第54話:東国十一国同盟

 国境付近の宿で一泊した後、笹暮とその従者たちは中仙道経由で上野国に入った。
 大名の会合は上野国の箕輪みのわで開かれる。幕府の本拠地と言えば江戸えど――という常識が抜けきっていない影狼からすれば意外だった。
 道中、笹暮はある秘密を影狼に打ち明けた。
「会合に参加するとなれば、もはや隠す必要もあるまい。にわかには信じ難い話だろうが……」そうもったいぶり――「幕府はもう存在していない」
「あ、それ知ってます」
「!? どこでそれを?」
「ヒュウが言っていました。将軍はずっと前に暗殺されて、殲鬼隊で活躍した人たちがそれに取って代わったと」
「そうか……ならば話は早い」気を取り直して、笹暮は話を続けた。「事の次第はだいたいその通りだ。将軍亡き後、関東甲信かんとうこうしん合わせて十一国の大名が皇国に対抗するべく同盟を結成した。それが東国同盟とうごくどうめい。そして盟主となったのが上野国の大名――近藤こんどう隆介りゅうすけだ」
「近藤……その人ってもしかして」
「うむ、君も知っているはずだ。殲鬼隊一番隊隊長。かつて近藤隼人はやとを名乗っていた男だ」
 一番隊の隊長は総隊長も兼ねている。彼が幕府で大きな力を持っていたであろうことは、影狼もなんとなく想像がついていたが、まさか頂点にまで上り詰めていたとは。
「そういえば、この前鴉天狗と戦ったのも上野国でしたよね」
「うむ。私が指揮した兵もほとんどが上野国の者だった。近藤は多くの部下を殺されたことになる。あの方が鴉天狗を許すとは考え辛い」
「やっぱりそうですか……」
 鵺丸と近藤隼人。殲鬼隊の隊長を務めていた者同士のよしみでひょっとしたら――と考えていたが、そんな甘っちょろい考えは通用しないようだ。
「なにも悲観することはない」影狼の不安を察してか、笹暮はそう言ってくれた。「幕府に逆らった者たちの末路は死――今まではそうだった。だがもう幕府はない。代わりにできた東国同盟も、その名の通り同盟でしかない。近藤に将軍のような絶対的な力があるわけではないのだ」
 構成国からの信任があってこその盟主である。国力の差や幕府時代の序列はあれど、近藤は他の大名たちの意見を多分に聞き入れなければならないだろう。
 東国同盟十一国のうち、すでに一国が味方してくれている。そう考えるとなかなか心強い。

     *  *  *

 上野国の本城――馬橋まばし城は、日ノ本三大河川の一つに数えられる利流根川とるねがわを背にして築かれた平城である。かつての江戸の隆盛にはまだまだ及ばないが、東国同盟の政治的中心地として、城下町はそれなりに賑わっていた。
 特に今日は、会合に集まった大名を一目見ようと、多くの人が表通りに詰めかけた。数年前までは見られなかった光景だ。東国同盟の存在を知らずとも、勘のいい人ならばとっくに気付いているだろう。この地が日ノ本の中心になりつつあると。
 笹暮の一行が騒がしい城下町を抜け、馬橋城に入ったのは、昼過ぎのことであった。ほとんどの従者は大手門で待機となり、そこから先は会合に出る笹暮と影狼だけで進んだ。
 門を潜るとすぐに、立派な御殿ごてんが見えた。会合はそこの大広間で行われる。
 会合には十一国から二人ずつ、計二十二人が参加することになっている。影狼たちが来た時には、すでに半数以上が大広間に集まり、あちこちで歓談していた。討議や情報共有ももちろんだが、同盟国同士で親睦を深めることも、この会合の重要な目的であった。
「はぁ……なんだか緊張してきました」
 分かってはいたが、大物ばかりが集まるこの場で影狼はかなり目立つ存在だ。そうでなくとも、影狼は二ヶ月ほど前まで幕府勢力に追われていた身。ここは敵地の真っ只中と言っても過言ではない。ボサッとしていると呑まれてしまいそうだ。
「大丈夫だ。私が付いている」
 今は笹暮だけが頼りだった。
「おやこれは、武蔵守むさしのかみ殿。近頃はよく会いますな」
 広間に入ると、さっそく笹暮に声が掛かった。相手は笹暮より少し年上くらいの男。
「おお、基次もとつぐ殿。今日も兼定様の代理ですか」
「ええ、皇国がまた騒がしくなってきたのでね、大名が国を留守にするわけにはいかないのですよ」基次と呼ばれた男は、笹暮の背後にくっついた影狼に視線を送った。「それにしても、子連れとは珍しい。まさか実の子というわけではないでしょうな?」
「はは、ご冗談を」
 笹暮はまだまだ若い。子がいたとしてもこんな大きいはずがない。
「今日の会合では鴉天狗のことも話すと、通達があったでしょう。この子はその参考人です。事件前は鴉天狗にいたので」
「おやそれは……さぞ辛い思いを」基次は膝を曲げ、目線を影狼に合わせた。「でも安心なさい。笹暮殿はお優しい方だ。困ったことがあればなんでも相談に乗ってくださる。そう、例えばこの御殿のような大きな御屋敷が欲しいとか」
「それは無理なお願いだ」
 笹暮は苦笑した。ただのカモみたいな言われようだ。
 こんな調子で、影狼は笹暮に従って参加者たちに挨拶して回った。
 見た目が怖い人もいたが、みな人当たりがよく、会合に抱いていた不安は少しずつ解消されていった。そうして、そのまま会合の時間を迎えるかに思われた時だった。廊下側から響いたひからびた声が、影狼の耳朶を打った。
「ふぅ~、やっと着いたやっと着いた。毎度のことながら、馬橋城は遠いのう」
 そう言って広間に入って来たのは、みすぼらしい身なりをした小柄な老人。
 この人もどこかの大名なのだろうか――不思議そうに見つめていると、続けてもう一人が入って来た。それが誰か分かった時、影狼は思わず声が出てしまった。
「なっ、柘榴……!?」
 呼びかけられた方も影狼の存在に気付き、微かに笑った。
「ほう……いつの間にいなくなったと思ったら、こんな所に」
 幕府四天王の一人――柘榴。妖派を抜けて以来の対面だ。
 武士の身分を持たない彼は普段、会合に顔を出さないと聞いていたが、やはり鴉天狗のことが話し合われると聞いてのことなのか。
 和やかな大広間の一角に、殺伐とした空気が流れる。そこへ老人が割って入った。
「どうした柘榴? 知り合いか?」
「影狼ですよ。ほら、先月髑髏ヶ崎どくろがさきから脱走したという、鴉天狗の」
「ひょっひょっひょっ……此奴こやつが影狼か。確かに生意気そうな顔をしておるのう」
 それから柘榴は、笹暮を睨みつけた。
「誰かと思えば、逆賊鴉天狗を取り逃がした笹暮殿ではありませんか。今日は鴉天狗の者を連れて、なにを企んでおいでですかな?」
 顔は笑っていたが、その眼差しは、直接向けられていなくてもゾッとするほど冷たい。
 思い返してみれば、この二人には深い因縁がある。柘榴の父――竜眼を斬ったのは笹暮だ。そして磁水関所で鴉天狗を取り逃がしたことが、さらに因縁を深めているようだ。
「なんだよその言い方……オレを使って卑怯なことしようとしたのは、あんたの方でしょ」
 頭が上がらない笹暮の代わりに、影狼が言い返した。
 だがここで事を荒立てるのはまずい。昂る影狼をなだめ、笹暮はようやく口を開いた。
「柘榴……私のしたことは、なにをしても償い切れないだろう。本来であれば、君の不利益になることをするなど以ての外だ。しかしここはまつりごとの場。私情は一切挟まないつもりだ」
「よい心意気ですな」柘榴は皮肉げに笑う。「鴉天狗と妖派。どちらが東国同盟にとって有益な存在か、笹暮殿ならばそれくらい分かっておいででしょう。期待しておりますよ」
「………」
 ここでまた、老人が割って入った。長旅で疲れたから早く座りたいとのことだ。
 柘榴も特に用件があるわけでもない。他の大名と馴れ合うつもりもないだろう。老人に従って、さっさと割り当てられた席へと行ってしまった。
 甲斐の二人が去った後も、笹暮は呆然としてその場を動くことができなかった。柘榴と会うだけでも、彼にとっては相当な苦痛らしい。
「笹暮さん……大丈夫ですか?」
「問題ない。今日やることは単純だ。柘榴が来たからといってなにかが変わるわけでもない」
 笹暮は断言したが、不安は隠しようがなかった。
 突然、広間の空気ががらりと変わった。話に夢中になっていた者たちもその変化を感じ取り、ぞろぞろと各自の席に移動し始める。そして笹暮たちも。
 席に着いた大名たちの視線は、広間の奥にたたずむ、奇妙な風体の男に注がれていた。
 ―――なんだ? あの人……
 影狼の目を引いたのは、その髪型。それは古代の貴族に見られる、美豆良みずらと呼ばれるものだった。今時そんな髪型の人がいるとは――あまりのおかしさに吹き出してしまうところだが、そうならなかったのは、男の纏う神秘的な雰囲気のせいだろう。
 彼が何者か、笹暮に尋ねようと思った時、広間の奥からもう一人の男が入って来た。
「!」
 影狼は一目で、それが誰か分かった。
 歳は五十かそこらだろう。長めの髪は灰白色に染まり、左目は眼帯で隠れていたが、右目からは鷹のような鋭い眼光が漏れている。その風貌はまさしく、物心ついた頃から聞かされてきた男――近藤隼人であった。
 彼が現れた瞬間、大広間に集まった大名たちは一斉に頭を下げた。
 近藤に将軍のような絶対的な力があるわけではないと、笹暮は言った。しかしこの光景を見ると、実際のところ幕府将軍となにも変わらないのではないかと思えてしまう。
 全員が席に着いたことを見て取ると、近藤は威厳に満ちた低い声で宣言した。
「皆々様、よくぞおいで下さった。これより東国十一国同盟の定例会合を始める」

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