第24話:大名家の血筋

「はぁ……分かったよ。あの話は無しだ。奇兵に残るかどうかは、自分で決めろ」
 鴉天狗という取引材料を失って、柘榴はがっかりだった。
 本当は、柘榴にとって約束はどうでも良かったのだが、鴉天狗の捕虜を得られないのは思わぬ誤算であった。人質さえあれば影狼を強引にでも従わせることができたのだから。
 しかし、柘榴にはまだ勝算があった。影狼には奇兵を抜けられない理由があるのだ。
 影狼の心は揺れていた。
 あれほど嫌っていた妖派なのに、伊織と過ごすうちに抵抗感が薄れたのか、妖研究に希望を見出したのか、あるいは鴉天狗に愛想を尽かしたのか。
 気付けば、妖派に少しずつ馴染んでいく自分がいた。
「奇兵に残る」
 影狼がそう言うと、柘榴は他愛無いとばかりにふふんと鼻を鳴らした。
 だが、影狼が奇兵残留を決めたのは、柘榴が思っていたような理由からではなかった。
 こんな条件を付けてきたのだから。
「けどその代わり、好きなようにやらせてもらうよ。命令に従うかはオレが決める。あと……もし妖派が少しでも期待を裏切るようなことをしたら、オレは出て行くから」
「出て行くか……それをオレに言うとは、いい度胸だな」
「え?」
「んん?」
 意外な返しに、柘榴も疑問符を浮かべた。
「まさか、自由に出入りできるとか思ってるんじゃないだろうな? 元々、お前は捕虜だったんだ。奇兵を辞めたからといって、逃がしてもらえるわけないだろう」
 考えてみれば極々当たり前な事だが、奇兵としての待遇を受けていたおかげで捕虜という感覚はすっかり消え失せていた。奇兵を抜けた先で待っているのは、あの牢獄だ。
「逃げようものなら、痛い目に遭うぞ。いっそ牢獄の方が良かったと後悔するぐらいにな」
 それがただの脅しではない事は、なんとなく想像がつく。
 影狼は必死に脳漿を絞って考えた。なにか、柘榴に対抗できるようなものは無いか――
 そして影狼は、一つの答えに辿り着いた。
「オレは大名家の血を引いてるんだ。変な真似したら、ただじゃ済まないからな」
 柘榴ですら逆らえないもの――それは幕府だ。
 一国を司る大名となれば、幕府の中でもそれなりの権力はあるはず。その末裔である影狼に手荒な真似をすれば、いくら柘榴でもお咎めなしとはいかないだろう。
 柘榴は動揺こそ見せなかったものの、少し驚いているようだった。
「そうか……お前は確か、幸成と血は繋がって無かったな。どこの大名だ?」
「……九鬼」
 すっかり源家のつもりでいた影狼にとって、その家名はあってないようなもの。実際、先の戦で山梔子に言われるまではまったく頭になかった。ようやく、役立つ時が来たようだ。
 しかし、そう思うのも束の間。柘榴が吹き出すように笑い始めた。
 ハッタリにしてはやり過ぎなぐらい、柘榴は笑い続けた。
「なにを言い出すかと思えば……九鬼か」
「九鬼じゃダメなの?」
 影狼が不快そうな声で問う。跡継ぎを甲斐に置いてけぼりにするぐらいだから、九鬼家が皇国側の大名とは考えにくい。ではなぜ九鬼家が笑われなければならないのか。
 ようやく落ち着きを取り戻した柘榴は、そのワケを語った。
「九鬼家はもう何年も前に滅亡している」
「!?」
「九鬼は朝廷が挙兵した時にその煽りを受けて滅ぼされた、志摩国の大名だ」
 にわかには信じがたい話だ。だっておかしい――影狼はすぐさま問いただした。
「ウソだ! 志摩って、ここからずっと西の方にある国でしょ? オレがそんな遠くから来たわけないじゃん。他に九鬼っていう大名はないの?」
「ない。お前の家はもうとっくに滅んだ」そう繰り返し、柘榴は問い返す。「もしかして、お前の親は殲鬼隊だったんじゃないのか?」
「そうだけど……あっ!」
 そうか――父さんは殲鬼隊として宝永山に来ていたんだ!
 それに気付くと、影狼はだんだんと暗い気分に沈んでいった。柘榴の言ったことが、真実味を帯びて迫って来たのだ。
「じゃあ間違いないな。殲鬼隊が解散したのも朝廷が挙兵した時の事だ。殲鬼隊として甲斐に来ていたお前の親は、志摩の一族を助けに行く為に、お前を鵺丸の所に預けたんだ」
 記憶の断片を繋ぎ合わせて、影狼は当時の事に思いを馳せる。
 朝廷の挙兵は七年前。影狼が六歳か七歳の時だ。その頃にはすっかり源家に馴染んでいたから、鴉天狗に預けられたのはそれよりずっと前の事だろう。当時の混乱は今でもよく覚えている。殲鬼隊の人がたくさん訪ねて来たり、鵺丸に政界復帰の誘いが来たり……
 けれど、どれだけ掘り起こしてみても、親の記憶は出てこなかった。
 所詮、その程度の繋がりなのだ。
 それでも心にぽっかり穴が開いたような気がしたのは、子として会ってみたいという思いがあったからだろうか。
「それとな、お前のために一応言っておくが、実力主義の妖派では家柄などなんの役にも立たない。今みたいに家柄を盾にしても笑いものになるだけだ」
 唐突に嫌味を言われて、影狼は顔を上げた。
「そんなこと言って、あんただって家柄があったからこそ今の地位があるんじゃないの? 親方様って呼ばれるくらいだからそれなりの名門でしょ」
「まあな。だがそれはきっかけに過ぎない。そもそも今のオレは武家ですらないからな」
「えっ?」まさかの事実に、影狼は少し動揺した。「それって……改易されたってこと?」
 武士の身分を剥奪することは、改易と呼ばれる。
「そんなところだ」
「……どうして?」
 妙な間があって、影狼はなにとなしに先を促す。
 柘榴はどこか遠くを眺めながら言った。
「父が……侵蝕人になった」
「!」
「今じゃ考えられない事だが、当時は侵蝕の知識があまりにも不足してて、一人でも侵蝕人が現れればその家はお取り潰し。鬼の一族の烙印を押された。だからオレも、名門としての待遇は受けなかった。オレが今この地位にあるのは、父が遺した家臣たちの並々ならぬ努力と、家柄を超えた忠誠心があったからだ」
 侵蝕人を出した一家がどんな目に遭うのか、影狼はよく知っている。
 幸成にとって、鵺丸に匿ってもらったことがどれだけありがたい事だったか――本来ならば武士の身分は失われ、まともな職にもありつけなかったはずだ。
 それだけに、幕府中枢を担うまでになった柘榴の躍進ぶりは信じられないものだった。
「侵蝕人の事、妖派では邪血って言うんだよね」
「よく知ってるな。妖派に馴染んでいるようでなにより」うんうんと柘榴がうなずく。「邪な血……これも今となっては迷信だが、昔は傷口からの侵蝕が多かったから、侵蝕の原因は血だと考えられてた。邪血はその名残だ。言葉の意味はよろしくないが、オレは結構気に入ってる」
 影狼は見直した。どうやら柘榴は、侵蝕人を利用するだけの人間ではないようだ。侵蝕人の苦しみを理解しているからこそ、奇兵という侵蝕人の居場所を用意している。
 しかし共感できないところもある。この人は鴉天狗の人たちとはなにかが違う……
「邪血になってみれば否が応でも身分やら立場やらがどうでもよくなる。お前も鴉天狗のことで心を病むくらいなら、いっそのこと邪血になってみたらどうだ?」
 そう言って柘榴が手を差し出したが、当然影狼は拒絶する。
「クク……冗談だ。お前には大事な役目があるからな。三年やそこらで逝かれては困る」
 やっぱりこの人は苦手だ――影狼はつくづくそう感じた。
 不安の種は尽きないが、奇兵に残るという意志に変わりはない。影狼は奇兵陣地で待機ということになった。
「オレも戦に出るの?」
「出たいのか?」
「いや、そうじゃなくて……死なれちゃ困るでしょ?」
 影狼が自分の立場を理解しているようで、柘榴は満足したようだった。
「そうだな。お前を今回連れてきたのは、奇兵がどんなものかを知ってもらうためだ。前線に出そうとは考えていない。万が一危なくなったら、伊織と一緒に逃げろ」
「……本当に大丈夫なの?」
「万が一の話だ。奇兵が負けるわけないだろ。どうしても不安だってんなら、あとで妖刀の使い方を教えてやる」
 妖刀の使い方を教えてあげる――その甘い言葉に、影狼は乗ることにした。

     *  *  *

 伊織を探して、影狼は奇兵陣地を進んでいく。
 奇兵の面子を見ていると、なんだか自分がこの中の一員であることがひどく場違いに思えてくる。岩石のような皮膚を持つ男、獣人のような顔をした人、普段の生活はどうしているのかと心配になってしまうような人がゴロゴロいた。
 奇兵の兵舎に二日間だけ泊まったことがあるけれど、見たことのない人ばかりだ。別の所へ隔離されていたのだろうか。
 ようやく見覚えのある、人らしい姿の集団が現れると、影狼は少しホッとした。
 伊織もやはりその中にいた。影狼を見つけて手招きする。
 駆け寄る影狼。しかし伊織の隣にいる人を見て、思わず叫んだ。
「お前は……! なんでここにいるんだ!?」
 とっさには名前を思い出せず、当たり前な事を聞いてしまった。彼女も奇兵の一員なのだから、ここにいてもなんら不思議はない。
 影狼を妖派に連行した來という少女が、そこにいた。
「聞いたよ~、アンタも奇兵に入ったんだってね」
 ジト目の影狼に、來はニッタリとした笑顔で応じる。
「まさか、お前たちが知り合いだったなんてなぁ」
 伊織も、影狼の機嫌をうかがいつつ苦笑してみせる。
 様子からして、影狼が来るまでの間に二人は座談をしていたようである。そばに置かれた皿には餅が積まれていて、伊織たちはそれをおいしそうに頬張っていた。
「影狼も食べな。これは栃の実から作った餅だ。数量限定だから食わなきゃ損だぞ」
 気まずそうに突っ立っていた影狼だが、お腹が鳴り出したので観念してその輪に加わることになった。

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