第46話:記憶の化身

 柳斎、栄作、太郎次郎――彼らにはどうしても忘れられない、共通した記憶があった。
 彼らがまだ国士館の門弟だった、ある日のこと。
 柳斎たちは道場に集まって、いつものように他の門弟たちと稽古をしていた。
「勝負だ栄作!」
 壁際でぐったりしている栄作に挑戦状を叩きつけたのは太郎次郎。遅れて入門した彼もこの頃にはすっかり馴染んでいた。
「ああ? 百年早えよ。まずその雑な剣捌きをなんとかしろ。危ないから!」
「危ないのはいいことだって、先生なら言うぞ」
「危ない目に遭う相手の身にもなれや!」
 そう言ったところで、栄作はふとなにかを思い出した。
「そういや、先生はいつ帰ってくるんだろうな。もう半月くらい自主練続きだぜ」
 師範の竜眼は殲鬼隊隊長というだけあって相変わらず忙しい。しかし宝永の大噴火からすでに十七年が経過し、妖怪の掃討はかなり進んでいるはずだ。半月も任務が続くのは珍しいことだった。ましてや連絡もないことなど――
「なにか……あったのかな」
 近くにいた柳斎がぽつりと言うと、悪い予感が彼らの内を駆け巡った。
 朝から降り続ける雨の湿った音が、さらに不安を掻き立てる。
「なわけないだろ」そんな空気を栄作は吹き飛ばした。「先生は三大妖怪の覇蛇も仕留めてるんだぜ。今時それより強い妖怪なんているわけない。それに笹暮さんだって一緒だし」
 一年前に殲鬼隊に抜擢された笹暮は、竜眼が率いる二番隊に配属されていた。
 門弟たちにとってはまさに夢のような話である。二人で連携して妖怪を狩るところを想像すると、不安はなくなり、それどころか幸せな気分になれた。
「誰か来た!」
 と、そこへ――門弟の一人が叫ぶ声がした。
 聞きつけた門弟たちは稽古を中断し、開け放たれた戸口に駆け寄る。
「ほらな。多分先生だ。オレたちも行こうぜ」
 栄作たちも駆けつけ、外からやって来る者を見た。
 そこに居たのは、笹暮友晴。久しぶりの来訪に門弟たちは一瞬喜ぶが――
「さ……笹暮先輩!? 一体、どうしたんですか……?」
 明らかに様子がおかしかった。
 雨の中傘も差さず、血濡れた殲鬼隊の隊服も着たまま。
 ずぶ濡れになっているのに、柳斎たちは笹暮が泣いているのだとすぐに分かった。同時に、師範竜眼の身になにが起きたのかも――

 黒い殲鬼隊の隊服に赤の陣羽織。首の後ろで短く結われた癖毛。右手に持っているのは彼の愛用する妖刀――雷霆。
 後ろ姿を見ただけでも、柳斎はその者が誰であるかすぐに分かった。
「榊……先生……!」
 巨大な樹人として現れたのは、かつて柳斎らの師を務めていた男――榊竜眼だった。
 沙羅幻樹は相手の心を写し出し、具現化する――あの老人はそう言っていた。つまり今目の前にあるのは、この場にいる者たちの心が生み出したもの。一番心に残るものが、形をとって現れたものなのだ。
 十年越しにその姿を見て、流石の柳斎も一瞬心が揺らぐ。
 思い返せばこの妖刀も、彼から譲り受けたもの。笹暮に続く殲鬼隊員へと日々近付く柳斎に、期待を込めての贈り物だった。
 ―――こいつは、オレが直々に仕留めた覇蛇の尻尾から作られた刀だ。先っちょに向かうほど威力が増していく。間合いが武器のお前にはピッタリだと思うぞ……
 師との思い出に浸りながらも、柳斎は平静を取り戻し、大太刀を脇に構えた。
 教えによれば、相手が背中を見せているこの隙を逃す手はない。
『覇蛇の御太刀・裂閃!』
 夜のような暗闇の中で、柳斎の大太刀が白く閃いた。
 雷鳴のような轟音とともに、衝撃波が剣閃にかすめられた樹人を切り裂く。
 勢い余った衝撃波は突風となって、向かい側の影狼たちにも襲い掛かった。一番体重の軽い南蛇井はどこかへ吹き飛んでしまった。
「やったか……?」と栄作。
 風がおさまったところで視線を戻してみると、樹人は袈裟がけに大きく裂けていた。
 だがそれだけだった。樹人は裂けたままの状態で柳斎の方へ振り向き、雷霆をかざす。
「!? まさか……!」
 次の瞬間。雷霆から一筋の雷がほとばしり、柳斎を襲った。
 ドオオオオン!
 雷に打たれた地面がえぐれ、土埃が激しく舞い上がる。
「柳斎!」
 呼びかけに応答はない。代わりに樹人が振り向き、こちらにも雷撃を撃ち込んできた。
 栄作たちはパッと散開して、枝分かれして襲い来る雷撃を避けた。
「くそ……冗談じゃねぇ! でけぇし、死なねぇし、おまけに妖術まで……!」
 栄作がそう喚く間も、雷撃は絶えず撃ち込まれている。それは少し前まで影狼も使っていたのと同じ術だが、威力がまるで違っていた。
 影狼は横目で樹人の動きを確認しながら、民家の裏に回り込む。
 しかしその直前、來が雷撃を避けきれずに雲化したのが目に入った。
「!?」
 おかしい。來は雷を受けると雲化できないはずだ。実際に雷霆で試したことがあったから、まず間違いない。それなのに來は何事もなかったように……
 ―――また……幻術?
 気を取られていた影狼は、新たに飛来した雷撃に反応するのが遅れた。
 ガッ!
 全身に重い衝撃が走り、影狼は目を瞑る。だが予想に反して、痛みはほとんどない。それどころか、優しく包み込むような感覚があった。
「怪我はないか?」
 その一声で目を開けると、そこには柳斎の姿があった。間一髪で押し倒して、雷撃から守ってくれたようだ。
 すぐ後ろにあった民家には、なにか大きなもので穿たれたような穴が開いていた。
「無事だったか柳斎」栄作が息を切らしながら言った。「もう一度あの術でぶった斬れるか?」
「やれないことはないが、あと二発撃てるかどうかだ。無闇に使いたくない」
「そうか……じゃあ一旦退避だ」
 最初に柳斎が攻撃した後は防戦一方どころか、逃げ回ってばかりというありさまだ。このまま戦ってもジリ貧になるのは目に見えていた。
 一行は建物を盾にしながら撤退した。樹人の巨体では、簡単には追って来れないだろうと考えてのことだ。だが、ようやく雷撃が止んだところで振り返ってみると、樹人は次なる攻撃の準備に移っていた。
『雷霆・双雷そうらい!』
 雷霆の二対の刃からそれぞれ雷光が伸び、双身刀へと姿を変える。
 それから樹人は、邪魔な建物を雷光の剣で切り崩しながら追ってきた。
「急げ! 追いつかれるぞ」
 そう言っておきながらも一番遅れている栄作。狒々に突き飛ばされた時の痛みが、まだ残っているようだ。このまま追い回されたら体力が持たない。
「そうだ……! 來、あの術を」
 影狼は、來の雲化が樹人の雷撃で解けなかったことを思い出した。來の術が使えるならば、樹人の追撃を振り切る手立てはある。
「分かってる」
 來も一応は気付いていたようだ。ぷっくりと頬を膨らませ――
『妖術・雲海!』
 口から大量の霧を吐き出した。
「ほお……いい術持ってるな」
「まあね」
 樹人の追撃が止んだことを確認すると、來は栄作の賛辞に得意顔で応じた。

 古びた井戸の傍で体を休めながら、一行はこれまでに分かっていることを整理した。
「心を持たないはずの木がなぜ妖術を使えるのか、ずっと気になっていたのだが……ようやく合点がいった。あの妖木は、オレたちの心を利用して術を使っていたんだ」
 相手の心に依存するとなれば、使える術は限られてくる。そこまで思い至って、栄作もうなずいた。
「なるほどな。幻術を使うとは珍しいと思っていたが、それも必然だったってわけだ。じゃあ、あの雷霆の攻撃も全部幻なのか?」
「そう思って油断していたら死ぬぞ」柳斎は不覚を取った影狼に目配せした。「幻影に紛れて、奴は蔓による攻撃も仕掛けてくる。すべてかわすつもりでいた方がいい」
 來の雲化が解けなかったのも、雷撃が紛い物だったかららしい。柳斎がいなかったら、今頃影狼は蔓に刺し貫かれていただろう。植物ごときにまんまと騙されてしまったわけだ。
 悔しさを噛みしめながら、影狼は別の話を切り出した。
「羽貫さんたちは、あの人が誰か知ってますか?」
 樹人として現れた謎の人物。
 殲鬼隊の隊服の上に羽織っていたのは、鵺丸に見せてもらったこともある――隊長の証。妖刀を自在に扱うことも考えると、実は影狼にも少しだけ心当たりがあった。しかしこれまでの話からすると、もっとはっきり知っている者がこの場にいるはずだ。
 柳斎はやや迷ったが、栄作から「話してやれ」と言われてやっと口を開いた。
「名は榊竜眼。オレたち羽貫衆が通っていた道場の師範だ。そして妖派筆頭――柘榴の父でもある」
「……!」
 名を聞いたことがある――どころではなかった。容貌以外、だいたいのことは知っている。
 それもそのはず。竜眼は殲鬼隊の三番隊隊長で、宝永山の大噴火以降、最初に妖刀を使った人物として有名だった。
 ―――その竜眼が、柘榴の父……?
 以前、柘榴は少しだけ父のことを話したことがあった。父が侵蝕人になったことで、彼の一族は武士の身分を失ったと。影狼の知る竜眼の最期も、侵蝕を理由に仲間に斬られたということで一致している。そして柘榴から借りていた雷霆――
 断片的だった記憶が繋がり、ようやく実感が湧いてきた。
 同時に、竜眼が羽貫衆の師であったことにも考えが及ぶ。
「その……なんか、すみません」
 いけないことを聞いてしまったような気がして、申し訳ない気持ちになる。
「構わん構わん。早いうちに話しておこうと思ってたからな」栄作はいつものように明るく言ったが、ぽつりと本音も漏らした。「でも、こうやって幻影として出てきたってことは、割と引きずってたのかもな……オレたち」
 影狼は、羽貫衆の他にも竜眼のもとで修行を積んでいた人を知っている。
 笹暮友晴。現武蔵国国主で、鴉天狗の件でお世話になったこともある。彼の殲鬼隊時代の活躍も耳に入っているのだが、その一番の功績は――
「さあ、分かったら元の話に戻すぞ。あまりゆっくりはしていられない」
 影狼の思考はそこで断ち切られた。今は樹人をどう倒すかを先に考えなければならない。
「これはあくまでも推測だが、あの化け物を倒すには、核となっている種を壊す必要があるかもしれん」
「ほう……なぜそう思った?」
 結論から言った柳斎に、栄作が説明を求める。
「さっきオレが引き受けた骸骨がそうだったからだ。骸骨たちはいずれも、腹の中に種が埋め込まれていた。それを取り除かないうちは、いくらバラバラにしても死ななかった」
「それで、その刀の邪気を無駄遣いしちまったんだな」
「いかにも」
 ため息こそなかったが、柳斎は口惜しそうに歯噛みする。
「お前の心眼でも、種がどこにあるのかは分からないのか?」
「いや、だいたいの位置は分かる。骸骨も大きい猿も、腹の奥から身体の末端に向かって邪気が流れていた。流れの中心を突けばそこが種だ。だが榊先生に化けたあいつは妖力が強すぎて、近寄るほどに邪気が読めなくなる。勘で当てるしかない。大猿の時でさえ一か八かだったから、残り一、二発で当たるとはとても思えん」
 柳斎の口からそんな言葉が出るとは……それほど厳しい状況なのか。
 この霧の中なら、行方不明者の捜索だけして、後日出直すことはできるだろう。しかしここを離れている間に、近隣の人里が樹人に襲われる可能性だってある。引くに引けず、一同は頭を抱える。
 そんな中、控えめな声で沈黙を破ったのは影狼だった。
「あの妖怪を倒す方法、他にもありますよね」
 期待の眼差しを一斉に浴びて、また少し怖気づく。
 大したことではないのだ。というか、一人くらい気付いてもいいのではないかと思う。
「栄作さんの火槍でも、でっかい猿一匹倒しましたよね」
「ああ、こいつか」栄作は火槍呼ばわりされた棒火矢を、残念そうに見つめた。「これは火槍じゃねぇよ。いや、どっちにしたって同じか。かなり近付かないと刺さらねぇしな。どうだ柳斎? 刀の代わりにこれ持ってくか?」
「馬鹿を言え。そんなちっぽけな火ではどうせすぐ消される」
 ―――やっぱりか……
 おそらく、この中で樹人に難なく近付けるのは柳斎だけだ。栄作の鉄砲は重いから、大太刀と一緒に持って行くのは厳しい。鉄砲だけ持って行って効果がなかったら、敵に背中を向けて刀を取りに戻らねばならない。それは流石の柳斎でも危ないだろう。
 これで燃やすという選択肢もなくなった。だが――
「それなら、もう一つ方法があります」
「!」
 影狼は懐に収めていたものを取り出す。
 それは、いつだって切り札となって、影狼を守ってくれたものだった。
「この……海猫です」

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