海猫を出した瞬間、柳斎たちの目の色が変わったような気がした。
「そう言やそうだな」と栄作。「骸骨なら影狼も何体か仕留めてる。狙って種を壊したとも思えねぇし、その刀になにか秘密があるのかもな」
「でもその刀、ろくに使えてないんじゃなかったの?」
來の言う通りだ。海猫が妖刀の力を発揮したのは、妖派から抜け出す際のほんのひと時だけ。それ以降はまったく術を使えていない。
しかしそこは、柳斎が補足してくれた。
「妖刀には、術の使用に関わりなく能力を発揮するものがある。伊織の刀は影狼も知っているだろう。あれが正にそうだ。危ないから普段は抑えているが、オレの刀も本来はその部類に入る」
伊織の妖刀――斬鬼丸は、癒えない傷を与える性質があると聞いている。
あまり役に立たないと言われていたが、この場にそれがあったらどれだけありがたかっただろう。名前の通り、妖怪相手に使ってこそ真価が発揮できる刀だ。
海猫にも、似たような性質があるのだろうか――
「影狼が海猫で骸骨を斬りつけた時、邪気が抜けて行ったような感じがした。骸骨の動きが止まったのはおそらくそのおかげだ」
「じゃあ、柳斎がその刀を持って行けば……」
栄作がそう提案した時、影狼の胸にまた悔しさがこみ上げてきた。
話の流れ的には、栄作の発想は当然だろう。一番実力のある者に強力な武器を集めるのは有効な戦術だ。しかしこれでは、柳斎一人に危険を背負わせるようでなんだか気が進まない。
「やっぱりオレじゃ……力不足ですか?」
昨日の夜。山の麓で待機するよう言われたところを、柳斎はついて来ていいと言ってくれた。一人前として認められたような気がした。それなのに今日も、柳斎に借りを作ってしまった。
やはり本当は足手まといなのか――そうならそうと、はっきり言って欲しい。
だが、柳斎の返答は意外なものだった。
「影狼。なにがあっても、足を止めないと約束できるか?」
「えっ? はい! もちろん」
「分かった。なら十分だ。オレと一緒に来い」
その言葉に、影狼ばかりか栄作たちも驚く。
「待て待て待て! 影狼はまだ子供なんだぞ。そんな危険な役目、やらせちゃダメだろ」
「そんな理由が通るなら、そもそも影狼はこの場にいない」柳斎は至って冷静だった。「それに笹暮殿は十四の時から殲鬼隊として第一線で戦っている。年は関係ない」
栄作は不安を拭えないようだったが、結局影狼の攻撃参加は受け入れられた。幻術に惑わされることさえなければ、影狼も持ち前の反応速度で雷撃を掻い潜れると判断されたのだ。それから作戦が話し合われ、來と栄作が援護、他は待機ということになった。
雲海の中を進みながら、影狼は柳斎に話しかけた。さっきの会話で、少し引っ掛かることがあったのだ。
「羽貫さん。もしかして、海猫にあの妖怪を倒せる可能性があること、気付いてました?」
「……薄々な」
「じゃあなんで、言わなかったんですか?」
「栄作と同じ理由だ。あいつも多分気付いていた。ただ、海猫の話が出たら、お前をこの役目に引きずり込むことになりかねないからな。お前の口から出るまで待っていたんだ」
柳斎も栄作と同じ考えだったとは――しかしそれを差し引いても戦力とみなしてくれたのは、影狼としては嬉しいことだった。
「オレとて、年端も行かない子供に危険な役目を任せるのは本意ではない。だがお前は、安穏な暮らしを求めて羽貫衆に来たわけではないのだろう? ならばこちらとしても、子供だからという理由で甘やかすわけにはいかない」
柳斎は重い責任を負いながらも、成長の機会を与えてくれているのだ。
強くならなければならない。羽貫衆の一員としても、鴉天狗の志を果たすためにも、こんな所で怖気づいてはいられない。
「手筈は分かっているな?」柳斎が確認する。「今度は真っ二つに斬り裂く。オレが斬ったら、お前は間髪入れずに腹の真ん中を突け」
「はい」
雲海に紛れて、影狼と柳斎は樹人から半町ほどの距離まで進んだ。
樹人にどれほどの五感が備わっているかは分からないが、この深い霧の中で勘付かれると危ない。柳斎の心眼も、近付き過ぎれば用をなさないという。
「そろそろいくよ」
「ああ、頼んだ」
それから來の秒読みが始まった。霧が消えた時が突撃の合図だ。
「三……二……一……」
ヂヂッ……
微かな放電の音とともに、ゆったりと漂っていた霧が一気に來の方へ収束する。
そして樹人竜眼の姿が目に映った瞬間、柳斎と影狼は駆けだした。
樹人は柳斎に斬られた傷を完全に修復していた。狒々の時もそうだったが、とんでもない再生能力だ。
突撃を仕掛ける二人を見つけた樹人は、大きな双身刀と化した雷霆を叩きつけた。
影狼たちは左右にパッと散開してこれをかわす。威力は大したものだが、雷撃に比べれば読みやすい攻撃だ。しかし本当に怖いのはかわした後だった。
舞い上がった土煙を突き破って、今度は雷撃が襲いかかってきた。
雷霆の刀身は雷の発生源。ということは、影狼たちは刀による攻撃をかわした直後に、さらに至近距離からの雷撃をかわさなければならないのだ。
影狼は後退しながら、追いかけてくる雷撃を順番にかわしていった。
竜眼の使う術を事前に確認していた分、冷静に対処できた。
この樹人が柳斎たちの心により生み出されたものならば、柳斎たちの知らない術は使ってこないはず。ならば教えられた通りのことを全力でやり尽くすだけだ。
「なんて奴だ……あれを全部目で見切ってるのか?」
建物の陰から見守っていた栄作が、信じられないという顔でつぶやく。
援護に回ったつもりがまったく割って入るタイミングが掴めず、そのまま影狼の奮闘ぶりに見入ってしまったのである。心眼で無駄なく雷撃をさける柳斎とは、また違った凄みがある。
「あいつは儂でも爪一本触れられんかった。あんなひょろひょろの攻撃が当たるものか」
そう言って背後から現れたのは、柳斎の術の巻き添えで吹き飛んでいた南蛇井。
言われてみれば、こいつとの駆け引きで柳斎はすでに、影狼の才能を見抜いていたのかもしれない。
―――もしかしたら、影狼にも柳斎や太郎次郎のような……
「!」
そこまで考えを巡らせたところで、栄作は反射的に引き金を引いた。
雷霆が地面にめり込み、樹人竜眼に一瞬の隙が生まれたのである。
栄作の鉄砲――鬼ヶ島から放たれた銃弾は、樹人の右手首に大穴を開けた。これで少しの間、あの巨大化した雷霆を振るうことはできないだろう。懐にさえ飛び込めばこちらのものだ。
影狼と柳斎は、この間に一気に樹人との距離を詰めた。
目標まであと十間――
だがそこで、思いもよらぬ攻撃が彼らを襲った。
『雷霆・膨雷!』
突如、樹人の周囲の地面が盛り上がり、影狼たちを包み込むように電撃が飛び出してきたのである。
「!?」
影狼が気付いた時にはもう、そのうちの幾筋かが足を貫いていた。
こんな術は柳斎たちからまったく聞いていない。鋭い痛みと混乱で、足がもつれそうになる。
「足を止めるな!」
そんな影狼を立ち直らせたのは、柳斎のらしくないほどの怒声だった。
―――そうだ……約束したんだ。なにがあっても足を止めないと……
足は貫かれてない。痛みもきっと幻だ。二度も三度も騙されてたまるか!
樹人や影狼たちを包む雷はとてもよけきれる数ではないが、実際に殺傷力を持っている蔓はそれほど多く混じっていないようだ。影狼は柳斎の背を追って、光の網の中を突き抜けた。
追いついた時には、柳斎はすでに大太刀を脇に構えていた。
『覇蛇の御太刀・列閃!』
柳斎が刀を振り上げた直後、衝撃波が縦に走り、樹人の巨体を真っ二つに斬り裂いた。
影狼は勢いそのままに、衝撃波が生み出した風の裂け目の中に飛び込んで行った。
樹人の傷口からは早くも蔓が伸び、修復が始まっている。
おそらくチャンスは一度きり。失敗は許されない。
「右だ! 右側を突け!」
背後から飛んだ声を受け、影狼は真っ二つに裂けた樹人の右片方へと跳躍した。
身長の何倍もの高さにある樹人の腹部に向けて、左腕をめいっぱい伸ばし――
「届けぇえええ!」
海猫を深々と突き込んだ。
傷口からまばゆい光が溢れ出す。その瞬間、影狼の心の中を、樹人竜眼に押し込められていた記憶が濁流のように流れ込んだ。
崇伝が沙羅幻樹と巡り会った日のこと。
柳斎たちや笹暮が、竜眼のもとで稽古に励んでいた日々のこと。
そして笹暮が、侵蝕人と化した竜眼と刀を交える運命を辿ったことも――
憧れの存在であり、夢を支えてくれた師でもあった竜眼を、笹暮はどんな思いで討ったのだろう。本当は嫌だっただろう。苦しかっただろう。でも、やらなければならなかったのだ。
いつか自分にも、その時が来るかもしれない。幸成の志を継ぐ者として、鵺丸と戦わなければいけない時が。
その時自分は――
ざわざわとした人の気配を感じ、パチッと目を開ける。
気が付けば影狼は、古びた民家の外壁にもたれかかっていた。
いつの間に眠っていたのだろうか。周りには柳斎、栄作、太郎次郎、來、ヒューゴ、南蛇井がみんな集まっている。
しかし樹人の姿はどこにも見当たらず、夜のように暗かった空もすっかり晴れていた。
「気が付いたか」
「羽貫さん……あの妖怪は?」
そばにいた柳斎は、黙って広い草地の真ん中を指差す。
そこにはあの大きな木が、元通りにそびえていた。しかし枝いっぱいに咲いているのは、邪気のまったく感じられない真っ白な花。これはどういうことなのか。
「アレは沙羅双樹デス」キョトンとする影狼に、ヒューゴが教えてくれた。「植物の妖怪の多くは、コノ世の植物が侵蝕で変異して生まれたモノデス。アレもソノ一つだったのデショウ」
それが元に戻ったということは、海猫で突き刺した時に邪気が消えたということになる。
柳斎はついさっきまで竜眼の姿をしていた沙羅双樹を、特別な思いで見つめた。
その木を見ていると、心の奥底にあった暗い記憶が少しだけ救われたような気分になるのだった。
魔境の中で朽ち果てた凩村にも、つい最近まで使われていたと思しき建物が一軒だけあった。
もちろん、思い当たる住人はただ一人。この村で生き残っていたのは沙羅双樹を操っていた老人しかいない。沙羅幻樹の記憶を見た影狼によれば、老人の名は崇伝。かつては竜眼に仕えていた可能性もあるという。
その住処を探れば、この村でなにが行われていたのかが分かると思ったのだが……
「ダメだ。なんも見つからねぇ」栄作がうんざりした顔で言った。「つーか、よくこんな所で暮らせたもんだな」
必要最低限の生活品。妖木の手入れに使われていたであろう小道具。箱詰めされた妖木の種。めぼしいものはそれくらいしか見つからなかった。新たに分かったのは、驚くほど質素な暮らしをしていたことだけ。
「それくらいにしておけ。オレたちの役目はもう終わったんだ。あとのことは幕府の者たちに任せようではないか」
羽貫衆が今日ここに来たのは、行方不明になった幕府の護衛役を探すためだ。村の探索はそのついでに過ぎない。というか、本来は首を突っ込むべきことではない。
ぐずる栄作を残し、柳斎は建物をあとにする。
「ほいっ、ほいっ、ほいっ!」
外では太郎次郎が、行方不明になっていた幕府の護衛たちをブンブン振り回していた。
地獄のブン回しから解放された者たちが、口からいろいろなものを吐き出す。
これは、飲み込んだ沙羅幻樹の種を吐き出させるためにやっていることだった。骸骨兵の体内からは一つずつ種が見つかっている。そのまま放っておけば、妖木の下僕にされるであろうことは想像に難くない。
ヒューゴ、影狼、來は凩村の人たちの墓に黙祷を捧げていた。
穢れが多いとして蔑まれ、山奥に疎外され、挙句の果てには妖木の下僕として果てた人々。彼らの境遇には侵蝕人と似たところがあり、鴉天狗育ちの影狼としては同情せずにはいられない。
なぜ彼らばかりがこんな目に遭わなければならなかったのか。一体誰がこんなこと……
大体の見当は付いていた。背後にあるのはあまりにも大きな存在。だからこそ幕府は秘密にしたがるのだろう。
ちらりと來の方に目を遣る。そう言えば、彼女がどのようにして奇兵になったのか、まだ聞いたことがない。もしかしたら――
「なあに?」
影狼の視線に気付いて、來が怪訝そうな顔をする。
「なんでもない」
―――やっぱり聞くのはやめておこう……
いつも通りの來の調子を見ると、ただの思い過ごしのような気がしてきた。どちらにしても、聞くのはすべてが明らかになってからの方がいいだろう。
「さあ行くぞ」
柳斎が影狼の肩をポンッと叩いた。
対等な仲間に向けるような柳斎の眼差しを受けて、影狼は誇らしい気持ちになった。
そうだ。オレはやり遂げたんだ。
今は胸を張って、ヒュウの待っている所へ帰ろう。
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