*著者――ポカフォフ(プロセイン王国)
プリニウス暦一一九七年。蒙句麗帝国が、アルケサス朝の首都テシオンに侵攻した。
当時世界の四分の一を支配していた超大国が、史上最大規模の兵力で行った攻囲戦である。テシオンは二週間足らずで陥落し、なだれ込んだ蒙句麗兵により、市街は破壊と殺戮の嵐にさらされた。百万とも言われた市民は死に絶え、神殿、礼拝堂、学校、図書館……先祖代々受け継がれてきたあらゆる建造物、文化財が灰燼と化した――
かつてこの地には偉大な帝国があった。
パルテミラ帝国――大陸の東西を結ぶ絹の道に跨る砂漠の大国である。大陸各地からさまざまな交易品、文化がもたらされ、最盛期には大ローマ帝国に並ぶほどの栄華を誇ったという。
帝都テシオンは世界で最も先進的な都市の一つであり、学術、芸術、信仰の中心地として栄えた。一定の年齢に達した市民は学校に通い、優れた成績を収めた者は、さらに宮廷図書館で学術や魔法の研究に励んだ。神殿には少年達の美声が木霊し、劇場には連日のように定員を超える観客が押し寄せた。
しかしやはり、パルテミラが歴史上の他のどの国とも決定的に違うのは、女性が絶大な力を持っていたという点であろう。帝位は代々女系で継承され、国政は主として女性が司り、軍事においても、主戦力は女の戦士であった。
残念なことに、テシオンの貴重な史料が焼失した今となっては、パルテミラ史のほとんどは、各地に散在する僅かな史料と外国の記録からでしか、うかがい知ることができない。
だがここにひとつ、興味深いものがある。
大ローマ帝国のパルテミラ遠征に参加していた将軍――ベテルギウスが書き残した手記である。
二五年のカルデアの戦いから、同年セルキヤの戦いまでの短い期間ではあるが、最盛期のパルテミラ帝国内部の様子が、この書には詳細に記されている。
そして物語の始まりは、カルデアの戦い前夜から――
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