第45話:山の主

 土の中から這い出てきたのは、全身に蔓が巻きついた骸骨。
 五十体はいるだろうか――いずれもが槍や刀で武装している。
「なんてこった……こいつら全員、凩村の人なのか?」
「そのようだな。しかもどういうわけか、オレたちがここに来るのが分かっていたようだ」
 この骸骨兵を操っているのが妖木であることはもう分かっている。だが所詮は植物。待ち伏せをするだけの知能があるとは考えにくい。これまでのことから考えても、人が絡んでいることはもはや疑う余地がなかった。
 ドンッ!
 近付いてきた骸骨兵に、栄作が銃弾を撃ち込んだ。
 大口径の鉄砲の威力は凄まじく、骸骨の胸に大穴を開けたが、骸骨は少しよろけただけでまた歩き出す。
「やっぱりだ。こいつら、バラバラにしないと止まらねぇぞ」
 昨日の骸骨が一撃で倒れなかったのは、偶然ではなかったようだ。
 そこへ追い打ちをかけるように、周囲の景色にも異変が生じ始めていた。
「……なんか暗くない?」
 早朝に捜索を始めてからまだそれほど経っていない。それなのに、周囲はみるみるうちに夜のような暗闇に包まれていく。空を見上げてみると、ついさっきまで太陽だと思っていたものが、月にすり替わっていた。この異様な現象は間違いなく――
「くそっ……こんな時にまた幻術かよ!」栄作が喚いた。「もう周りの木は抜いたはずなのに、どうなってんだこりゃ」
 包囲された状態では退くという手も使えない。突破口を求めて、影狼は周囲を見回した。その時偶然、視界にあるものが映り込んだ。
「あの木……!」
 その視線の先では、あの紫色の花を咲かせた妖木が、一本だけそびえ立っていた。それも暗闇の中でも異彩を放つ、ここに来るまでに引き抜いてきたものとは比べ物にならないほどの巨木である。
「あれが原因か……だとしたら、あまり時間を掛けてはいられないな」
 そう言って、柳斎が大太刀を一閃した。すると次の瞬間、斬りつけられた骸骨兵が胴から真っ二つに裂け、さらにそこから生じた衝撃波が後続の骸骨を吹き飛ばした。
 予想外の威力に、影狼たちは絶句するばかりである。
「ここはオレに任せろ。お前たちは先に村に行って、あの木を切り倒しておいてくれ」
「了解」
 苦笑を浮かべながら、栄作は影狼たちを連れて包囲の外へと抜け出した。
 その後ろ姿を柳斎はじっと見守っていたが、背後の骸骨兵の気配に妙なものを感じて振り向き、驚きに目を見開いた。
 かつてこの村の住人だったらしいそれらの骸骨が、体から燐光を発し、生前の面影を蒼白く浮かび上がらせている。なにかを訴えかけるように、虚ろな目で柳斎をギョロリと睨みつけているのである。
 柳斎の瞳にほんの一瞬、動揺の色が浮かぶ。
 だが、それはすぐに消え、代わりに決意の言葉が柳斎の口から漏れ出た。
「許せ……お前たちの無念は、必ず晴らしてやるからな」

 生気のない村の中を進みながら、影狼は柳斎の刀のことを尋ねた。
「ああ、あれは妖刀だよ。オレも久しぶりに見た。普段は危ないから使わないらしい」
 職業柄、羽貫衆は妖を相手取ることも多いから、一本ぐらい妖刀があっても不思議ではない。しかし柳斎の刀からは妖刀特有の禍々しさがまったく感じられなかっただけに、驚きは大きかった。たいていの妖刀は一目見ただけでそれと分かるものなのだが――
 一つ、影狼には思い当たることがあったが、今は目の前のことに集中することにした。
 辺りには、昨日のあの紅茶のような芳香が漂っていた。あまり吸い込むと気が触れてしまいそうな気がして、自然と足が早まる。
 巨大な妖木はもう目と鼻の先。
 だが、民家の陰を抜けてやや開けた場所に出た時、意外なものが影狼たちの目に飛び込んできた。
 中央にそびえる巨木の傍に、人影が一つ、ポツンと佇んでいる。骸骨ではない。
「……村の人か?」
「いや、あんな奴知らんな」
 栄作の問いに、村のことを知る南蛇井は首を傾げる。すっとぼけた様子はない。そもそも、一年以上も魔境と化していたこの村に人がいること自体おかしなことなのだ。
 訝しげに見つめていると、人影が振り向いた。
 それは和尚帽をかぶった老境の男であった。
「我が庭を荒らすは何者ぞ」低いひしゃげたような声で男は言った。「沙羅幻樹さらげんじゅを育てるのに、どれほどの手間を掛けたと思っている!?」
 沙羅幻樹……? 引き抜いたあの妖木ことを言っているのだろうか――それならば、この老人は魔境を作り出した張本人だということになる。
「聞きてぇのはこっちの方だ」栄作が声を張った。「お前こそ何者だ? 村をこんなにしたのはお前の仕業か?」
「だとしたらどうする?」
「決まってるだろ。怪しい奴はふん捕まえて奉行所に引き渡す」
「できるかな?」
 挑発的な物言い。それにつられて栄作が鉄砲を構える。
 爆音がしたのは、それとほぼ同時だった。
「!?」
 栄作の鉄砲はまだ火を吹いていない。そもそも弾すら込めていないはずだ。
 代わりに、怪しい男のすぐ近くで煙が上がっていた。土の中から、なにか大きな影がむくりと起き上がったように見えた。
「なにあれ……?」
「猿? いや……デカすぎる」
 土煙が薄らぎ、浮かび上がったのは猿のような顔。だが図体は猿のそれとは比べ物にならない、人の倍ほどの大きさであった。どことなく、老いた猿がなると言われている妖怪――狒々ひひに似ている。
 その周りでは、猿のものであろう骸骨が跳び回っていた。
「ポン太郎! トモゾウ!」
 突然、南蛇井が狒々に向かって名前のようなものを叫んだ。
「知っているのか!?」
「かつて儂に反旗を翻した猿どもの頭じゃ。三年くらい前に死んだはずなんじゃが……それと、あんなにデッカくなかったはずじゃ」
 猿の世界でも権力闘争なるものがあるらしい。
 それにしてもおかしな話だ。凩村が魔境と化したのは一年ほど前。それより前に死んだ猿がなぜここに現れるのだろうか。
「沙羅幻樹は相手の心を写し出し、具現化することもできる」沙羅幻樹と呼ぶその巨木を優しく撫でながら、老人が言った。「庭に迷い込んだ猿で試してみたが、やはり猿が思い浮かべるのは猿のようだな」
 つまり、この二頭の狒々は村に迷い込んだ猿たちの想像上の産物らしい。他の骸骨兵と違って輪郭が鮮明で、そしてなにより大きい。
「来るぞ!」
 考える間も無く、狒々のうちの一頭が飛び掛かってきた。
 これを迎え撃ったのは太郎次郎である。己の倍ほどもある狒々に正面からぶつかり、動きを止める。
 人の限界を感じさせないその働きぶりに影狼は目を見張ったが、身動きが取れなくなったのは太郎次郎も同じ。そこへさらに二頭目が襲い来る。
「させるかよ!」
 轟音と共に、今度は栄作の鉄砲が火を吹いた。
 大砲のような威力を誇る銃弾が、狒々の頭を消し飛ばす。
「ギィィアアァァゴアアァァッ!」
 だが、狒々は不気味な鳴き声を発しながら、首からウネウネと蔓をのばし、失われた頭部を数秒のうちに再生してしまった。
「なんだこいつ……!」
 姿形は生きた猛獣だが、その正体はやはり植物の化け物。骸骨兵もそうだったが、この化け物どもに急所は関係ないらしい。
 頭部を再生した狒々はそのまま栄作に突進していった。
「こいつはオレが引き受ける!」栄作は決死の形相で指示を出す。「影狼と來で太郎次郎を援護してやってくれ!」
「了解!」
 指示を受けた二人は、狒々と取っ組み合う太郎次郎に迫る小猿たちを返り討ちにした。これくらいの相手ならば、腕力が未熟な彼らでも十分対応できる。
 問題は栄作の方だ。凶暴な二頭の狒々を引き離したまではよいが、一人で引き受けるにはやはり荷が重い。狒々は巨体の割に動きが素早く、栄作に弾込めする余裕を与えてはくれなかった。
 だが、頼れる助っ人は意外と近くにいた。
「どこ見とんじゃポン太郎! 儂と勝負しろやボケ!」
 南蛇井が狒々の頭にしがみつき、その顔を引っ掻き回した。大した傷にはならないが、狒々は鬱陶しそうに手で払おうとする。しかし南蛇井の敏捷性の前ではまったく無駄な足掻きである。
「やるじゃねぇか、爺さん」
 南蛇井が囮となっている間に、栄作は銃口に矢のような物を差し込んだ。そして油を染み込ませた草が巻かれた弾頭に、火を付ける。
 栄作が装填したのは棒火矢。戦国の世が終わる頃に考案された、筒で撃ち出す火矢である。植物の妖怪を想定して有り合わせの材料で作っておいたのだ。
「これなら再生できねぇだろ。鬼ヶおにがしまの威力、とくと味わいやがれ!」
 自慢の鉄砲の名を叫びながら、栄作は引き金を引いた。
 ドゴオオオオン!
 撃ち出された火矢が、緩やかな弧を描きながら狒々めがけて飛んでいく。
 だが――
「グオゥウフッ!?」
 矢は腹に一瞬突き立っただけで、すぐにポロリと落下してしまった。
 構造上の問題か、矢が重すぎたのか、木性の硬い蔓でできた体を貫くには威力が足りなかったのである。弾頭が通常の矢ほど鋭利でないことも響いたようだ。
 狒々は腹をはたいて、わずかに燃え移った火を消す。
「グォォォォオオオツ!」
 それから怒り狂ったような叫びを放って、栄作に襲い掛かった。
「爺さん、時間を稼いでくれ!」
「分かっとるわ! んあっ!?」
 南蛇井は狒々の注意を引こうとハエのように動き回ったが、とうとう弾き飛ばされてしまった。
 栄作はまだ装填が完了していない。無防備なところへ、狒々の体当たりが炸裂する。
「ぐあっ!」
 弾き飛ばされた栄作は何度も地面を跳ね、民家に激突して停止した。痛みに悶えながら顔を上げると、すでに狒々が覆いかぶさるほど近くまで迫っていた。
「エーサクさん!」
 栄作が飛ばされたのを見たヒューゴは、狒々の注意を引こうとピストルを何発か撃ち込んだ。非戦闘員にできるせめてもの助太刀はしかし、効果を示さなかった。
 そこへ、なにかが落下する音が彼の耳を打つ。
 落ちていたのは、栄作愛用の鉄砲――鬼ヶ島。体当たりで栄作の手を離れて飛んで来たようだった。
 弾頭はなおも激しく燃えているが、火薬はまだ込められていない。だがヒューゴは迷わずそれを手に取り、今まさに栄作を屠ろうとしている狒々に突撃していった。
 それに気付いた栄作が慌てて制止する。
「無茶だヒューゴさん! 逃げるんだ!」
 しかしヒューゴの足は止まらない。そして――
「ハイヤァーーー!」狒々の体に棒火矢が、銃身もろとも突き込まれた。『彪吾ヒュウゴ流砲術・弾頭直入だんとうちょくにゅう!』
 もはや火槍同然の使い方である。しかし確実に、炎は植物体の狒々に燃え移っていった。
「グギャアァァァァッッ!」
 堪らずに狒々が暴れ出すが、動けば動くほどに炎は勢いを増していく。挙げ句の果てには民家に突っ込み、収拾がつかなくなってしまった。
 栄作は危うく巻き込まれるところであったが、ヒューゴの肩を借りてその場を離れることができた。
「あんな使い方があったとは……一本取られましたな」
「タンレンのタマモノデス」
 無事を喜び合う二人。そこへ南蛇井も加わる。
「いい囮だったな。栄作さんよ」
 一息つくと、彼らの視線は残るもう一匹の狒々に向けられた。
 太郎次郎が狒々を押さえる間に、來が雲化を利用した無限投擲術――『浮雲去来手裏剣』で狒々を削っている。数が多かった小猿の骸骨は、大半が影狼によって仕留められていた。
 勝利は時間の問題であった。
「くっ……よもやこれほどとは」
 侵入者たちの予想以上の実力に、老境の男はたじろいだ。このままでは沙羅幻樹も彼自身もただでは済まない。なにか手を打たねばなるまい。
 悩んだ末に、男は妖木に一つだけ成った大きな丸い実に手を伸ばした。
 その実には大木の妖力を一つに詰め込んだような輝きがあり――
「なにをしている?」
「!?」
 突然、沙羅幻樹の反対側から低い声が響いて来た。
 男が怯んで動けずにいると、今度は横からなにか巨大なものが飛んで来て、樹に衝突した。
 それは太郎次郎と対峙していた狒々――
「柳斎! まとめてぶった斬れ!」
 次の瞬間、男は信じられないものを見た。
覇蛇はじゃ御太刀おんたち裂閃れっせん!』
 チリッとなにかが掠った音がしたかと思うと、沙羅幻樹が、狒々が、真っ二つに裂けて吹き飛んでしまったのだ。
 無惨に裂けた巨大な沙羅幻樹が、左右に分かれて倒れてゆく。その裂け目の先には、大太刀をひっさげた柳斎の姿があった。
 夜のように暗かった空が、ゆっくりと晴れてゆく。
 太陽に変わりゆく偽りの月が、羽貫衆と、彼らに囲まれた老境の男を照らし出した。
「勝負はついた。無駄な抵抗はやめて、大人しく縛につけ」
 柳斎に勧告され、男は唇を噛む。
 これまで羽貫衆を相手にできたのは沙羅幻樹があったからこそだ。彼自身にはなんの力もない。
 ―――終わり……なのか……?
 その時、男は足元に転がる丸いものを目の端に捉えた。
 沙羅幻樹の実。
「おい、なにをしている!?」
 突然男がしゃがみ込んだのを見て、栄作が声を上げた。
 しかし男はまったく聞こえていないようだった。なにかに取り憑かれたように、必死で丸いものにかぶりついている。
「止まれ! 聞こえねぇのか!」
 嫌な予感がした栄作は男に向けて発砲した。
 大口径の鉄砲で、それもしゃがんだ相手に対して急所を外すのは至難の技。死に至らしめるリスクを承知での発砲である。
 男は大量の血を吹き出してその場に倒れた。
 影狼が目を背けたが、男の姿はもう、人のものではなくなっていた。体中から蔓が飛び出し、倒れた妖木を吸収し、巨大ななにかを形作っていく。
「終わりはせぬ……私の、沙……羅……」
 意識が薄れる中で男は、大切にしてきたその妖木との出会いを走馬灯のように思い出していた。

 男の名は果心かしん崇伝すうでん。感情を持たないはずの植物でも彼には心を開く、とまで言われた凄腕の庭師であった。
 殲鬼隊がまだ活躍していた頃、ある大物が彼のもとを訪ねた。
「お主が崇伝か。噂はかねがね聞いているぞ。当世最高の庭師だとな」その人物は、崇伝におおらかな印象を与えた。「お主の才能を見込んで、一つ頼みがある」
 そう言って彼が侍従に運ばせたのは、草木に精通する崇伝ですら知らない木だった。
「宝永山から持ち帰った妖木の幼木だ。流石の崇伝も見たことがないだろう」
 小さいながらも強い生命力を感じさせるその木に、崇伝は一目で惚れ込んでしまった。
「ただの妖木ならば別に珍しくもなんともない。これが他と違うのは、妖術が使えるということだ」来客は興奮気味に語っていた。「妖術というのは怒りや恐れなど、感情の動きによって現れるものだ。感情を持たない植物が使えるはずがない。でもこの木は使うんだ。しかも珍しい幻術使いときた」
「感情を持った植物……ですか」
「そういうことだ。これをお主が手懐けたら面白いことになると思うんだ。どうだ? やってみないか?」
 それ以来、崇伝はその来客に仕えるようになり、沙羅幻樹と名付けた不思議な妖木を今日に至るまで大切に育ててきたのだった。

 晴れかかっていた空が、また光を失った。
 樹化した崇伝の体は、元の沙羅幻樹と同等の大きさになると、また人の形を取り始めた。枝のようになっていたものが手となり、根は足となり、それから顔がだんだんと浮かび上がっていく。
 影狼も、羽貫衆の人たちも、どことなくその顔に覚えがあるような気がした。
 ―――幸兄? いや違う。知らない人だ……でもなんとなく誰かに……
 面影を探すうちに、影狼は巨大な樹人が右手に持つ物を見て、我が目を疑った。だがやがて樹人が色付くと、もう疑いようがなくなった。
「あれは……誰? どうしてあの刀を……」
 柄の両側に刃の付いた小刀。それは、かつて柘榴から借りていた妖刀――雷霆だった。

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