第17話:羽貫衆

 初めて羽貫衆の名を聞いたのは、メランの親子と旅をしていた時の事だ。
 妖派の追手から逃れる際に、頼りになる知人として紹介してもらった人たち。旅の途中ではぐれてしまったためにお流れとなってしまったが、なんという巡りあわせだろうか。
 伊織と言葉を交わす羽貫衆の人たちを、影狼はぼんやりと見つめていた。
「今日はどうしたんだ? 奇兵が参加するとは聞いていないが」
「笹暮さんと交渉しに来たんです。鴉天狗の者たちを許してやってくださいと」
「ほう、そりゃまたどうして? 確か鴉天狗は妖派の人を……」
「分かりません。柘榴様にはなにか考えがあるのでしょう。どんな事情であろうと、私は言われた通りに任務をこなすだけです」
「相変わらず真面目だねぇ」
 栄作と呼ばれた男は伊織にばかり気を取られていて、影狼には見向きもしない。ここは何としても話しかけてみたいのだが――
 その時偶然、三人の内で最も背の高い男が目に留まった。伊織たちとの会話を木陰から見つめるだけで、まだ一度も口を開いていない。
 この人に聞いてみよう――影狼は何となくそう思った。
「あの、もしかして……ヒュウの事、知ってたりしませんか?」
「………………」
「………」
 反応が薄い。
 三秒ほどして、ようやく目が合った。
「? 君は……?」
 影狼は気を取り直すようにして、はっきりと名乗る。
「鴉天狗の影狼です」
「……!」
 男は口を開けたまま、再び絶句してしまった。口には出さないが、鴉天狗と聞いて彼は確かに意表を突かれたようである。
 他の二人もその言葉に反応した。
「鴉天狗!? まさか、この子がヒュウの言っていた……」
「なぁんだなんだぁ~?」
 唐人風の男も興味深げに寄って来る。
 話を持って行かれた伊織は、きょとんとしてその場に立ち尽くしていた。

 影狼はヒュウに出会ってから奇兵に入るまでの経緯を、羽貫衆の三人に話した。唐人風の男は終始わくわくしたような顔であったが、他の二人は真剣な様子で話を聞いていた。
「そうか……それで鴉天狗の仲間を引き取ろうってなったわけか」話が終わると、栄作も顔をほころばせた。「何はともあれ、無事でよかった。ヒュウが心配してたぞ」
「はい、自分もヒュウからみなさんの事は聞いています。会えて嬉しいです!」
「はは、それはどうも。本当は奇兵の影狼じゃなくて、羽貫衆の影狼になってたかもしれないからな。なんなら、この戦の後一緒に来るか?」
「それはダメです」伊織が割って入った。
 話の流れで妖派は悪者扱いとなっているから、伊織は微妙な立場に置かれている。それでもお目付け役としての務めをしっかり果たすのは流石といったところか。
 栄作は冗談だと言って伊織の肩をポンと叩いた。
「それはそうと、自己紹介がまだだったな。オレは柏木かしわぎ栄作えいさく。まあ、羽貫衆のまとめ役とでも思ってくれ」
 口が達者なところを見ると、栄作が羽貫衆の頭領のようである。鉄砲を担いでいる姿は、いかにも男前といった感じだ。
 続いて、栄作は丸々と太った方の男を紹介した。
「こいつははやし太郎次郎たろうじろうだ。ご先祖様があの蒙句麗もうぐり出身で、神風で沈没した船の生き残りだとよ」
「えっ!? 蒙句麗の?」
 蒙句麗はかつて大陸の内部に存在し、最盛期には大陸の大部分を支配したという大帝国である。五百年ほど前には日ノ本にも攻め寄せ、人々を恐怖に陥れた。
 今となっては恐怖心も無く、その子孫と聞けばある種の感動すら覚える。
「リンボーって呼んでね。よろしく!」
 ―――林坊りんぼう
 第一印象はなんだかヒューゴに近いものがあるが、体格相応の野太い声が頼もしさを感じさせる。
「そしてこの人は羽貫はぬき柳斎りゅうさい。うちの頭領だ」
 三人目の男が頭領だと知って、影狼は意外そうな顔をした。
 頭の後ろで結ばれた髪は腰のあたりまで伸び、背丈は恐らく影狼の知る中で最も高い。これだけ聞けば存在感は抜群なのだが、やはりこの人は寡黙な印象だ。
「ちょっと人見知りなところはあるけど、剣の腕は武蔵国で一番だぞ。今背負ってるその長い刀で、相手をちまちま追い詰める。名付けて爪楊枝侍つまようじざむらいさ」
「やめてくれ」
 柳斎は気恥ずかしそうに言った。
 その背中には確かに、すごい長さの刀がある。鞘の部分だけでも影狼の身長を上回るかもしれない。これを使いこなすと考えると、武蔵国一というのはあながち嘘ではなさそうだ。幕府四天王笹暮の存在も忘れてはならないが――
「もう知ってるだろうけど、羽貫衆は武蔵国で主に傭兵業をやっている。幕府内にも知人が多くてな、ヒューゴたちともそこで知り合ったのさ。今は彼らの用心棒をさせてもらってるよ」
 なるほど――と影狼は思った。傭兵と生物学者。妙な組み合わせだが、調査のためなら宝永山にまで行くヒューゴのことだ。護衛がいても不思議じゃない。
 本陣のあった方角から、法螺貝ほらがいの音が高々と鳴り響いた。
「おや、合戦の時間かな?」
 栄作がつぶやくと、待機していた軍勢が関所に向けて一斉に動き出した。
 見たところ関所はあまり強固なつくりではない。これだけの軍勢に攻め立てられたらひとたまりもないだろう。
 あの中に鴉天狗のみんながいる。鵺丸もいる。
 自分なんかが本当に仲間を救えるのだろうか――これが最後のチャンスだと思うと、たまりかねて影狼は胸をぐっと押さえた。
「お前も相当な覚悟を持ってここまで来たんだろ」力強い声が、影狼を勇気づける。「大丈夫だ。オレたちが付いてるから、絶対上手く行くさ」
「お願いします! 羽貫さん、リンボーさん、ええっと……与作さん!」
「栄作だ」

     *  *  *

 天気は晴天。風もおだやかで、戦をするには絶好の条件である。
 幕府軍は関所までの距離を縮め、臨戦態勢の構えを見せていた。合図一つあれば、砦をあっという間に包み込んで押しつぶしてしまいそうだ。
 しかしその前にもう一つ、幕府軍は降伏勧告を待つ必要があった。
 群衆の中から、一人の騎馬武者が陣頭に進み出た。その後には影狼と護衛の者たちが従っている。
 この騎馬武者は笹暮の直属の部下なのだろうか。関所に向けて、投降を呼びかける。
「愚かな鴉天狗の者たちよ、よく聞け! 幕府に刃向かった罪を悔い改める気が少しでもあるのなら、今すぐ砦を抜け出して投降せよ! さすれば命だけは助けてやるぞ!」
 耳を割くような大音声であった。
 その声は関所中に響き渡ったはずだが、関所はしんと静まり返ったまま動きが無い。柵越しに人影は見えるのだが――
「これが目に入らぬか!」男が影狼を指差す。「貴様らの同胞の一人がこの通り、幕府に降伏している。実に賢明なことではないか。くだらぬ意地を張るのはやめて、貴様らも見習ったらどうだ!?」
 関所側には、まだ動きがない。
 影狼の不安が高まる。同時に、不信感も芽生え始めた。
 この勧告の本当の狙いは、影狼が降伏したことを知らしめることで動揺を誘う事なのではないか。攻める気満々の幕府軍を見ても、そう思わざるを得ない。笹暮にそんなつもりはなかっただろう。しかし一軍を率いる将として、この形にせざるを得なかったようだ。勝つために手を尽くすのは当然のことなのだが、悔しい。
 顔を曇らせる影狼を、栄作がなだめた。
「もう一度言う! これは最後の勧告だ! 死にたくなければ――」
 反応があったのは、男が再度呼びかけようとした時のことであった。
 関所の方から小気味のよい羽音が鳴り響き、十数本の矢が騎馬武者に降り注いだ。
「なっ!?」
 そのうちの二本が馬に突き立ち、乗っていた男が地に放り出される。
 非友好的な返答は、そのまま開戦の合図となった。
「卑怯者め! 覚悟しろ!」
 しびれを切らした武将が突撃を命じると、それに続いて至る所で声があがった。
「そんな……どうして!?」
 最悪の展開だった。影狼は目の前で起きていることが呑み込めず、立ちすくんでしまった。動けなくなった影狼の手を引き、羽貫衆は危険なその場から退避する。それと入れ替わるようにして、幕府軍がなだれを打って砦へ突入していった。
 無数の矢が砦の中へ撃ち込まれ、それに続いて柵の破壊が始まる。
 あっという間の出来事であった。幕府軍の勢いは凄まじく、柵が打ち壊されたところから、我先にと中へ入り込む。
 柳斎は影狼の目を手で覆った。
 これから始まるのは一方的な殺戮。とても見るに堪えないものであろう。
 だが突然、奇妙なことが起こった。
 幕府軍の動きが止まったのである。誰かが号令をかけたのではない。前線にいた者から順に、熱が急速に冷めていったようだった。
「なんだこれは!?」
 一番乗りを果たした男が、奇妙な叫び声をあげた。
 その足元には、斬り倒されたばかりの男の骸が転がっている。しかし服は鴉天狗のものではない。幕府の役人のようななりをしていた。
「これは……間違いない。関所を守っていた人だ」
 誰かがそれを言い終わらないうちに、もう一体が物陰から現れ、斬り伏せられる。
 これもまた幕府役人の服装であった。骸から蛇のような影が抜け出て、奥の方へ逃げて行く。
 その先にも十を超える人影があったが、どれも動きがぎこちなかった。
 幕府軍本陣では、笹暮が前線からの報告を受けていた。
「合図を待てと言ったのに分からぬか! 何があったのだ!?」
「はっ、それなのですが……鴉天狗一党の姿が見当たらないのです。それどころか関所の番人らしき者が中をうろついていて……」
「なに!? 番兵が生きているのか?」
「いえ、どうやらその亡骸が、勝手に動いているようで……」
 伝令は目にした光景をどう解釈すればいいのか、分からないようであった。
 本陣の武将たちが間の抜けた顔を見合わせる。
「妖術か」笹暮が眉をひそめて言った。「鴉天狗には妖刀使いが何人かおる。こんな術は聞いたこともないが、これは明らかに、我々を足止めするための工作だ」
「鴉天狗は逃げたのか?」
「せっかく手に入れた関所を捨てるとは、いったい何を考えておる……」
 陣内が騒然となる。
「まさか……!」一人の男が、何かに気付いた。「奴ら、越後に逃げ込むつもりだ!」
「越後国だと!?」
「甲斐国からここまで北上してきたことを考えれば、行先はそれしかない。越後に入られたら面倒なことになるぞ!」
 戸惑いが焦りに転じ、武将たちはパニックに陥った。
「北の国境に使いを出せ! 鴉天狗を絶対に越後に入れてはならん!」
「笹暮様、我々も今すぐ追撃を!」
「……うむ」
 散々待たされた挙句に肩透かしまで食らい、幕府軍の我慢はもう限界であった。
 笹暮が追撃を命じると、各部隊は隊列もろくに整えずに北進を開始した。
「鴉天狗が北に逃げた!?」
 素っ頓狂な声を出したのは栄作。進軍を開始した兵の一人から、ちょうど情報を聞き出したところである。
「砦の中は誰もいなかったようで、今までの動きからしてその可能性が高いと」
「……それでみんなして追っかけてるのか」栄作は苦笑を交える。「もう手遅れだと思うけどなぁ」
「どうする?」低い地声で、柳斎が言った。「オレたちは自由に動いていいという話だったが」
「どっか適当な部隊について行くか。けどその前に、影狼はどうするんだ?」
 交渉が失敗した時点で、影狼の役目はもう終わっている。ここから先、鴉天狗と会うことがあれば、それは彼らが幕府軍になぶり殺される時である。
「行かせてください」影狼の返答は早かった。「今帰ったら、絶対後悔します」
 なにかできるとしたら今しかない。どんな結末が待っていようと、最後の最後まで自分の手で、自分の目で――それが影狼の思いだ。
「よし、決まりだ! それじゃあ、とりあえず先頭集団に追いつくぞ」
 そうと決まれば影狼たちの行動は素早かった。よーい、ドンの合図で五人はてんでばらばらに駆け出す。混乱を極める幕府軍の中でも、羽貫衆が一番ドタバタしているように見えた。

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