第40話:居場所を求めて

 影狼たちが人気のある町に辿り着いたのは、翌日の夕暮れ時のことだった。
 髑髏ヶ崎館を抜ける時はお金しか持ち出せなかったが、町に一つだけのそば屋を見つけて、影狼たちはようやくまともな食事にありつけた。
 夜が明けると、再び歩き詰めの一日が始まった。
 途中で八幡宿の近くを通ることもあったが、町には入らなかった。人が多い上に、顔も知られている。おまけに妖派の駐屯地があるとなれば、立ち寄るわけにはいかない。
 しかし抜け道として使った裏山の上から、鴉天狗の集落は見ることができた。
 ここに暮らしていた人たちがみんな越後へ行ってしまったのだと思うと、世の中がこのひと月の間に急激に変わってしまったことが、身に染みて感じられる。
「ふ~ん……ここに住んでたんだね。鴉天狗の暮らしも案外悪くなさそうじゃん」
 今や無人となった集落を眺めて來がそう言った時、影狼はなんとも言えない気分になった。
 鴉天狗の侵蝕人は、集落の中でなら人並みの生活が保障されていた。戦を嫌う者にとってはこちらの方が住みやすいだろう。しかし天寿を全うできないのは奇兵と同じ。そんなことは、とても口には出せなかった。あるいは、來はこう見えて聡い方だから、あえて話す必要性を感じなかったのかもしれない。
 その日のうちに影狼たちは武蔵国に入った。そこから先は、メランの親子と旅をした時と同じ道だった。盆地の町に着いた頃には日が暮れていたから、さっさと必要な物を買い揃え、町外れで野宿をして一日を終えた。
 四日目の昼。ようやく平野が姿を現したところで、雨が降り出した。
 雨具の持ち合わせが無かった影狼たちは、近くにあった山小屋で雨宿りすることにした。
 小屋の中は前に来た時と同じで、四角い卓子と長椅子の他にはなにも無い。しかし屋根のあるところでくつろげるだけでも、影狼たちにはありがたいことだった。
 町で買った弁当を平らげてからしばらくの間、二人は卓上に伏してうとうとしていた。
「伊織はちゃんと奇兵に戻れてるかなぁ……」
 ふと、半目になった影狼の口からそんな言葉が漏れる。
 鴉天狗の捕虜を取り逃がして、伊織がただで済むとは思えない。雷霆を影狼から取り返したことにしておいて、罪を軽くするのが一応の筋書きだが、彼の性格からして正直に言ってしまいそうな気がしてならないのだ。
「心配要らないよ。ああ見えて、伊織は御屋形さんのお気に入りだからね」
「そっか……」微かに頬を緩めてから、影狼は話を変えた。「來は、奇兵に未練とかないの? 雲化の術使えばいつでも抜けられたのに、今までそうして来なかったのはなんで?」
 來は少し考えてから、窓の方へ視線をそらして答える。
「抜けたって、行く所ないからね」
「………」
 邪血を受け入れてくれる所なんてあるはずがない――そう思うのは、ごく自然なことなのかもしれない。しかしなぜだか影狼は、その裏にある事情を考えずにはいられなかった。
 鴉天狗に居たから分かる。たとえ邪血になってしまったとしても、家族ならば受け入れてくれるであろうことを。それなのに來の口ぶりは、その可能性すらバッサリと切り捨てているかのようで、どこか冷めている感じがした。
「どっち道、奇兵に居て不自由は感じたことなかったから、わざわざ出て行こうだなんて考えなかったよ」打って変わって、來は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。「勝正困らすのも結構楽しかったし」
「へ、へぇ……」
 そんな顔をされては、影狼も暗い気分ではいられなくなる。
 ともかく、奇兵でなくとも來の居場所はちゃんとある。羽貫衆の人たちなら、邪血でも分け隔てなく受け入れてくれるだろう。なにも心配は要らない。
 静かに降り続ける雨の音を聞きながら、影狼たちは再びまどろみの中に落ちた。

     *  *  *

 かつて幕府の拠点として栄えただけあって、武蔵国中心部の賑わいは目を見張るものがあった。
 その中でも河越は、舟運を通じた物流が盛んで、商人の町として独自の発展を遂げていた。川の両側にズラリと並ぶ商店。道を埋め尽くす人の群れ。目に入るものすべてが、甲斐国とは違って見える。
 影狼たちがまずやらなければならないのは、羽貫衆の人たちがどこに住んでいるのかを聞き出すことだった。その辺りは來に心当たりがあるらしいが――
 人の流れに身を任せて川沿いを進んでいくと、なにやら周囲と違った雰囲気の店が見えてきた。基本的な建物の造りは他と同じだが、所々に異国風の意匠が施されている。売り子たちは日ノ本の人ばかりだが、着ているのはやはり異国風の服。
〈舶来品店 米蘭〉
 上階にでかでかと掲げられた看板には、そう書かれていた。
「ここが……ヒュウのお店?」
「そう」來がうなずいた。「アタシも一度しか来たことないけど、分かりやすいでしょ」
 ヒュウが店を持っているという話は聞いていたが、その規格外の大きさに影狼は舌を巻いた。この店だけで、一つの市場に相当するのではないかとすら思える。
 すべてメラン諸島から仕入れたものだろうか。取り扱う品は多岐にわたっていたが、実用的なものよりは、記念に買っていくようなものが多い印象だ。
「あ、副店主さん」突然、來が売り子の一人に声を掛けた。「アタシのこと覚えてる? 前に笹暮さんと梅崎と一緒に来たことあるんだけど」
 副店主と呼ばれた男は目をパチクリさせてから、おお、と声を上げた。
「覚えておりますとも。確か、その服は私がお勧めしたものでしたな。気に入って頂けたようでなによりです。今日はお一人で?」
「ううん」來は品物に見とれている影狼を引っ張って言った。「ちょっとワケありなの」

 人に聞かれてはいけない話だと分かると、副店主は二階の部屋に連れて行ってくれた。
 影狼たちを背もたれ付きの座布団に座らせ、襖の向こうへと消える。それからなにやら話し声が聞こえたかと思うと、黄色い着物を着た女の人と一緒に出てきた。
「いらっしゃい、よく来たね」影狼たちと目が合うと、女の人は微笑んだ。「私はヒュウの母のみどりです」
 それは何気なく告げられた一言だったが、影狼と來は思わず顔を見合わせてしまった。
 頭の上で束ねられた黒い髪、目鼻立ち……ヒュウの母は、どこをどう見ても日ノ本の人だ。影狼はヒュウが日ノ本生まれであることは知っていたが、まさか日ノ本の人の血を引いているとは思わなかった。
 店の仕事に戻ると言って副店主が退出してから、影狼は挨拶を簡単に済ませ、ここに来るまでの経緯を話し始めた。
 ヒュウたちと別れてからのことは羽貫衆からそれなりに聞いていたようで、みどりは大して驚かなかった。鴉天狗が越後入りしたことも、巷で話題になっているらしい。
 羽貫衆の屋敷がここからそう遠くないことを教えてもらうと、影狼はもう一つ尋ねた。
「ヒュウは今居ないんですか? あと、ヒューゴさんも」
「二人はしばらく帰ってこないわ。幕府からお仕事をもらったみたいで」
 ヒューゴの職業は生物学者。以前ヒュウから聞いた話では、幕府からの依頼で侵蝕に関する調査もするようだ。どのような経緯でそうなったのかは疑問だが、とにかく大変な仕事なのだろう。久々に会えると思っていただけに残念だ。
 羽貫衆の屋敷へ出発する影狼たちのために、みどりは風呂と食事を用意してくれた。どんな時でも親切を忘れない心は、彼女がヒュウの母であるということを実感させるものだった。

     *  *  *

 商店街から外れた静かな通りに、広い敷地を持つ屋敷が建っていた。
 門の右手、煙突が立つ鍛冶場からは、槌を打つ音がひっきりなしに聞こえてくる。その奥にある母屋では、恰幅の良い男がせっせと料理をしているところであった。ジューと肉の焼ける音とともに、香ばしい甘い香りが調理場に漂う。
「飯だぞ~~~!」
 料理を皿に盛りつけると、男は屋敷全体に響き渡る野太い声で呼び掛けた。
 鍛冶場の方から返事があり、しばらくして頭に布を巻いた男がやって来た。
「遅いぞ!」
「悪ぃ悪ぃ。ちょっと手が離せなかったからよ」
 食卓に姿を見せたのは栄作と太郎次郎。いつでも出動できるように共同生活を送る彼らにとって、これが日常である。だが、それぞれの生業が異なるために、全員が食卓に揃わないことも珍しくない。
 この日は柳斎が一番遅かった。太郎次郎が再度呼び掛けても、返事すら返って来ない。
「なにしてんだあいつ?」
 気になった栄作が、肉まんを手に取って二階に上がった。
 柳斎の部屋はそれほど広くなかったが、置物が少ないのと窓が多いのとで開放感があった。柳斎はその奥で背を向けて、なにかを書いている。
 近寄り難い雰囲気だった。太郎次郎がドタドタと音を立ててやって来ても、振り返る気配すらしない。これには、長い付き合いの栄作も苦笑を禁じ得なかった。
「はは……見ろよ。相変わらずすげぇ集中力だな」
「おい!」
「飯だぞ」
 言うと同時に、栄作は肉まんを思いっきり投げつけた。
 出来心からだったのか、考えあってのことだったのかはさておき、この肉まん攻撃は効果てきめんだった。背面で肉まんを受け取ると、柳斎は僅かながら栄作たちの方に顔を向けた。
「邪魔をするな。今いいところなんだ」
「そんなこと言わねぇで、一緒に飯食おうぜ」呆れた顔で栄作は言った。「絵描くだけだったらいつでも中断できるだろ? オレだって刀打ってるところだったんだからさ」
「ただ描くだけじゃダメなんだ」真面目くさった顔で柳斎が応じる。「いい絵は明鏡止水の境地の中で生まれるものだ。感覚が研ぎ澄まされている今のうちに、オレはこの作品を仕上げねばならぬ」
「お前ならいつでもできると思うけどなぁ……」
 二人が話している間、太郎次郎は柳斎の手元にある絵を見ていた。
 未完成ながら、繊細なタッチで描かれた龍の絵には、見る者を唸らせるような美しさがある。だが、太郎次郎の口から出たのは唸り声ではなかった。
「あっ!」
「ん?」
 突然声を上げた太郎次郎に二人が振り向く。その視線を追うと――
 ポタ……ポタ……
 筆から滴る墨が、龍の頭を濡らしていた。
「………」
「わ、悪ぃ……」
 しばしの沈黙の後、柳斎はおもむろに紙を手に取り、変わり果てた龍の絵を見つめた。そして厳かに、蛮行を働いた栄作への判決を言い渡す。
「出て行け」
「悪かった。オレが悪かった。お前がこんなドジやらかすとは思わなかったんだ」
 栄作の必死の懇願にも柳斎は振り向かず、終いには決定的な一言を放った。
「顔も見たくない!」
 ―――出た……
 こうなってしまっては、どんな詫び言も彼の耳には届かない。ひとまず退散して、怒りが鎮まるのを待つしかない。
 だが、栄作が部屋を出ようとした時、再び太郎次郎が声を上げた。
「あっ!」
「今度はなんだ?」
 太郎次郎は窓の方を指差していた。
 恐る恐る外を見てみると、見知った顔の少年が正門の前で手を振っているのが目に入った。その背後には小柄な少女の姿もある。
 窓際に駆け寄る羽貫衆三人組。ついさっきまでの殺伐とした空気は、どこかへ行ってしまった。
「なぁ、柳斎よお……悪い事があった後には、やっぱり良い事がやって来るもんだな」
「ああ……それもとびっきりのな」ため息混じりに、柳斎は言った。「影狼に免じて、今日のところは許してやる」

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