第2話:侵蝕の果て

「鵺丸様、本当によろしいのですか?」
 ようやく着いた町で迎える夕刻。鵺丸たちは丸一日かけて甲斐国の八幡やはたまで来ていた。問いかけたのはその従者の一人である。
 みなもと幸成ゆきなり
 鵺丸が最も信頼している部下である。一行の中では最年少だが、こうして遠慮なく意見するのは深い間柄も手伝っているのかもしれない。
「侵蝕人ならばともかく、妖怪を助けたとあっては我々の評判が心配でなりません」
「心配するな。表向きは侵蝕人ということにしてある。あやつが妖怪であることもまだお前にしか話しておらん。だからあまり外で話すんじゃないぞ」
 幸成はまだ納得いかない様子であったが、それ以上は言わなかった。ちょうど武蔵坊が馬小屋から出て来たところだ。
「どうだ、初めての宿場町は? ここが儂らの拠点だ」
 何かと出張の多い鵺丸にとっては交通の便が良いこの町は魅力的である。妖峰宝永山から近いこともまた都合がよい。山がちなのは変わらないが、宿場町として賑わう八幡は田舎者の武蔵坊からすれば新鮮であった。
「なかなかいいとこ住んでるじゃねぇか。オレにはちと眩しすぎるぜ」
 武蔵坊は町並みを眺め、改めて感心する。
「これからお主は鴉天狗からすてんぐで活動する事になる。落ち着いたらここにいない同志にも挨拶すると良い。儂が紹介してやるぞ」

 鴉天狗――それが、鵺丸が侵蝕人を保護するために立ち上げた組織の名だ。元殲鬼隊の者も少なからず所属しており、少し前までは妖怪退治を請け負うこともあったという。
 大通りを抜けて町の北に出ると、そこが鴉天狗の集落であった。
 町外れにあるのは侵蝕人を匿っているからだろうか。山の麓にある辺り、新参の田舎者は親近感を覚える。外観を見る限りでは、侵蝕人とやらは武蔵坊の故郷より幾分か豊かな暮らしをしているようだ。
「よくもまぁ、こんな土地を用意できたな」宵闇に包まれた斜面を上りながら、武蔵坊が言った。「全部鴉天狗の屋敷か?」
「はい。鴉天狗の者は皆ここに住んでいます。半分が侵蝕人とその縁者、もう半分は彼らを支える者たちの住まいです」
「半々? 大丈夫なのかそれ?」
「かなりマズイです。外部の手を借りてなんとか上手くやっていますが、いつまで持つやら……」
 ―――末期じゃねぇか……
 人手が足りないことは鵺丸から聞いたはずだが、武蔵坊はあまり気に留めてはいなかった。新天地で浮かれていた分、この衝撃は大きい。侵蝕人は今後も増え続ける。手に負えなくなったら、どうするつもりなのか。
 もっとも、武蔵坊はそれを解決するつもりでここへ来たのだが……
「奥の大きな建物が鵺丸様の屋敷です」
 そう言った幸成の指さす先には、大きいと言うよりは広々とした屋敷があった。森を背にして建てられたそれは、月明かりだけでもよく見えた。囲いの中にもたくさんの建物が確認できる。
「幹部や来客用の部屋もありますので、武蔵坊殿は今晩そこになるかもしれません」
「いきなり幹部扱いか」――どちらかというと客人扱いだが、そこは気にしない。「ってことはお前もそこか?」
「いえ、私は……」
 聞かれたところで幸成は何かに気付き、足を止めた。坂の上、鵺丸の屋敷の方から小さな人影が一つ、駆け下りてくる。
影狼かげろう! こんな時間に何してるんだ!」
 近付いてきた人影に向かって幸成がどやしつけた。
「あ、幸兄。帰って来たんだ」
 暗がりから出てきたのは、茶色がかった直毛と大きな瞳が特徴的な少年であった。鴉天狗お揃いの着物が少し大きく感じる。
「家に居ろって言ったじゃないか! 母さんは?」
「どっか行っちゃったから探してるんだよ」
 何事かと武蔵坊が見つめていると、少年と目があった。
「もしかして、君が新入り?」
「ああ、そうだが……」新入りが侵蝕人と組織の者、どちらを指しているかは分からないが、敢えて触れなかった。「お母さんいなくなったのか?」
「うん……でも大丈夫だよ。いつものことだから。目を離したらすぐいなくなるんだ」
「……いつも?」
「うちの母、放浪癖があるんです」武蔵坊が不審がるより早く、幸成が付け足した。
 まだボケるような年じゃないだろうに――と武蔵坊は思ったが、彼の母もまた特別だったので半ば強引に納得した。個人差によるものだと。
「そうか、なら探してやろうか?」――だがやはり気になる。
「本当に? でもこの暗さじゃ、見つけようがないと思うけど」
「安心しな。オレは妖怪だからお前らより目が利くんだ」
「妖怪……?」
 つい口が滑ってしまった。影狼は開いた口が塞がらない。恐らく他の何人かにも聞こえてしまっただろう。
「馬鹿者、それをうかつに話す奴があるか!」いつの間にか鵺丸が前列まで来ていた。「反対する者が出たら、儂でも庇いきれないぞ」
「ケッ、此方こちとて妖怪を悪く言う奴と一緒だなんて御免だ!」
「武蔵坊殿。あまりこじらせないで……」
 幸いこの場で文句を言う人はいないようだ。影狼も多分。
「まぁ、幸成の弟だから大丈夫だろ」
「弟ではありません。ただの居候です」
 武蔵坊は再び面食らった。確かに、言われてみれば二人はあまり似ていない。間柄は見たところ兄弟そのものだが。
 結局、武蔵坊の申し出は幸成に断られた。先に帰宅することになった兄弟? を見送りながら彼は呟く。
「若くして放浪癖のある母に、居候のガキか……変わった家族もいるものだ」
「なに、お主ほどではない」
 やはり鴉天狗は居心地が良さそうだ。そう感じざるを得ない武蔵坊であった。

     *  *  *

 集落の外縁にある一軒家で、二人は母の帰りを待っていた。
「本当に探さなくていいの?」
 影狼はいつもなら寝る時間であったが、この日は夜更かしを決め込んでいる。
「大丈夫。前みたいに、勝手に帰ってくるから」
「でも一人だと危ないじゃん。月光の人たちに頼まないの? すぐ見つけてくれるよ」
「駄目、そいつらには絶対に言うな」
 頑なに捜索を拒む幸成だが、決して楽観しているわけではない。むしろ影狼以上に落ち着きがなかった。
 畳の上に寝そべる影狼は、足をパタパタと動かしながらつぶやく。
「武蔵坊に頼めばよかったのに……あの人って本当に妖怪なのかな?」
「さぁな、自分で聞いてみな。とりあえず今日はもう寝ろ」
 冷たく返され、影狼はげんなりしてしまった。
 諦めて寝床へ向かう――と思いきや、座敷の隅一点を見つめて立ち止まる。それは呼び止められたかのように、衝動的であった。
 影狼の目を奪ったのは、一振りの小太刀。鞘からわずかに覗かせる刀身は、青白い光を放ち、透けているようにも見える。幸成の愛刀――海猫うみねこである。
「おい、それには絶対触れるなよ。危ないから」
「心配し過ぎだって」子供扱いされたと感じたのか、影狼はふくれっ面になった。「オレにだって剣術の心得はあるし、いまさらこんなちっこい刀で怪我なんかしないよ」
「海猫はただの刀じゃない。お前も分かってるだろ」今度は怖い顔をして、幸成は言った。「妖の亡骸から作られた――妖刀だ。使い方を誤れば、怪我じゃ済まない」
「はいはい、分かった分かった」
 そう言って影狼は寝床へ向かったが、従う気はさらさらなかった。本当に危ないのなら、子供の手の届かない所に置くはずだ。どうせ、幸兄は自分の愛刀を他人に触られたくないだけだ。
 母が帰ってきたのは、影狼が寝床へ向かって間もなくのことだった。
 何事もなかったかのように庭から入ってきた母を、幸成は少し叱ってやった。あまり効果はないと分かってはいたが。
 母が夜に家を抜けだすようになったのは四、五カ月前からである。いつもは影狼の帰宅の方が早かったが、今日は間に合わなかった。
「明日からもう少し早く帰らせるか」
 母の就寝を確認すると、幸成も床に就いた。

     *  *  *

 集落の一番上の屋敷では、二人の男が満月の夜を楽しんでいた。
 新参の妖怪は、素敵な住処を得てご満悦である。
「よっぽど信頼されてるんだな。オレって」
「どうかな、今夜限りかもしれんぞ」
 それが先程の放言を皮肉っているものだと、武蔵坊は感じた。
「なぁ、本当に話しちゃ駄目なのか? オレが妖怪ってこと」
「当たり前だ。鴉天狗は妖に蝕まれた者を助けているのだ。その元凶になっている妖怪を歓迎するわけがなかろう」
 もっともである。その上今は、鴉天狗だけでは手におえない状況だ。鵺丸は落ち着いた振る舞いだが、他の者からは緊張が伝わってくる。
「最初の侵蝕は殲鬼隊の中で確認された。なぜだか分かるな?」
 武蔵坊がうなずく。
「殲鬼隊は妖怪と接する機会が多かったから侵蝕も早い。妖から受けた傷口から、食べ物から、空気からも少しずつ邪気が入り込む」
「そして侵蝕されれば妖怪扱いってことか」
「そうだ、それは殲鬼隊でも変わらん。初めて侵蝕人を見たのは、妖怪があらかた片付いたときの事だ。妖に転じたのは、共に将軍の側にお仕えしていた友人だが……その場で、首をねられた。もちろん置き去りだ」
 酷い話である。妖怪を討ち滅ぼすために命を懸けてきた者の無惨な最期。鵺丸はこれを機に殲鬼隊を引退したのだという。
「斬られた友人の一人息子が幸成だ。引退した後は、残された者たちを養うだけのつもりだったが、そうしているうちに侵蝕人も助けてやりたくなってな」
 そして破綻の危機を迎えているのか――と武蔵坊は苦笑いを浮かべた。
「まずお主は同志の信頼を得る必要がある。手始めに幸成だ。年はお主と大して変わらん。気が合うと思うぞ」
 鵺丸はそう笑いかけたが、その黒光りする目は不安げに夜空を見上げる。
 邪気の騒ぐ夜。鴉天狗の行く末を案じずにはいられなかった。

     *  *  *

 幸成宅には、まだ眠りについていない者が一人いた。
 影狼である。
 寝たふりをして小一時間。家が静まり返ったのを見計らって、布団から起き上がる。
 向かったのは母の帰りを待った部屋。お目当てはもちろん海猫である。
 この妖刀に出会ってからもうしばらくになるが、寝る前に目にするとなかなか寝付けない。暗闇の中で光るあの美しい刀身が、頭から離れないのだ。おかげで夜にこっそり抜け出すのはもう慣れっこであった。最近抜け出すようになった母など、足元にも及ばない。影狼は一度もバレたことがないのだから。
 だがその自慢の記録は、今夜で途切れることになる。
 音を立てずにふすまを開けた、その時だった。
 影狼はもう一人、眠りについていない者を見つけた。
 幸成ではない。
 母でもない。
 ―――それは常人なら気付かないほどに、闇と同化していた……
「泥棒!」影狼はとっさに声を上げると、すぐ脇にあった刀を手にして打ちかかった。
 遅れて気付いた侵入者は間一髪でそれを受け止め、外へ逃げる――だが影狼がすぐに追いつき、再び斬り結ぶ。
 月明かりに照らし出された侵入者は、黒い忍装束をまとっていた。
「影狼か……少し相手してやろう」
「……?」
 名前を呼ばれた影狼の脳裏に浮かんだのは、鴉天狗お抱えの忍衆――月光。
 しかし侵入者は侵入者、捕らえなければいけない。再び打ち掛かる。鵺丸や幸成に鍛えられた剣術には自信があった。
「まて、影狼!」声の主は目の前の男ではなかった。「そいつは泥棒じゃない」
 騒ぎを聞きつけた幸成が、縁側に立っていた。忍装束の男が刀を納める。
山梔子くちなし、なぜお前がここにいる?」
「これは幸成様。夜分、恐れ入ります。恥ずかしながら任務の途中でこの通り、気付かれてしまった次第でして」
 男は影狼の方にあごをしゃくってみせた。
「任務だと? 月光の仕事は、侵蝕人の監視のはずだ。なぜうちにいる?」
「いえいえ、幸成様。いくらあなた様でも隠し立ては許しませんぞ」
 幸成の顔が引きつる。
 忍の者はやれやれといった様子で溜息をつくと、また口を開いた。
「あなたの母、泉様の事ですよ。あれほど邪気が多いのに黙っていたとは――もう少し発見が遅れていたら、危ない所でした」
「まさかもう……」
「終わりましたとも」
 たちまち幸成は色を失い、その場に崩れ落ちた。
 影狼はまだ何が起こっているのか、分かっていない。
「どういうこと? かあさんは侵蝕が進んでるんだよね。だったら月光の人たちが見張ってくれるんじゃないの?」
「………」
 すがるような目を向けられた山梔子だが、同情の念は一切ない。
「そんなのは建前だ。監視だけなら誰でも出来る」口を覆う布から、冷ややかな声が漏れた。「我々に与えられた任務は、侵蝕人を自然死と見せかけて葬ることだ。文句があるならあの方に言え。今回は……半分失敗だ」
 それだけ言い残すと、男は去って行った。

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