第29話:一騎当千

 松明をかかげた大軍団が、峠道を一列になってこちらへ向かってくる。茂みの奥からその様子を眺めて、影狼は鼓動がはやくなるのを感じた。
「来たぞ……あれが朝廷軍だ」
 隣でそうささやいたのは伊織。彼も興奮しているようだが、影狼とは正反対の感情を抱いているようだった。獲物でも見つけたかのようなその声は、彼が戦に生きる男であることを実感させる。さっきまで眠そうにしていたのが嘘のようだ。もちろん、影狼たちは前線に出ないよう言い含められているから、戦闘には加わらないのだが――
 朝廷軍の先頭が、大岩のある辺りを通過した。
 そこから先はもう奇兵の領域だ。いよいよ始まる。
 影狼は、前方の茂みから一つの影が飛び出すのを見た。
「あ……あの人!」
 飛び出したのは、影狼にも見覚えのある人物だった。
 いや、正確に言うと、見覚えがあったのはその人が担ぎ上げているものだ。巨大な金棒のような形をした妖刀――血海鼠である。
「一番槍はやっぱり清末か……よく見てろよ影狼。すごいのが来るぞ」
「えっ?」
 言われるままに目を凝らしてみると、すでに変化が始まっていた。
 清末が血海鼠を正眼に構えると、その金棒のような刀身がもぞもぞと動きだした。それから無数に生えていたトゲが肥大化していき、片側に寄って列をなす。もぞもぞが収まる頃には、血海鼠は大剣へと生まれ変わっていた。
 それは黒い翼のような姿をした異形の剣。
「一発……ぶちかますじゃき~!」
 訛りの強いしゃがれ声が、朝廷軍の警戒を誘った。前衛が清末の存在に気付く。だが、そこまでだった。
『血海鼠・森薙もりなぎ!』
 清末が奇声とともに大剣を薙いだ瞬間、猛烈な風が朝廷軍を襲った。
 道の両脇に生えた木々は根こそぎ引き抜かれ、人の幾人かが宙を舞い、列の一部では将棋倒しが発生する。一瞬のうちに、朝廷軍の前衛は壊乱状態となってしまった。
 そこへ待機していた奇兵が一斉に斬り込み、峠道は修羅場と化す。
「たったの一振りで……」
 影狼が衝撃を受けるのも無理はない。
「本物の一騎当千とは、あいつの事を言うんだろうな」伊織は羨望の眼差しで清末を見つめる。「これがオレたちの戦い方だ。奇兵は個々の力が戦局を動かす」
 清末の一撃から始まった乱戦は一方的な展開で進んだ。
 松明がほとんど飛ばされてしまったせいで、朝廷軍の前方は真っ暗闇となっている。味方の姿がはっきり見えないのは心細い。そうして朝廷軍がうろたえているところに、異形の者たちが襲い掛かる。
 統制がとれていなくても――むしろその方が奇兵は強かった。能力は十人十色。それぞれの持ち味を生かして敵を斬り伏せていく。不本意にも邪血となってしまった、己の運命への恨みを晴らすが如く、彼らは暴れ回った。
「どうしたのだ!? 一体何が起こっておる!」
 朝廷軍一万を指揮する高遠の顔が恐怖にひきつっている。
 兼定の軍にしては到着が早すぎる。他に敵の軍団がいるとも聞いていない。では一体、何者が朝廷軍を襲っているのだろうか。明かりを失った前列からは、阿鼻叫喚の声だけが聞こえてくる。
 やがて伝令の兵が馬を駆ってやって来た。
「頼卿様、鬼です! 鬼が出ました!」
「馬鹿者! このご時世に鬼なんぞ出るものか! いい加減な報告をするな」
「し、しかし……襲撃してきた集団は異形の者ばかりで、とても人とは思えません!」
「! まさか、甲斐の奇兵が……」
 うめくように高遠は言った。
 幕府勢力が妖の力を利用した軍隊を持っているという話は彼の耳にも入っている。あまりにも現実離れした話であったから半信半疑だったが、ここに至っては信じるほかない。
 顧みれば、戦況はかなり詰んでいる。前には奇兵が立ちはだかり、引き返せば兼定に勘付かれて、今夜の作戦が台無しとなってしまう。勘付かれないように松明の火を消せば、夜目の利く奇兵に斬り立てられてお終いだ。
 こんな時に総大将の海八はどうしてくれるのかというと――
「高遠君、約束通りここの指揮はあなたに任せるね」
「そ、そんな……私には荷が重すぎます!」
「大丈夫よあなたなら。じゃ、私はちょっと偵察に行ってくるから、一人で頑張ってね」
「あっ、海八様! どこへ行くのですか海八様!」
 うろたえる高遠を後に残して、海八はウキウキと心を躍らせながら前線へと馬を飛ばしていった。
 ―――やっと奇兵のお出ましね。その力、見せてもらおうじゃないの……

     *  *  *

 奇兵後方にて――戦場を見守る影狼と伊織の間に、何食わぬ顔で割り込む者があった。
「おい……なんでお前がここに居るんだよ?」
「だって、アタシ手柄とか要らないもん」
 その言い草は來に他ならない。なにやら適当な理由をつけてはいるが、要するに楽をしたいだけなのだろう。
「だからって、なんでこっちに来るんだよ。他の奴は命懸けで戦ってるんだぞ」
「別に、大丈夫でしょ。これだけ押してるんだから。むしろアタシなんかいない方がありがたいんじゃないの」
 もちろんこれも言い訳であるが、あながち間違ってはいなかった。
 血気盛んな奇兵は、獲物を奪い合うような戦いぶりを見せている。この条件下において奇兵は敵無し。信濃幕府軍の加勢がなくとも朝廷軍を壊滅させてしまいそうな勢いだった。
 ところが、伊織が説教を諦めて視線を前に戻した時、戦況は急激な変化を見せていた。
「なんだ……あれは……?」
 個々の力で戦っていたから、奇兵の隊列はもとから乱れている。しかしそれでも、遠目からでもはっきりと分かるぐらいの混乱が見られた。
 混乱の渦の中心に、妙な衣装を着こなした騎兵が一人。
「たった一人でこの中を……? ありえない……」
 その戦いぶりを見て、影狼たちは言葉を失った。
 敵中で孤立したこの男には四方八方から攻撃が浴びせられる。それも、人為侵蝕により人外の力を手にした者たちの攻撃。だが、男はほとんど回避の素振りすら見せずにこの中を潜り抜けていく。そして隙の大きい者を見つけては首を刎ねていく。
 皇国陣営から一直線に進んできたこの男の向かう先は――
「チッ……行くぞ影狼! ここに居たら殺られる!」
 危険を察知した伊織は、影狼たちを林のある脇道へと退避させた。
 影狼の安全を最優先するならば、これは間違った判断ではないはずだ。
 だが、伊織には知る由もなかった。奇兵に単騎で突入したこの男――海八が、どれだけの狂気をはらんだ人物であるかを。
「ふふ……威力偵察のつもりだったけど、ちょっとやり過ぎちゃったかしら?」
 西洋刀に付着した鮮血をべろりと舐め取って、海八はつぶやいた。
 周囲を取り巻く奇兵の顔には恐怖の色が浮かび、もはや戦意の欠片もない。脇道に逃げ込む者たちの姿が海八の目に留まったのは、その時のことだった。
「おや、どうしたんでしょうねぇ……あの人たちは」

「ねぇ、アタシ戻った方がいいかな?」
 戦場が見えなくなるまで逃げたところで、來が言った。
 本当なら前線で戦っていなければいけない身である。思わず伊織たちについて来てしまったが、ここに来て良心の呵責を感じ始めているようだ。
「もういいよ。お前が行ってどうにかなるような相手じゃない。とにかく今は、ジッと待ってやり過ごすしか――」
 伊織の声がそこで途切れたのは、峠の方から蹄の音が近づいてきたからである。
 振り向いて伊織は凍りついた。こちらへ向かって来るのは見紛うことなきあの男。
「なんなんだあいつは!? なんでオレたちを……」
 伊織にはそれなりの考えがあった。妙な男により一部混乱はあるが、奇兵の優勢はまだ変わらない。このような状況で朝廷軍が逃亡兵を追うことは下策中の下策のはずだ。
 だからこそ、こちらへ向かって来るその男の行動は、まったくもって理解できなかった。
「ダメですよ、奇兵が逃げちゃ。戦わない奇兵に存在価値はありません」
 海八の声を背中に受けて、伊織は己の情けなさに顔を歪ませた。
 戦の前はあれほど前線に立ちたいと思っていたのに、始まってみればこの体たらく。もはや自分は影狼のためではなく、ただ恐怖に駆り立てられて逃げているような気がした。
 ―――胸糞悪いが、あいつの言う通りだ。戦わずしてなにが奇兵だ! オレは命が惜しくて奇兵になったんじゃない!
 伊織は身を反転させて、妖刀斬鬼丸を引き抜いた。
「來! オレたちであいつを止めるぞ!」
「言われなくても」
 呼びかけられた時には、來はすでに準備万端だった。
 外套の裏に隠し持っていた小刀を左右の手に持ち、海八へ向けて一斉に投げつける。
「ふふ……そんなもので私を止められるわけないでしょう?」
 奇兵にしてはややおとなしめの攻撃。海八は苦もなく小刀を叩き落としていく。だが、叩き落とした小刀の本数が百を数えた時、彼はなにかがおかしいと気付いた。
「あなた……一体、何本それを持っているの?」
「十本だけど、なにか?」
 よくよく見れば、海八の足元には叩き落としたはずの小刀が一本も落ちていない。
 來は、叩き落とされた小刀を雲化し、手元に引き戻していたのだ。來の邪気が馴染んだ妖刀だからこそできる無限投擲術。名付けて『浮雲去来手裏剣うきぐもきょらいしゅりけん
 海八の防御を潜り抜けた小刀のいくつかが、馬に突き刺さった。
 それを見てとった來が、落馬するところを仕留めようと駆け寄る――が、いつの間にか海八の姿は消えてなくなっていた。倒れた馬の傍には、海八が使っていた西洋刀が落ちている。逃げたのかと來が気を緩めたところで、伊織が鋭く叫んだ。
「後ろだ!」
 振り向くと、背後に現れた海八が杖のようなものを振り下ろすのが目に入った。
 來はとっさに雲化して、難を逃れる。
「あら……結構いい能力持ってるじゃない。私の術とそっくり」
 來の術に驚く海八。その隙を狙い、伊織が一瞬で間合いを詰めて斬撃を浴びせる。
 強靭な脚力を活かした必殺の一閃は、完全に不意を突いたかに見えたが、海八はすんでのところでそれを受け止めた。
「あなたも……足速いのねぇ。剣の腕も悪くない。それだけの力を持っているのに、どうして私から逃げたのかしら?」
 海八はそう言うが、特異な力を見せつけられて驚いているのは、伊織の方だった。
 この男は自分の姿を消し去ることができる。どんなカラクリかは分からないが、奇兵軍団との乱戦で見せた動きから察するに、恐らく攻撃をすり抜けることだってできる。
 ―――あれは間違いなく妖術だ。だが皇国側の人間がなぜそれを……!?
 そんな疑問も浮かび上がる。しかし、ともかく今は目の前の戦闘に集中する必要があった。
 伊織は後方で立ち尽くしている影狼を、吼えるような声で怒鳴りつけた。
「ボサッとするな! お前は早く逃げろ!」
「……!」
 影狼はその声にビクリと反応したが、その場を動くことができなかった。
 この時、影狼の心には葛藤が生じていたのだ。どう考えても勝ち目のないような敵に伊織たちが立ち向かっているのは、ひとえに影狼を守るため。その思いに応えるならば、影狼はこの場を生き延びなければならない。
 しかし伊織たちを置いて逃げるのは、影狼の信条に反することだった。
 伊織たちの奮闘は早くも限界を迎えていた。近接戦で数段劣る來が、海八の集中攻撃を受けて雲化の術でも対応しきれなくなっていた。
 そして、伊織を出し抜いた海八が來に肉薄した時、影狼の迷いは消える。
 横合いから飛び出し、手に入れたばかりの妖刀で雷撃を撃ち込むと、そのままの勢いで影狼は海八に突撃していった。

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