そなたらのために、テシオンから愛らしい踊り子たちも来てくれたぞ! 引き続き、一夜限りの特別な宴を楽しんでくれたまえ!」
 一番楽しんでいるのは女帝だな――と思いつつも、オレはなにが出るのか楽しみだった。
 もてなされる側だけでも、十分美女ばかりなのに、その美女たちが、篝火に照らされていない入場口に、期待の眼差しを向けている。
 最初に宴席の輪の中に入って来たのは、笛や太鼓、堅琴を携えた女たち。
 だが主役は彼女らではない。女たちは目立たぬよう隅々に散って座り込むと、主役のために演奏を始めた。哀調を帯びた笛の前奏に、軽快な太鼓の音が加わり、独特な音色を生み出す。
 その曲調に合わせて、小鳥のような軽い足取りで登場したのは――少年の踊り子たちだった。
「……!?」
 どんな美女が出てきても驚かない自信があったが、完全に意表を突かれたオレは、シチューにつけるはずだったパンを、葡萄酒ワインにつけてしまったことにすら気付かなかった。
 肩やお腹周りがはだけた薄手の衣装は、女が着れば、起伏に富んだなよやかな曲線を浮かび上がらせていただろう。だがオレの目の先で浮かび上がっていたのは、肩からつま先までスラリと伸びた、しなやかな直線だった。
 オレの目に狂いはない。あれは少年だ。の子だ。
 しかし、どういうことだ……?
 テシオンから来たって言ったよな? だが確かテシオンは……
 位置に着いた少年たちが旋回すると、衣装のベールがふわりとその軌跡を追った。
 宴席から湧き起こる歓迎の拍手。それからまた演奏が始まり、少年たちは躍動した。
 渦巻く疑問は、すぐに消し飛んだ。
 それを考える余裕がないほどに、オレは少年たちの舞に見入っていた。
 繊細でキレのある動きは、幼少の頃から特別に訓練を積んだ者でなければ……いや、そうであってもそうそう真似できないだろう。頭や腕を飾る金具、なめらかな質感の衣装が時折、篝火を反射してきらめく様が美しい。
 大人の女も二人だけ混じっていた。ちょうどオレの目の前で、一人の女が踊っている。
 その奥でクルクルクルクル回っている少年に目が行ったのは、偶然ではなかっただろう。
 踊り子たちは、当然が如く美少年ばかりであったが、その羊のような毛色の少年は、遠目からでも圧倒的な存在感を放っていた。
 なんというか、純粋に踊ることを楽しんでいるようで……回った時に一瞬だけ見えた笑顔が、眩しかった。
 奥を覗こうとするオレの前に、女の踊り子が立ちはだかる。
 美女よ、ちょっとそこを退いてくれ! 奥に天使がいるんだ!
 オレが体を右にずらすとその美女も右にずれ、左にずらせば、自分を見てくれと言わんばかりに、また美女も左に動いた。
 ああ、クソ! 今見えそうだったのに……!
 オレが美女との駆け引きに苦戦していると、その様子を見ていたであろう女帝ゼノビアから、声が掛かった。
「あの少年が気になるか? ベテルギウス」
「大いに!」
「そうかそうか。楽しんでくれているようで、なによりじゃ」元気な即答をもらった女帝は、愉快そうに笑った。「あの白い髪の少年はジェロブ。心優しい活発な子でな、最近ではパルテミラの至宝とも呼ばれる、我が国一番の人気者じゃ。お前も目が肥えておるのう」
「いやあ、それほどでも」
 オレは葡萄酒ワインにつけたパンを一口食べてから、先ほど抱いた疑問を思い出した。
「しかしこれは、どういうことでしょう? 聞いた話では、パルテミラの首都テシオンは男人禁制だと……」
 その疑問に答えたのは、隣のヴェルダアースだった。
「彼らは男ではない。精霊の恩寵と人々の祈りから生まれた第三の性――幼精エレノスだ」
 幼精エレノス……?
 あの少年たちは、人ならざる者だとでもいうのか?
「他国の者に言っても分からぬよ」苦笑交じりに、女帝が補足する。「魔法から生まれた人間――とでも言っておこうか。テシオンからさらに東に行くと、古の霊が宿ると言われる丘がある。幼精エレノスとは言わば、その地に宿る少年の霊の移し身じゃ」
 なるほど……よく分からんが、やはり普通の人間ではないらしい。
 あの美しさは、とてもこの世のものとは思えないしな。
「ゆえに彼らは、少年の姿のまま年を取らぬ。あの中には、お前より年上の者もおるかもしれぬぞ」
「ブフォッ!?」
 オレは鼻から葡萄酒ワインを吹き出した。
 汚物を見る目のヴェルダアース。
 なるほど。よぉ〜く分かった。
 要はあれだ。あの幼精エレノスの踊り子たちは、永遠の美少年ということだ。
 それ以上に重要で、意味のあることなど、なにがあるというのか。
 隆々でもなく、骨張ってもいない、なめらかな筋肉。抱き締めると壊れてしまいそうな、薄い胸板に狭い肩幅。小ぶりな腰から伸びた細長い足。
 可愛いらしい子供から、凛々しい大人へ変貌する――その途上にある少年は、美を追い求める女も、筋肉を追い求める男も、決して真似ることのできない、奇跡的な美しさを備えている。
 そんな彼らが本気を出せば、どうなるか――答えは今、目の前にある!
 舞が終わりに近付くにつれ、太鼓の音に取って代わった手拍子がだんだんと速まる。幼精エレノスたちの踊りも激しさを増し、最後はその場に跪いて終演となった。
 湧き起こる拍手喝采。
 ハッと気が付けば、一口も飲む気がなかった葡萄酒ワインは、パンとともに完食していた。強い戦士になるために、ずっと守り続けてきた戒律が、こうもあっさりと……
 やがて拍手が止むと、酔いと興奮で頬を上気させた女帝が声を張った。
「さあ、踊り子たちよ! 酒姫サーキイとなって、戦士たちをねぎらっておくれ!」
 心地よい返答があり、それから幼精エレノスたちはそれぞれ酒瓶を手に取り、酌をして回った。
 オレは乾燥果実をつまみながら、この天国のような眺めを堪能していたが、不意に女帝の前で視線を止めた。
 そこにいたのは、羊毛の少年――ジェロブぅ!
 ずるいぞゼノビア! 女帝の特権だかなんだか知らんが、ジェロブを独占するなんて!
 オレが羨ましそうな視線を送り続けていると、女帝はクスリと笑って、ジェロブになにやら耳打ちした。
 うなずいたジェロブが、こちらを見てニコッと微笑んだ。こっち見て笑った!
 まさか……まさか……そのまさかだった。
 ジェロブが、オレの所にやって来た。
「はじめまして、ベテルギウスさん。テシオン幼精歌劇団のジェロブです。今日は僕たちの踊りを見てくれてありがとうございました」
「ああ、オレの方こそ、いいものを見せてもらった」
 オレはキリッとカッコイイ顔を作ってみせ、酒杯を差し出す。
 禁酒の戒律なんて、この際どうでもよかった。女帝とジェロブがせっかく気を利かせてくれたんだ。ここはありがたく頂戴するのが、紳士であろう。
 それにしても……いい眺めだ。こんなに近くていいのか?
 踊っていた時のままの薄手の衣装。この光沢となめらかさ……恐らくは東方から伝わった、絹でできているのだろう。
 篝火に火照る色白の肌は、見れば見るほど艶やかで、気のせいか、ほんのり甘い香りすら感じられる。
 ジェロブが酒瓶とともに体を傾けると、オレの目は自然と鎖骨に吸い込まれていった。それから、ひらひらの衣装からのぞく胸元――
「ウホッ……」
 思わず、紳士らしからぬ声を出してしまった。
 隣のヴェルダアースが引いている。
 いや、これは違うんだ!
 オレがのぞいたんじゃなくて、胸元がオレをのぞいたんだ。
 あんなものを見せられたら、誰だってウホッ……
 至福のひと時は、あっという間に過ぎて行った。
 宴の締めは、踊り子たちが歌を歌ってくれた。
 ジェロブは歌劇団と言っていたな。そうすると……こっちが本職なのだろうか?
 高く澄んだ少年たちの歌声は、オレの汚れた心を洗い流すかのようで……
 聴き入っているうちに、それがさっき夢の中で聴いた歌声のような気がしてきた。
 きっと、あれは天使のお告げだったんだ。
 ようこそ! 地上の天国――パルテミラへ!

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