第16話:情けの武士

 柘榴は信濃出立の支度を整え、廊下を急ぎ足で進んでいた。
 先発の部隊はもう到着している頃合いだ。信濃の大名は信頼のおける人物であるから特に心配は要らないが、あまり遅れると面子が立たない。
 焦りを感じながら角を曲がろうとしたとき、柘榴は老人とばったり出くわした。
「おお、柘榴か」老人が喜色を浮かべる。「聞いたぞ、鴉天狗の童を手懐けたそうだな」
「……さすが来方こしかた様。お耳が早い」
 柘榴は一瞬嫌な顔をしたものの、すぐに態度を改めた。
 妖派が幕府に重用されるようになったのも、この老人がそう取り計らってくれたからだ。礼は尽くさなければなるまい。
 見た目はみすぼらしいが、実はこの老人こそが甲斐国大名、来方こしかたひびきである。
「お主も人が悪いのう。あのような子供を欺くとは」
「とんでもない……! あの者に言ったことに、嘘はありませんよ」冗談めかした調子で柘榴が言った。「お互いの利益になるようにするのが、私のやり方です。影狼も全て知った上で応じましたから」
「ひょひょひょ、よう言うわ。妖派の名誉回復を条件に鴉天狗を赦免するそうだが、まさか本気ではあるまい。妖派にとって、なに一つ恩恵の無い約束ではないか」
 論評するような口ぶりだが、来方は別にどうしろと言うつもりはない。
 普段はかわいい孫でも見守るような接し方で、柘榴のすることに口出しする事は少ないのだ。今回も、ただ知的好奇心のおもむくままに、柘榴の思惑を探っているだけである。
「確かに、そう見えるでしょうな」柘榴はうなずいた。「鴉天狗が賊となった時点で、我々の汚名はすすがれておりますから、多少の不名誉など些細なことです。しかし幕府内部にも鴉天狗に味方していた者が少なからずいます。彼らの存在も無視できません」
 来方が小首をかしげる。
「流石に今回の一件で、その者たちも鴉天狗を見限ったと思うのだがな」
「仰る通りで。しかし我々の味方になるわけでもありますまい。それが困るのですよ」
「……!」
 来方は目を丸くした。それはたまげたというよりは、ひらめいた時の顔に近いのかもしれない。
「妖派にとって一番困るのは、幕府からの支持を失った時でございます。一見、妖派は幕府内で多くの支持を得ているように見えますが、そうではありません。実際に妖派を支持する者は過半数にすら満たないでしょう。残りの半数は鴉天狗に協力する者と、そもそも邪血自体を認めない者たちでございます」
 考えてみれば、当然のことだった。
 邪血――俗に言う侵蝕人の処遇がどうだったかを見れば明らかなように、彼らに対する世間の見方はかなり厳しいものだ。奇兵の登場によって邪血は社会的地位を急速に高めたが、それもわずか三年前の事。元幕府重鎮の鵺丸ですら、ついには逆賊となってしまったのだ。妖派もそうならないとは限らない。
「これまでは鴉天狗派と邪血自体を認めない派で反目し合っておりましたから、特に心配は要りませんでした。しかし今回、鴉天狗が無くなったことでこの二派が協力してしまうと、幕府内部は真っ二つに割れることになります。妖派は今、結構危ない所にいるのですよ」
 来方はカサカサになったひげをいじくり回していたが、やがて手を止めて問いかけた。
「鴉天狗派を味方に付けるために、鴉天狗に情けをかけるのか……しかしそれでは、鴉天狗に反撃を許してしまうのではないか?」
「ご心配なく。もはや鴉天狗は再起不能です。どんなに情けをかけても救いようがありません。我々妖派に吸収される他に道はないでしょう」
 免罪になったとしても、世間からの不信を拭うことは出来ないのだ。鴉天狗にとって、蜂起の代償はあまりにも大きかった。
「つまり、妖派の完全勝利というわけか……さすがだな、柘榴よ」ひからびた声で、来方が祝福する。「お主が幕府で活躍できれば、御父上の無念も晴れることだろう」
「来方様のご支援あってこそでございます。これからもよしなに」
 柘榴は一礼して、廊下の先に消えて行った。
 面倒な世話話を振り切って、内心ため息をついていることだろう。

     *  *  *

 鴉天狗の立て籠もる磁水関所は幕府軍の包囲下にあった。
 関所が鴉天狗の手に落ちて二日が経過し、幕府軍の集結はほぼ完了している。いつ攻撃が始まってもおかしくない状況だった。
 影狼と伊織が到着したのは、昼前の事である。
「良かったな。まだ始まってないぞ」
 幕府軍の様子が遠目からでも分かるのだろう。伊織は安堵の色を浮かべた。
「うん……でも、本当に大丈夫なの?」
 完全武装した軍勢を見て、影狼はややしり込みしているようだ。
 行くときは期待感を抱いていたが、いざ来てみれば二千を超えるらしい幕府軍の迫力に圧倒されるばかりである。
 本当に自分たち二人だけでこの軍を動かせるのだろうか――
「任せとけ。そのためにオレがいるんだ。それなりに顔は広いし、幕府軍の総大将の事だってよく知ってる。話の分かる人だよ」
「総大将って誰?」
笹暮ささくれ友晴ともはる。元殲鬼隊の大物だ」
「……! その人、知ってる。武蔵国国主の」
 殲鬼隊関係者に囲まれた育った影狼には、馴染みのある名だった。思わず声が弾む。幕府軍の総大将が元殲鬼隊なら、かつての仲間と戦うことにためらいがあるはずだ。
 交渉が上手く行きそうな気がした。

     *  *  *

 幕府軍総大将の笹暮友晴は幕府四天王の一人に数えられる剣豪で、十五歳の時に抜擢された殲鬼隊での活躍が良く知られている。現在は武蔵国の国主。四天王の中では柘榴に次いで若いが、彼とは対照的に落ち着きのある武人らしい風格を備えていた。
 そんな男が今、陣幕の中で困り果てた顔を見せている。
「到着の遅れている部隊もありますが、この兵力なら十分です。これ以上待つ必要がございましょうか?」
「友晴様! 私にご命令くだされば、鴉天狗の逆賊どもを一人残らず討ち取って見せます」
 開戦を迫る部下を前にして、笹暮は頭を抱えて考え込んでしまった。
 明らかに開戦をためらっている。
 笹暮は武人としては超一流に違いないが、指揮官としてはどうだろうか。
 殲鬼隊の解散後、武蔵国の統治を任されていた彼には軍を率いた経験が全くない。さらには情に厚い彼の人柄が、開戦をためらわせていたようである。
 ようやく何か答えようとした時、陣幕の外から伝令の兵が現れた。
「柘榴の配下を名乗る者が、お目通り願いたいと申しております。いかがいたしましょう?」
「……柘榴だと!?」
 陣地がざわつき始める。
 柘榴の名前が出ただけなのに、異様な光景であった。
 伝令の兵が呼び捨てたところを見ても、柘榴はあまり厚遇されていないようだ。格の上では笹暮と同じ四天王なのだが――
「通せ」
 笹暮が促すと、二人の青少年が陣幕に入って来た。
 伊織と影狼である。
 多少面識があるからか、伊織は落ち着き払って笹暮の前に進み出た。
「奇兵の伊織でございます。主将の柘榴より伝言を預かって参りました」
「ご苦労……お主を遣わすとは、余程の事なのだろう。用件を申してみよ」
「はっ!」
 伊織は、柘榴が鴉天狗との和平を望んでいること。首謀者の鵺丸を除く、鴉天狗一党の助命を幕府に求めていることを伝えた。
「その者は?」
 ふと、後ろに控えた少年が気になったのか、笹暮がたずねた。
「影狼という者です。事件の夜に鴉天狗を出奔して、今は奇兵の一員となっております」
「そうか……」
 笹暮は跪いた影狼に向けて、静かに言った。
「鵺丸殿は、私が殲鬼隊に入った時にはすでに引退されていたが、武蔵国の国主として顔を合わせることが何度かあった。心の優しい、尊敬できる方であった。こうなってしまったのは本当に残念に思う」深いため息。「せめて鴉天狗だけでも残して差し上げたいところだが、それは御上がお許しにならないだろう」
 影狼の期待は早くも裏切られた。
 仮にも相手は軍の総大将なのだ。私的な情で動くはずもない。
「無理を申し上げていることは重々承知しております。そこを何とか……お願いできませんか?」
 伊織は再度強く頼み込んだ。交渉は彼に一任してあるから、ここは上手くやってくれることを祈るしかない。
 しかし脳裏に浮かぶのは、悪い予感ばかりだった。
「鴉天狗がここの関所を落とす時に、関所の番をしていた者が何人か殺されている。私個人としても、これは許すことが出来ない」
 もはやこの事件は鴉天狗と妖派だけの問題ではない。妖派が許すと言っても、幕府が許さない状況になっているのだ。
「侵蝕人だけならば、妖派が引き取る形で見逃してやれるが……それでも良いか?」
「……はい。ご厚意に感謝いたします」
 伊織が、影狼に代わって答えた。
 影狼は答えない。
 彼にも意思表示の権利はあったはずだが、逆賊鴉天狗の仲間だったという立場が、発言をためらわせた。
 これでいいわけがない。鴉天狗は全滅で、侵蝕人は妖派が引き取る。そうなればますます柘榴の思惑通りではないか。それが分かっていながら、なにも言えない自分が腹立たしかった。
 静寂を突き破り、あわただしく駆けつけた伝令が遅れていた部隊の到着を告げる。
 そして非情な宣告がなされた。
「みなの者、長らくお待たせ致した! これより総攻撃を開始する! 各々戦の準備に取り掛かれ!」
「ははっ!」
 喜び勇んだような声が、本陣に響き渡った。
 笹暮は臆していたわけではなかったのか、あるいははじめからこの時を待っていたのか、素早い決断であった。
 諸将が持ち場に向かう中、伊織と影狼は跪いたまま、その場を離れなかった。
「影狼よ。鴉天狗の最期を見るのは辛かろう。伊織と共に甲斐に戻るが良い」
 そう言って笹暮も席を立ち、軍の視察に向かう。
 交渉失敗。伊織はすまないと言って、影狼の方を振り返った。
 だがそこにあったのは、泣き顔でも、悲しそうな顔でもなかった。影狼は決意の宿った目で笹暮の背を追い――
「待ってください!」
 呼び止めた。
「一度だけ……機会をください。鴉天狗の人たちが全員鵺丸に従っているとは、僕には思えません。投降を呼びかければ、応じてくれる人もいるはずです。その人たちも、助けていただけないでしょうか?」
 二人の視線が交錯する。
 が、笹暮は心が折れたのか、すぐに目をそらしてしまった。彼はこうした訴えかけるような視線に弱いようだ。しかしようやく言ったのは――
「降伏勧告ならばすでに何度か試みているが、今のところ投降した者はおらぬ」
「信用していないのかもしれません」伊織がもうひと押ししてみた。「影狼を連れて投降を呼びかければ、これまでより効果はあるでしょう。私からもお願い申し上げます」
 さすが、伊織は笹暮の人柄を心得ている。ここまで頼み込まれると笹暮は断れないようだった。
「……分かった。やってみよ。ただし一度限りだ。これ以上開戦を遅らせるわけにもいかぬのでな」
「! ありがとうございます!」
 二千を超える全軍団の行動に影響する、破格の措置。情け深いにもほどがある。笹暮はまず間違いなく、大将の器ではないだろう。だが今この時点で、影狼にとって、それは吉であった。
 影狼は涙ながらに頭を下げ、伊織が優しくその肩を叩いた。
「勧告は総攻撃の直前に行う。念のため護衛をつけておこう」笹暮はさらにおまけしてくれた。「伊織。影狼を羽貫衆はぬきしゅうの所へ案内してまいれ。関所の正面の辺りにいるはずだ」
「はっ」

     *  *  *

 どこかでときの声が上がった。
 いよいよ戦が始まるとあって、幕府軍全体に緊張感が漂っている。まだ開戦まで時間はあるはずだが、待たせているような気がして、影狼と伊織は持ち場へと急いだ。
「笹暮さん、いい人だね。護衛まで付けてくれるなんて」
「ああ、しかもあの羽貫衆ときた。オレ一人でも十分なのに、贅沢過ぎるぜ」
 羽貫衆――先程から名が出ているが、何者だろうか。影狼は気になった。
「ねぇ、その羽貫衆って、どんな人たちなの?」
「武蔵国の傭兵だ。幕府軍の中じゃ知らない人がいないくらい有名だぞ」
「へぇ、傭兵か……って、あれ?」
 ふと、影狼はなにかを思い出した。
 武蔵国の傭兵……どこかで聞いたような――
「さてと、今日は何人来てるかな……? あ、いたいた」
 そう呟いて、伊織は大きな木陰のある方へ駆け出した。
 木陰の下には、黒服に白い陣羽織を着た者が三人。
 身の丈六尺はゆうに超えてそうな、長髪の男。
 横幅がやたらと広い、唐人風の男。
 三人目は、伊織たちが急ぎ足で向かってくるのに気付き、手を振っている。精悍せいかんな顔をした、しかし戦場よりは畑仕事が合いそうな男であった。
「伊織か! 大きくなったなぁ……いつぞやの戦場で会って以来か」
「お久しぶりです! 栄作えいさくさん」
 影狼は呆気にとられたまま、意外な挨拶をかわした伊織と初見の三人とをながめやった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)