第1話:武蔵国の半妖

 宝永二十七年。
 妖の多くは駆逐されたが、日ノ本の人々は未だに見えない恐怖にさらされていた。
 いつからか宝永山の周辺地域で、何かに憑りつかれたかのように暴れ狂う者が続出するようになったのだ。彼らは侵蝕人しんしょくじんと呼ばれ、ある者は妖が人に化けたと説き、またある者は人が邪気に侵されたと説く。一週程前にも人の姿をした妖怪が捕らえられ、牢屋敷へ送られるという事件があった。
 その牢屋敷に、この日は深編み笠を被った男が訪れている。
「それではお気をつけて」
 従者を外に残し、男は中へ入って行った。
 男がここに来たのは他でもない、妖怪として捕らえられた囚人に会うためである。
 彼が常人であったなら、正気ではないと一蹴され、中へは入れてもらえなかっただろう。だが男は、こうした情報が入るたびに牢屋敷に足を運んでいる。
 男の名は鵺丸ぬえまる。かつては幕府の重鎮であり、殲鬼隊の三番隊を率いていた。それゆえ野に下った今でもこれぐらいの要求は通るのだ。
 役人の案内に従い、薄暗い通路を進む。
 ここまで人の気配はなく二人の足音だけが響き渡る。もともとは罪人を一時だけ留めるためにあった牢屋敷。宝永の大噴火以降は侵蝕人を収容することもあったが、数日で殺処分になるため厳重な警備は不要だったようである。屋敷は割と簡素で頼りない。大物が収容されているこの牢を除いては。
 案内役が重々しい扉を開けると、中の様子が少しずつ見えてきた。
 ―――そこにいたのは、一人の大男……
 壁際でうな垂れてはいるが、筋骨隆々としたその身体つきは毛皮で作られた袖なしの服とよく似合っていて、来訪者に野人という印象を与えた。
 真っ暗闇だった部屋に光が差し込み、こちらに気付く。
「……誰だお前は。役人じゃあなさそうだが」
 囚人の声が余程威圧的だったのか、扉を開けた役人は外に引っ込んでしまった。
 だが話しかけられたのは鵺丸の方だ。こちらは慣れた様子で全く動じない。ろうそくを燭台に移し替えながら答える。
「鵺丸と呼んでくれ。殲鬼隊と言えば分かるか?」
 殲鬼隊――妖を殲滅したこの英雄集団を知らぬ者はいない。
 その名を聞いて囚人が苦笑したのは、お迎えが来たことを悟ったからかもしれない。己が何者であるかを、知っているが故に。
「会えて光栄だぞ、武蔵坊むさしぼう」鵺丸はゆっくりと鉄格子の前まで歩を進め、その場に座り込んだ。「人の姿をしているとは聞いていたが、全くその通りだな」
「見た目はな……けど中身は妖怪だ」そう言った男の声は何処か誇らしげに聞こえる。「どうした。人の姿をしてると斬れねぇのか? オレを殺しに来たんだろ」
「バカを言え。その状態なら儂が来なくとも役人の手で始末出来るだろうよ」
 不思議と死に急ぐ武蔵坊という男。だが鵺丸からしてみれば予想の範疇だ。
 何日も閉じ込められていた上に邪気に侵されているとあっては、正気でいられなくなるのも無理はない。自分が妖であると信じ込み、消えるべき存在だと考える。侵蝕人なら、よくあることだ。
「じゃあ何だ、珍しい妖怪を拝みに来たってのか?」
「そんなわけあるか。まったく面倒な奴だ」なおも続く戯言に構うことなく、鵺丸は用件を切り出す。「儂はお主を助けに来たのだよ」
「!?」
 急な話でその真意を測りかねたのか、武蔵坊は鵺丸に視線を戻した――といっても深編み笠を被っているので顔は窺えない。
 張り詰める空気。それに呼応するかのように、灯火が僅かにまたたいた。
「……なんのつもりだ?」
 妖怪を助ける――そんな大それたことを考えるのは、妖の力を欲しているか、頭がイカれているか、あるいは妖に近しい存在か、いずれにしてもろくな奴はいない。警戒されるのも当然だが……
「勘違いするな。別に妖怪を助けようというわけではない。儂は妖に蝕まれた人を助けたいのだ。お主も……本当は人なのだろう?」
 鵺丸は初めから侵蝕人に会うつもりでここへ来た。武蔵坊は人に化けた妖怪だと人々は言うが、真に受けてはいない。今までそういった情報が確かだった例がないからだ。
 誤解が解けたようで、武蔵坊から殺気のようなものが引いて行った。
 しかし、観念したような目つきは少し前のものと変わらない。
「侵蝕人の救済か……殊勝なことだ。けど助けるって具体的にはどうするんだ? 侵蝕を治す方法でもあるのか?」
「情けないことだが、それは儂でも治すことは出来ない」
 よくある質問。だが鵺丸はこれを聞かれる度に心が痛む。相手が侵蝕人なら尚更、答えるのが辛い。
「出来ることと言ったら幕府から侵蝕人を引き取り、少しでも長生きさせてやることだけだ。幕府はすぐ侵蝕人を殺してしまうからな……動物のように」
「へぇ、そりゃ大変そうだ」武蔵坊は言った。「だって暴れるんだろそいつら? オレだったらそんな迷惑な余生送ろうとは思わないが」
 鵺丸の中で何かが引っ掛かった。
 痛い所を突かれたこともそうだが、それ以上に腑に落ちないものがある。最初から薄々感じていたが、これまでの人と同じように話しているとどうも話が噛み合わないのだ。
「そいつらとは、他人事のように言う」
 今話している相手は一体――
「他人事だ」
「………」
「オレは侵蝕人みたいに発狂しないし、あんたに救われる道理も無い」
「……ほう」今度は戯言には聞こえなかった。
 邪気に侵された者――侵蝕人と呼ばれることが多いが、知識のない庶民は妖怪と一緒くたにしてしまう。妖怪が捕まったなどという誤報が出回るのはそのためだ。しかし武蔵坊はこの侵蝕人という言葉を知っている。その上で、自分は妖怪だと言い張るのだ。
 鵺丸は武蔵坊に興味を示した。
「人と見分けがつかない妖怪は久しぶりに見たぞ」
 ようやく妖怪だと認知されて、武蔵坊は機嫌が良くなった様だった。一瞬のほころびを見せて再び壁にもたれかかる。
「しかし聞くところによれば、お主は今まで人と暮らしていたようじゃないか。いつから妖怪だと思うようになったのだ? 家族はいるのか?」
「物好きな奴だ」
 その言葉には、己の事を理解しようとする鵺丸への敬意がこもっていた。
 妖怪である武蔵坊には、全てを包み隠さず話せる相手もいなかったに違いない。一息つくと、武蔵坊は自らの生い立ちを語り出した――

 武蔵国の南西部に大滝という村がある。オレはそこで生まれた。
 オレは親父の顔を知らない。生まれた時にはもういなかったんだ。いたのは年を取ったお袋だけ――随分な高齢出産だったらしい。
 けど特に不自由はなかった。村の人たちがよく助けてくれたからだ。お袋も年の割に元気だったし、毎日が本当に充実していた。
 異変に気付いたのは、今から十年ぐらい前だ。
 あの頃、オレは村の仲間とよく山に行ってたんだ。大滝村は山に囲まれてて、大人たちは定期的に狩りに出かける。子供でも兎とかを捕まえに行くことが多かった。
 その日も、いつもの狩り仲間と山に行ってたんだが、オレは兎だけじゃ物足りなくて、子供は入るなって言われてた山奥まで入ってみたんだ。
 そしたら狙い通りなのかどうか、オレは狼を見つけた。
 いや、正しくは狼に見つけられたんだろうな。それも一匹だけじゃない。後ずさりする度に、いろんなところから足音が近付いて来たんだ。完全に囲まれていた。
 勢いで入ったけど、間抜けなことに兎を捕まえられるぐらいの道具しかなくてな。一匹目が飛び出て来た時はもう死ぬかと思った。力に目覚めたのはちょうどその時だ。
 体中が焼けるような――初めての感覚だった。
 最初に飛びついて来た奴は、真っ二つになった。
 オレは手で払おうとしただけなんだが、綺麗に真っ二つだ。
 自分でも驚いたさ。腕を見てみたらそいつの血がべっとりくっついててな――すぐ蒸発したけど。
 骨肉を焼き切るほどの高熱。それがオレの力だった。
 残りの奴も切り裂いたり引きちぎったり……しまいには面白半分で焼いたりもしたな。
 まだ七、八歳だったから、虫を見つけたら踏み潰したくなる年頃だろ? 相手は狼だ。かわいそうとは言わせねえぜ。
 それが妖怪の力って分かったのは、お袋がオレを探しに来たからだ。でなければオレは村の人たちに力を見せびらかしていたかもしれない。この時にお袋から全部話してもらったんだ。
 オレの親父は妖怪――つまり、オレは半妖だってことを。
「それ以来オレはずっと、これを二人だけの秘密にしてきた。二年前にお袋が死んでからは、人前で力を使うことは無くなった。いや、本当のことを言うと狩りでちょびっと使ってたな。大物を仕留めれば人気者になれたから、少しばかり妖の恩恵に与ったってわけだ」
「まさか……」
 黙って話を聞いていた鵺丸から素っ頓狂な声が漏れた。武蔵坊はムッとした表情を浮かべる。
「何のまさかだ。早合点するなよ? オレは狩りで張り切りすぎて捕まったわけじゃないぜ? そんなヘマはしねぇよ。妖怪だってばれたのはついこの間のことだ。何があったと思う?」
「大妖怪が現れたと聞いている」
「……なんだ知ってるのか。そう、大滝の里に妖怪がやって来たんだ。オレもびっくりしたぜ。あんたら殲鬼隊が解散した今、妖怪はもういないってみんな思い込んでたから、それはもう大混乱だ。みんな逃げてくれれば良かったんだがそう上手くは行かなくてな……」
「力を……使ってしまったということか」
「ああ」
 話し終わると武蔵坊は何かに思いを馳せるかのように上の方を眺めやる。
 それが後悔からなのか、あるいはやりきったという思いからなのか、鵺丸は聞いてみたくなった。
「……後悔しているのか?」
「いいや」
 武蔵坊は向き直ってはっきりと答えた。
「あのとき仲間を見殺しにしてたらそれでこそ人でなしだ。大切な人を守れた。人としての尊厳も守れた。妖怪として生まれたオレが人間らしく死ねるんだ。悔いはない」
「なんだ、結局は人でありたかったのだな」
「そうかもな」
 ここでは侵蝕人でさえゴミのように処分される。ましてや妖怪が人らしく死なせてもらえるはずもない。武蔵坊はそれでも構わないだろうが、鵺丸としてはこのまま死なせたくはなかった。人の心を持つ妖怪に、大きな可能性を感じていたのだ。
「良い話を聞かせてもらった。その礼だ」
 そう言って鵺丸は深編み笠を外す。
「!?」露わになった鵺丸の顔を見て、武蔵坊は腰を抜かしかけた。「お前! 妖怪か!?」
「失礼な! こんな醜い顔でも正真正銘の人間だ。仮にも妖怪が人を妖怪呼ばわりとは」
「……あんたこそ、礼にしては随分と酷いものを見せてくれたな」
 黒く焼けた肌とそれより真っ黒な目。髪の抜けきった頭には深い傷の痕があった。およそ直視出来るものではない。
「やはり醜いか。ククク……実は儂にも、自分は妖怪なんじゃないかと思った時期があった。己が妖怪でないことを証明するのは案外難しいものだ。だがそれは皆同じ。周りがどう言おうと、自分が人だと信じるなら人。それでよいではないか」
 妖怪のような容姿。これを持って生まれた鵺丸がどんな人生を歩んできたか、武蔵坊には容易に想像できた。
 そして今は、己と同じ境遇であろう侵蝕人たちを助けている。
「どうやら……オレはまだ死に切れねぇようだ」
 武蔵坊の心は決まった。
「鵺丸、あんたがどう言おうとオレは妖怪だ。さっき言った通り救いの対象ではない。けど、オレがあんたを助けるってのはどうだ?」
 妖怪が人を救う。冗談のように聞こえるが、男は本気だった。彼の誇り高い性分がそのまま表れた精一杯の屁理屈である。
 鵺丸は愉快そうに頷き、笠を被り直した。
「あくまでも妖怪か……まあいいだろう、歓迎するぞ。ちょうど人手が欲しかった所だ」
 鵺丸は渡されていた鍵を取り出すが、必要なかったようだ。
 武蔵坊が鉄格子を掴むと、硬さを失ったそれはいとも簡単にこじ開けられてしまった。黒く棘々しい姿へと変貌を遂げた腕からは蒸気が立ち上る。
「言っただろ? オレに助けはいらないって」

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