第43話:魔境の村

 羽貫衆三人に來と影狼を加えた一行は、爺の先導に従って山道を急いでいた。
 ヒューゴには今、護衛が付いていない――思いがけずもたらされた情報によって、ヒュウは栄作たちの協力を仰がざるを得なくなったのである。
「今回ばかりは、お前の図々しさが役に立ったようだな」
「ああ……望んだ形ではないけどな」
 妙な胸騒ぎを感じながら、栄作は四足で前を歩く爺だけを見ていた。
 窃盗の罪を許す代わりに、爺にはヒューゴの捜索に協力してもらうことになっている。むろん、この爺の言うことを鵜呑みにするのは危険だが、この際手段を選んではいられない。日没まであとわずか。それまでにヒューゴを見つけ出さねばならない。
「ねぇまだ?」
 爺の首に括りつけた縄をグイグイ引っ張りながら、來が不満げに言った。
「うーむ、この辺だったと思うんじゃがのう……」
「おいおい、頼むぞ」すっとぼけた様子の爺に、栄作が念を押す。「オレたちまで遭難しちまったら世話ねぇぞ」
「こうなったら、しらみつぶしに探すしかないようじゃな」
「それじゃお前に来てもらった意味がねぇだろ」
 予想以上に爺が役立たずだったおかげで、早速雲行きが怪しくなっている。
 もっとも、なんの目印もない山中を探すわけだから、道に迷ってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。辺り一面どこを見渡しても、ただブナを中心とした林が延々と広がるばかりであった。
「おい爺さん」ふと、栄作の頭に疑問が浮かぶ。「さっきは魔境だとか言っていたが、どういうことだ? この先に、一体なにがあるんだ?」
「村じゃよ」
「村?」
 初耳だった。ヒューゴたちの居場所を聞き出すまでの間に、この周辺の村の話は何度か出ていたが、こんな山奥に村があるなどとは誰も言わなかった。
「下の村と大して変わらんちっちゃな村じゃよ」背を向けたまま、爺は言った。「少し前までは儂も仲間とよく遊びに行っていたもんじゃが、いつからかそこに行った仲間が帰って来なくなることが続いてな……それ以来、誰一匹として――」
「……どうした?」
 突然、足を止めて黙り込んだ爺。不審に思った栄作が声を掛ける。
「しまった……! ちと深入りし過ぎてしまったようじゃ」
「!」
 栄作は背後から人の気配が消えていることに気付いた。恐る恐る振り向くと、今の今まで付き従っていた者たちがいなくなっている。
「ジジイてめぇ……!」
 怒気を孕んだ目で前に向き直ると、爺の姿もない。
「ちっ、そう来たか」
 魔境に迷い込んだ彼らのために、さっそく何者かがお迎えに上がったようである。

 気が付けば影狼はただ一人、林の中に取り残されていた。
 最初にいなくなったのは、最後尾にいた太郎次郎だった。驚いて立ち止まっていると、今度は前から聞こえていた話し声が消えた。文字通り蒸発したかのように、周りにいた人たちが忽然と姿を消したのである。
「栄作さ~ん! 羽貫さ~ん?」
 一か八かで呼び掛けてみるが、やはり返事はない。それどころか、急に湧き出した靄のせいで視界が狭まっていく。さらには、どこからともなく漂ってきた芳香が眠気を誘う。
 そこから先はもう、意識がはっきりしなかった。誘い込まれるように、ふらふらとした足取りで影狼は林の奥へと進んでいった。
 しばらく行ったところで人の気配を感じ、顔を上げる。
 見覚えのある顔が、そこにあった。
「影狼。また喧嘩したのか?」
 源幸成――もうこの世にはいないはずの人。
 だが、目が覚めるまでは夢が夢であると気付かないように、影狼は彼がここにいることになんの疑問も持たなかった。
「よしよし、怖かったよね。悪いのは全部影狼だもんね」
 そう言って幸成が頭を撫でているのは、あの爺さんだった。
 鴉天狗に猫はいたが、そんな変な生き物は知らない。しかし今の影狼には、それがあるべき日常のように思えてしまった。
「あ、そうだ。今日は鵺丸先生が久しぶりに稽古をつけてくれる約束だったな」幸成が優しく顔をほころばせ、手を差し出す。「早く行こう。こんなこと、滅多にないんだから」
 幸成が誘うその先に鵺丸はいない。考えてみればおかしなことばかりなのに、影狼は気付かず、心の赴くままにその手を取る――寸前。
 手首になにか強い力が働き、影狼は幸成から引き離された。
「!」
 何者かが、手を引いている。
 姿は見えないが、右手首には確かに大きな手で掴まれた感触がある。
 影狼の意識はすでに元に戻っていたが、不思議とその手に抗う気は起きなかった。その大きな手に、なにか信頼できるものを感じ取ったのかもしれない。
 斜面を下るにつれて、立ち込めていた靄が薄くなっていく。そして突然視界が開けた、その先にいたのは――
「おう、無事だったか」
 栄作をはじめとする仲間たち。火縄を括りつけられた爺さんもちゃんといる。
 先程から姿が見えなくなっていたが、一人も欠けてはいなかった。隣を見上げると、そこには柳斎の顔があった。
「みんな、どこ行ってたんですか? 急にいなくなるから……」
「悪いな、一人にしちまって」栄作はバツが悪そうに頭を掻いた。「と言っても、オレたちも似たような状況だったんだが」
 疑問符を浮かべる影狼に、柳斎が問いかける。「なにか見たのか?」
「いつの間にみんながいなくなって、それから死んだはずの義兄さんが出てきて……」
 そこから先を考えると急にバカバカしくなって、影狼は口をつぐんだ。
「つまり、幻覚を見たと?」
「そうです」
 だんだんと、混乱していた頭が落ち着いてきた。
「やっぱりか」栄作が言った。「妖の中には、幻術を使って惑わしてくる奴もいる。今度なにか異変を感じたら、すぐに山を下りるんだ。オレたちはそうやって術を解いた。爺さん曰く魔境だからな。要はそっから出りゃいいんだ」
「影狼だけだよ。幻術に掛かりっぱなしだったの」
「むむ……」
 分かり切ったことを來に言われて、影狼は屈辱的な気分になった。
 幻術――実際に目にするのは初めてだが、まったく知らなかったわけではない。ここまで翻弄されたのは不覚である。
 ヒューゴの用心棒をしていただけあって、羽貫衆は流石の順応力だった。來の方はたまたま爺さんと一緒だったから回避できたのかもしれないが、対妖の経験では影狼を凌駕する。この面子の中では、影狼は足手まといなのかもしれない。
「さて、どうしたものか。他の対処法を見つけないと、この先へは進めないぞ」
「お前たちで考えておいてくれ。オレは先に行く。この奥にヒューゴ殿がいるとしたら、あまりにも危険すぎる」
 柳斎が険しい顔つきで山の上を見上げた。
 羽貫衆ほどの手練れでさえ、少しの間とはいえ影狼を無防備な状態に置いてしまったのだ。これが彼らより経験の浅い者となれば、どれだけ数がいても用をなさないだろう。
 爺の目撃情報が、いよいよ真実味を帯びてきた。
 そして次の瞬間、それを確信へと変える声が響いてきた。
「ウワアアアアアアアア!」
 パァン!
 悲鳴に続く銃声。それは間違いなく、ヒューゴのもの。
 だが、聞こえてきたのは魔境の方からではなかった。
「こっちだ!」
 柳斎に続き、全員が駆け出す。その間にも、日ノ本の言葉ではないなにかを叫ぶ声が聞こえてくる。
 ―――いる……すぐ近くに!
 急勾配と枯れ葉に足を滑らせながらも、影狼は夢中で声のする方へ走った。
 ヒューゴとその息子ヒュウに出会ったのは、鴉天狗の騒乱から逃れる最中のこと。見ず知らずの自分に、彼らは進んで手を差し伸べてくれた。
 変わり者の父と常識的な子。見た目に反してちぐはぐな親子だったけど、一緒に旅をしているうちに、お互い大切に思っていることが伝わってきた。そして影狼にとっても、すべてが変わってしまった人生に光を灯してくれた、かけがえのない存在だった。
 今度は影狼が手を差し伸べる時――
 再び悲鳴が聞こえ、影狼はその方を見る。
 目に入ったのはボロ布を身にまとった三体の骸骨と、それらに追われるヒューゴ。
「ヒューゴさん! こっちだ!」
「ドワアアアアアアッ!」
 栄作の呼び掛けに気付き、ヒューゴが羽貫衆の元に駆け込む。
 直後、柳斎が大太刀を引き抜き、太郎次郎が環刀を振りかぶり、栄作が鉄砲を構え、あとを追って来た骸骨たちをそれぞれ粉砕した。
「なっ!?」
 しかし骸骨の動きは止まらない。人なら即死するだけの損傷を負いながらも、砕けた骸骨のうち二体がヒューゴを追い続ける。
 それらを一瞬のうちに斬り伏せたのは、影狼だった。
 素早く抜刀した海猫で斬りつけてやると、骸骨は糸が切れた操り人形のように、ガシャリと倒れ込んだ。
 突然目の前に現れた少年を見て、ヒューゴは目を丸くする。
「ワタシはまだ……幻を見ているのデショウカ?」
「本物ですよ」ほっとため息をついて、栄作が影狼の肩に手を置いた。「あなたに会わせたいと思って連れてきたんです。まさかこんな形になるとは思いませんでしたが」
 途端、ヒューゴは影狼に飛びつき、子供のようにわんわんと泣き始めた。
 影狼が目の前で連れ去られてから、ヒューゴは深い悔恨に苛まれていた。羽貫衆から無事であることは聞いていたが、こうして再び会えた――それも窮地に駆けつけてくれたことが、ヒューゴの心を大きく揺さぶったのである。

 服装からして、ヒューゴを襲った三体の骸骨は、どうやらこの周辺に住んでいた人のものらしい。似たような麻の服を着た爺さんがそう言い出した。
 腐敗してなくなった肉の代わりに、いずれの骸骨にも蔓がびっしりと巻きついている。
「やっぱりこの山、なにかがおかしいな」
「なにがおかしい?」
「魔境と言い、この骸骨と言い、あとお前」
「んだとコラ!」
 栄作に飛び掛かろうとした爺さんが、首輪を引っ張られてじたばたもがく。そうしているうちに、骸骨に祈りを捧げていたヒューゴがおもむろに立ち上がった。その手には、猿爺から返してもらったV字のペンダントが握られている。
「ワタシに付き添っていた人たちの安否がワカリマセン。一緒に探してもらえないデショウカ?」
「もちろん」快諾しておいて、栄作は付け加えた。「ただ、今日はもう暗くなってきましたし、これ以上ここに留まるのは危険です。明日の朝早くにまた探しましょう」
「ハイ……お願いシマス」
 西の地平線では、すでに夕闇が空を侵蝕し始めている。
 闇が深まるにつれて邪気が濃くなっていくのを、影狼も薄らと感じ取っていた。山から吹き下ろす重い風が、彼らがその先へ向かうことを阻んでいるかのようだった。

     *  *  *

 ―――結界から抜け出した者が六人と一匹……
 太い木の幹に手を当てながら、その男は心につぶやいた。
 煌々と輝く満月が、男のいる地上を青白く照らし出している。周囲には人家らしきものも見受けられるが、どれも明かりが灯っていない。
 木々が茂る山の中だというのに、虫の鳴く声すらしない。なんとも異様な空間。
 ―――こんな山奥に大人数で押し掛けてくるとは、余程の物好きか、あるいは……
 そっと手を放し、大木を見上げる。
 秋も深まるこの季節。新緑の葉を茂らせるのはこの大木のみ。満開に咲く紫色の花は、見る者を一瞬で虜にするような魔力を秘めていた。
 ―――まあ良い。何人たりとも、我らが庭を侵すことはできぬのだ。夢に溺れ、ただ養分となるのみ……
 老境に差し掛かった顔に不気味な笑みを浮かべて、男は木に語りかけた。
「なぁ……沙羅さらよ」
 大木はなにも言わず、はるか上方から男を見下ろすばかりであった。

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