第50話:笹隠れの才蔵

 善見山城がいつ頃築かれたか、はっきりしたことは分かっていない。しかし今日のような巨大な城郭となったのは、長尾影虎がこの地を治めていた時代だと言われている。影虎は越後の虎と称された戦国時代の武将で、甲斐の亀――武田たけだ陰玄いんげんとの名勝負はあまりにも有名である。
 影虎がその生涯において負け知らずだったお陰で、善見山城は一度も敵の侵攻を受けることなく平和な時代を迎えることになった。影虎の死後、天下人が次々と移り変わる中で、長尾家は越後の地を取り上げられたのだが、その時も善見山城には戦火が及ばなかった。
 そんな善見山城が今、本来の用途とかけ離れた奇妙な形で試されている。攻め手も守り手もない。敵味方入り乱れた斬り合いが城内各所で発生していた。
 戦況は先手を打った義氏派の圧倒的優勢。義弘派の指揮を執る色部は本庄の襲撃を受け、義弘に加勢しに行った者たちも新発田に阻まれた。義弘は味方の援護を得られないまま、三の丸で義氏派の攻撃にさらされていた。
 そこへ鴉天狗が現れた。まず月光の別動隊が南東の城門に放火し、義氏派の注意がそれた隙に、鵺丸率いる本隊が三の丸へ雪崩れ込んだのである。
「鵺丸様、よくぞおいで下さいました!」
 義弘の屋敷前までやって来た鵺丸を、老将が礼を以って迎えた。義弘派の中には鴉天狗受け入れに反対する者もいたに違いないが、鴉天狗の力なくしてこの劣勢を覆すことは不可能だ。わざわざ憎まれ口を叩く者はいないだろう。
「敵がどこに集まっているか教えてくれんかね。儂らは敵味方の顔を知らないのでな。場所で教えてくれるとありがたい」
「本丸、二の丸は敵が完全に制圧しております。恐らく義氏も本丸にいるでしょう。彼を討てばこの戦は我々の勝ちでございます」
「ほう……そこまで押されていたか。だが却って都合がよい」鵺丸はその黒い顔に微笑を浮かべる。「それならば、二の丸、本丸は鴉天狗だけで攻略いたそう。残った者は三の丸の守備に回すということでどうだ?」
「承知しました。この付近には味方も少なからず混じっておりますので、くれぐれも同士討ちにはご注意ください」
「うむ」
 鵺丸は上江洲、犬童、月光の代表者を呼び寄せ、二の丸、本丸への攻撃を命じた。
 そして自らは残った武蔵坊らと共に、三の丸の守備に就いた。

     *  *  *

 色部屋敷から各曲輪くるわへと続く通路では、新発田晴家と笹野才蔵が対峙していた。
「甘粕の少年、名前はなんて言うんだ?」
 才蔵は地べたに這いつくばる若武者に声をかけた。
「信忠です」
「そうか……信忠か。立てるか? こいつらはオレがやるから、お前は先行ってていいぞ。あ、そうそう。色部さんの所には無茶苦茶強い奴が行ったから大丈夫だ」
「分かりました。頼みます!」
 部下の肩を借りて、信忠は三の丸へ向かった。
「信忠を逃がすな! 奴は手負いだぞ!」
 新発田の兵の幾人かがその後を追う――が、瞬く間に笹の刃に斬り刻まれた。
「聞いてなかったのかい? お前らはまとめてオレが相手すると言ったんだ」
 才蔵の槍は一見竹に鉄の穂先を括りつけただけの簡素な造りだが、紛れもなく妖刀の類だ。鴉天狗のうち、殲鬼隊に所属していた四人が妖刀使いであることは、新発田も報告を受けている。
「その槍……殲鬼隊の時に使っていたものと同じだな? 妖の力が備わっていたとは知らなかったぞ」
「当然でしょう。私も知らなかったんでね。多分、妖の返り血を浴びる度に邪気を吸っていたんですよ。まあ、私が育てたようなもんです」
 笹野才蔵は武家としては非常に貧しい家庭に生まれた。そのため、竹の名が付く大型の笹――女竹めだけを加工してできた槍を、殲鬼隊に選出された後も愛用していたという。
 才蔵の名が知られるようになったのは、竹槍一本で妖怪に立ち向かう武勇ももちろんだが、三隊合同で掃討作戦が行われた時の逸話によるところが大きいだろう。
 殲鬼隊では人同士の合戦と同じように、持ち帰った妖怪の首でその者の働きを評価していた。しかし掃討作戦では敵が多過ぎたために、わざわざ首を取って持ち運ぶような余裕がなかった。そこで才蔵は、槍に飾り付けていた笹の葉を千切り、討ち取った妖怪の口に咥えさせ、目印としたのだ。そしてこの日、討ち取った妖怪の首は二十を超え、才蔵は見事戦功第一位の栄誉を手にしたのであった。
 だが、この逸話を快く思わない者もいる。というのも――
「才蔵……儂は憶えているぞ。貴様が儂の手柄を横取りした日のことをな」
「まだ根に持ってるんですか? だからあれはあなたの記憶違いだと言っているじゃないですか」
 実は才蔵の手柄については、多くの者から嫌疑がかけられていた。他の者が討ち取った妖怪に笹を咥えさせた可能性も十分にあり得るからだ。結局、首を横取りされたと申し出る人が首の数を超えたため、その時は才蔵が信用されたのだが、真相は闇の中である。
「ええい、もうよい! 貴様の首を取って此度の手柄にするまで!」
「へえ、許してくれるんだ。優しい先輩だ」
 才蔵が生意気な口を利き終わらないうちに、新発田は重量感のある大槍を振るって突進を仕掛けた。身を引く才蔵に対し、突き、薙ぎ、斬り下ろしと、鋭い連撃が繰り出される。
 新発田の大槍は穂先が二尺約六十センチほどもある。重心が偏り過ぎないよう、長大な穂先に合わせて柄も重く頑丈に作られている。扱うには相当な膂力を必要とするはずなのだが、彼はそれを軽々と振るっていた。
「まったく、どうして越後勢はどいつもこいつも馬鹿力なのかね。こんなのまともに受けたら、オレの大事な竹槍が折れちまうぜ」
 妖槍と言えど、才蔵の槍の強度は竹槍と大差ない。才蔵はあえて新発田の攻撃をそれで受けることはしなかった。軽快なステップでかわし続ける。
 だがそれも長くは続かない。次第に新発田の兵が周囲に集まり、とうとう才蔵は逃げ道を失ってしまった。
「どうした才蔵! 逃げるだけか!?」
「はいはい、今に見ていろよっと」
 逃げ場を失った才蔵に、新発田が渾身の一撃を叩き込む――その直前、才蔵の姿が視界から消えた。
 ブワッ!
 代わりに彼の居た所からつむじ風が起こり、巻き上がった笹の葉が囲っていた者たちに襲いかかった。
 籠手をかざして笹の葉の攻撃に耐える新発田。そこへ大きな影が落ちる。
「なっ!?」
 見上げた先にいたのは才蔵。つむじ風で自らも舞い上がったのだろうか、上空から新発田の心臓めがけて竹槍を突き出す。
 新発田は身を半転させてこれをかわすが、才蔵が槍を引き戻す時、なにかが左腕を引っ掻いた。
「ふっ……ざけるなクソ雑魚がぁ!」
 カッとなった新発田は大槍を力一杯振り回し、才蔵の竹槍を弾き返す。
「おおっと、危ない」
 竹槍にヒビ割れがないか、当てられた箇所を確認する才蔵。その槍の穂先から垂れ下がった笹の葉には、血がこびり付いていた。これが新発田の左腕を引っ掻いたらしい。
 竹槍が無事であることを確認すると、才蔵は竹槍をクルクルと回し始めた。たなびく笹の葉が、鎌のように見える。
「まともに打ち合ったら槍が持たないんでね、ちょっと卑怯な手を使わせてもらいますよ」
 途端、再び大きなつむじ風が巻き起こり、才蔵は姿を消した。
破竹ノ禍戈はちくのまがぼこ笹隠ささがくれ』
 左右前後上下、どこを見渡しても笹だらけ。近くにいたはずの部下たちの姿も見えない。
「今度は目くらましか。小賢しい……!」
「ですよねぇ」
「!?」
 その声に呼応するように、乱れ舞う笹の葉の隙間から槍が突き込まれる。
 新発田は反応が遅れた。彼からは、なにもない所から槍だけが突然現れたように見えたのだ。竹槍の穂先は右肩を掠め、引き戻される時に笹の鎌が肩を斬り裂いた。
「でも、言い訳は無しですよ。これがオレの戦い方ですからね」その声がどこから聞こえて来たのかさえ、新発田には分からなかった。「葉っぱに切り刻まれるか、竹槍でひと突きにされるか……どちらがお好みかな?」

     *  *  *

 三の丸前に辿り着いた信忠は、あまりの敵の多さに尻込みした。
 門の前は先に動き出した義氏派で完全に固められている。さらに、色部が狼煙で指示を出せなかった影響で、駆け付けた味方も少ない。
「無事だったか信忠!」
 と、そこへ聞き覚えのある声が掛かった。信忠が新発田を足止めしている間に、先に行っていた者だ。
「鴉天狗の人が駆けつけてくれたので、なんとか……他の人はどうしたのですか?」
「分からん。戦ってるうちにみんなはぐれちまった。この混戦の中だと長くは持たないだろうな」
「それはいけない。早く見つけ出しましょう!」
 そう言って、信忠は辺りを見回す――が、その瞬間。妙な胸騒ぎがして、信忠は反射的に刀を引き抜いた。
 二つの刀身がぶつかり、甲高い音が鳴り響く。
 斬りつけてきたのは、今の今まで味方だと思っていた男だった。
「な……なにをするんですか!? 落ち着いてください!」
「オレは落ち着いている。だからはっきり分かるんだ。このまま義弘側に付いていたら死ぬってな」裏切りの男は刀に力を込める。「悪く思うなよ。お前の首を手土産に、オレは寝返るぞ」
 考えてみれば、なにも驚くようなことではなかった。
 新発田に出くわした時点で、降伏を考えた者は少なからずいたはずだ。その時は周りの目があったのと、信忠が足止め役を買って出たことで降伏者は出なかったが、孤立した状態ならば迷わず降伏する人がいてもおかしくない。
 早く義弘様の所へ行かなければならないのに――信忠は腹立たしさと悔しさで歯を食いしばる。
 不意に裏切り者の刀が折れ飛んだのは、その時だった。
 左から右へ、なにかが目の前を横切った。右奥へ目を走らせると、矢が地面に大穴を開けて、深々と突き刺さっているのが見えた。なんという破壊力――信忠は、剛弓使いとして名を馳せた父虎泰の勇姿を思い浮かべたが、彼ですらここまではできないだろう。
「勝ち馬に乗った気でいるところ悪いけどよ、オレたちが来た以上、義弘とやらは負けないぜ。乗り戻すなら今だ」
 三の丸の塀の上に、筋骨逞しい腕をむき出しにした大男が現れる。
 武蔵坊――その野人のような風体は、やはり信忠に父の姿を彷彿とさせた。
「バ、馬鹿を言うな! たかだか二百程度の鴉天狗が加わったところで、この戦局が覆せるものか!」
「覆せるさ」
 武蔵坊は塀の上から大きく跳躍し、喚く男の隣に降り立った。そして門の前に固まる義氏派に向けて、弓を引き絞る。
「オレたち鴉天狗は、侵蝕人を守るためにもっと過酷な戦場を潜り抜けてきたんだ。こんな下らねぇ戦、とっとと終わらせてやる!」
 鋭い弓弦の音とともに、矢が放たれた。凶悪な破壊力を秘めた矢は、義氏派の兵の眼前を通り過ぎ――
 ズドォン!
「門が開いたぞ! 突撃ぃ〜!」
「あ、やべっ……」
 三の丸の門をぶち壊した。
 好機とばかりに三の丸に突入する義氏軍。だが、大きな衝突音がしたかと思うと、中に入った数人の兵がまとめて外へ吹き飛んだ。
「どけどけぇ! この上江洲様の前に立つ奴は、敵だろうが味方だろうがぶっ飛ばすぞ!」
 威勢のいい声を上げて出てきたのは長身痩躯の坊主頭。自慢の偃月刀を振り回しながら、本丸への道を駆け上がる。その後には月光をはじめとする鴉天狗の一団が続いた。
 義氏派の兵でひしめき合っていた三の丸前は、あっという間にスカスカになってしまった。
 気を取り直した武蔵坊は、信忠の方を振り返って言った。
「あんたも義弘の仲間だろ? 今のうちに入るぞ」
「は……はい!」
 ―――これが、鴉天狗……世の風潮に逆らい、侵蝕人を庇護する者たち……
 鴉天狗の心意気と圧倒的な実力を見せつけられ、信忠はしばらくの間、頭がぼんやりしていた。三の丸に入るまでは、武蔵坊の背中だけしか目に入らなかった。

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