久しぶりにこのシリーズです。
タイトルの通り、今回もまたデリケートな話です笑
というかこのシリーズは基本、炎上しそうなことしか書かないと思います。
逆張りがしたいわけではありません。
本当に書きたいことを書こうとすると必然的にこうなってしまうんです。誰もが共感するようなことは多くの場合、すでに世間一般の共通認識であって、わざわざ自分が書くまでもないことですから。
世間と相容れない意見だからこそ、書く価値があると思っています。
それでは――大丈夫な方は続けて読んでいただければと思います。
結構長いです。
* * *
~性欲を忌避する社会~
毎日毎日――性犯罪、不倫騒動、セクハラ等、性の不祥事のニュースが流れてうんざりしますよね。
被害を受けた人の心の傷は大変なものだと思います。こんなことはなくなって欲しいと切に思います。
ただ、そのニュースに対する人々の反応を見るたびに私は違和感を覚えるのです。
犯人の性癖の異常さに焦点を当てる記事。
犯人の母に息子の性癖について質問する記者。
「気持ち悪い!」「教員試験に性癖検査を導入しろ!」「去勢しろ!」というコメントと高倍率のいいね。
性に関わる事件が起きた時、決まってコメント欄は犯人(ひいては全男性に対して)の性欲、性癖を非難・嫌悪する声で溢れかえります。中には中世かと思うような残虐なコメントもありますが、それすらも倍率十近くのいいねが付くことが多々あります。
それを目にするたびに、私は言いたくなるのです。
「それって本当に性欲、性癖の問題なのか?」と――
気持ち悪いから悪いのか?
性癖が特殊だから悪いのか?
性欲が強いから悪いのか?
違いますよね。
その行為によって、傷付いた人がいるから問題なのです。
非難されるべきは相手の気持ちを顧みずに己の欲求を満たすことを優先したその自己中心的な思考回路であって、欲求や性癖そのものを非難したところでなんの解決にもならないはずです。もっと変態な人、ぶっ飛んだ性癖を持った人なんて世の中にいくらでもいますが、ほとんどの変態は真っ当に生きています。
食い逃げした人、居眠り運転した人、詐欺を働いた人がいたとして、「食欲が悪い!」「睡眠欲が悪い!」「金欲が悪い!」とはなりませんよね。
どんな欲求でも利己的な方法で満たそうとすれば問題になります。欲求ではなく、完全に人間性の問題です。
なぜ性犯罪だけは、欲求そのものがことさらに悪者扱いされるのでしょうか?
※追記:「性犯罪 性欲」と検索すると、「性犯罪が抑えがたい性欲によるもの」「性欲はコントロールできない」というありがちな認識が、誤りであると多くの専門家、記事が指摘しています。ニュースなどではお決まりのように加害者が「欲求が抑えられなかった」「欲求を満たすためにやった」などと供述しますが、実際には支配欲やストレス解消がセットになっている場合が多いようです。
そういうマスコミの報道を見て、「性犯罪は性欲の強い人が起こす」と誤解してしまう人が再生産されて、延々と誤解がループしてしまっているのだと思います。
~かつては自分も性欲を忌避していた~
性欲を悪者扱いする風潮に異を唱えてみましたが、そんな私も子供の頃は無欲であることを美徳とし、特に性欲は唾棄すべき穢らわしいものだと考えていました(かなり酷い言いようですが……)。
恐らく、小学生の頃に好きだった三国志の影響なのだと思います。中国史には、酒色に溺れて堕落していく君主が多く登場するので、それが反面教師になったのかもしれません。反対に無欲と評された劉備は模範でした。その頃の私は、「欲」を生きていくうえで邪魔なものであると考える節があったんだと思います。
性を忌避する世間の空気感もかなり影響していたはずです。男は性欲が強いと言われていますから、男に生まれたことをよく思っていなかった時期もありました。
性欲が忌避されるべきものだというのなら、男は生まれながらにして忌避されるべき存在なのでしょうか? 自分も大人の男になったら、そんな目で見られることになるのかと思うと、大人になるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。いつまでも純粋な心を持った子供のままでいたいと願って枕を濡らしたこともありました(多分……)。
考えが変わったのは大学に入ってからのことです。
心理学で、欲求について学ぶ機会がありました。
フロイトの精神分析(エス、自我、超自我)、防衛機制(抑圧、反動形成、昇華など欲求不満時に生じる心理的メカニズム)
マズローの欲求5段階説。
などなど……
講義の中で、特に影響を受けたのは「欲求は抑えるのではなく、上手に付き合っていくべきもの(恐らく防衛機制の話で)」という言葉でした。
性欲含め、欲求全般を肯定的に捉えられるようになったのは、これがきっかけなんじゃないかと思います。
〜性欲について、現在の見解〜
所詮欲求は欲求でしかありません。それのみでは良いも悪いもありません。大事なのは欲求とどう向き合うかだと思います。
ただ、他の三大欲求と違って、性欲は基本的に他者に向かうものです。欲望に任せて二度寝しようが暴飲暴食しようが自業自得ですが、性欲の場合はそうもいきません。
他者を思い遣る心がなければ、相手を傷付けてしまいかねません。
だから難しいのです。だから、あたかも性欲そのものが悪いかのような印象を持たせてしまうんだと思います。
しかし他者に向かう欲求であるということは、相手を幸せにする可能性も秘めているということでもあります。実際、人は好意を寄せる相手に対しては特に優しくするものです。好きな人が喜べば自分も嬉しいし、好きな人が傷付けば悲しみ、怒ります。好きな人の利益は己の利益。好きな人の不利益は己の不利益(ジャイアン構文みたいになってしまった……)。思い遣りある人にとって性欲はむしろ、他者を大切にする原動力となるポジティブな欲求なのです。
性欲+暴力=性暴力
性欲+思い遣りの心=愛情
ざっくり言うと、こういうことになります。
ただ、食べ過ぎ、寝過ぎが良くないように、何事も度が過ぎれば悪い方に転がってしまいますので、ある程度自制心も必要でしょう。
先に挙げた色香に溺れた愚王たちも、見方を変えれば愛情深い王だったと言えなくもないですが、結局身を滅ぼしましたからね……
※性欲の定義について
性欲と言うと性交を思い浮かべてしまう人もいるかもしれませんが、ここで言う性欲とは「見たい」「触りたい」といったもっと根本的な感情に焦点を当てています。
そもそも人間の場合、性交という行為は本能に刻まれたものではなく学習によって覚えるものと言われているので、性欲=性交したい欲求とは言えないかと思います。
私も初めて性交がどういうものか知った時は、「変わった性癖だなぁ……」と思ってしまったくらいで、でも「見たい」という感情はとっくに芽生えていて……それって性欲ですよね。
性欲は幼児でも性質は異なれど持っているとされています。先に挙げた心理学者のフロイトは、性器性欲と幼児性欲とに分類していますが、ここではそれらを全部ひっくるめて性欲と呼ぶことにします。親子のスキンシップも全部含みます。
〜「エッチはいけません」と性教育〜
日本の子育ては性をタブー視する傾向がありますよね。子供が性に関する疑問を口にすれば「そんなこと聞くな」と怒ったり、はぐらかしたりする子育てが当たり前になっていて、子供たちは「エッチはいけないんだ」「知ってはいけないんだ」という価値観を刷り込まされます。
このことは性に対する忌避感を生むことで少子化をもたらし、さらには性に無知な大人を大量生産し、異性への無理解、軋轢の原因にもなっているのではないでしょうか。
性加害、性被害を防ぎたいのは分かりますが、手段が「性から遠ざける」では本末転倒です。
そもそも性欲も他の欲求と同じように、生きていく上で必要不可欠で、切っても切れないものです。なのに「エッチはいけません」なんていう矛盾したことを教えて世の中が上手く回るわけないじゃないですか。欲求のない人間なんてただの抜け殻でしかありません。
欲を抑えるやり方では限界があります。我慢するデメリットが上回った途端に暴発するのが関の山です。それよりも欲と上手く付き合えるように価値観、思考回路を整備する教育をすべきではないでしょうか。
結局のところ人間は動物なんです。
動物本来の特性を無視して生きていけるような超生物ではありません。
性欲は悪という考えを改めなければ、世の中はどんどんおかしな方向へ突き進むでしょう。
欲を抑圧する教育をやめ、共感力、思い遣りに焦点を当てた教育をするべきだと思います
。でなければ、未来の世代は愛なき時代を生きることになるでしょう。
幸い、最近では性を徒にタブー視せず、相手への思い遣りに焦点を当てた性教育が広まりつつあるようです。
文明が発展していく中でずっと止まっていた「性」の時が、ようやく動き出したかという感じです。
これが当たり前になるまではまだ長い時間が掛かりそうですが――
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