第12話:赤髪の将

 右頬に痛烈な一撃を浴びた來は、囲いの兵を突き破り、外にまで吹き飛ばされていた。
 幕府の兵の間に動揺が広がる。
 完璧だったはずの來の守りが、妖術も使わない少年に打ち破られたのだ。
「來!」一番動揺しているのは、梅崎であった。「……貴様!」
 怒気のこもった足取りで影狼へ迫る。
「来ないで!」來が声を荒らげた。「……アタシがこんなひよっこに、負けると思ってんの!?」
 あれほど余裕な顔をしていた來が、気を高ぶらせている。
 彼女もまた、負けず嫌いであった。渾身の一撃を喰らいながらも、まだ立ち上がる。
 ―――やはり素手では駄目か……
 悔しそうな顔を見せたのは、影狼である。
 震える左手を抑えたまま、少しよろめく。
 來を殴った瞬間、体中を電撃が走ったのだ。気体から元に戻るときに來が放電したのだろうか――力が入らない。
 多分、次で決めなければ勝ち目はない。同じ攻め手を使うのも危険が伴う。
 場の空気とは裏腹に、形勢はまだ影狼の不利であった。
 頼れるのは妖刀海猫だけ。
 悔やむべきは、影狼が海猫本来の力を知らなかったことであろう。しかしそれでもこの妖刀は切り札と呼ぶにふさわしいものであった。
 いざとなれば助けてくれる――そんな心持ちで影狼は刀を抜いた。幸成の形見であるだけに、なおさら……
「そう来なきゃ」
 本気になった影狼を見て、來は頬を緩める。と同時に、影狼の利き手に少々驚いた。小太刀を握っているのは一番しびれているはずの左手。間違いない――左利きだ。
 影狼はすでに、次の一手を決めていた。
 ―――二の太刀で決める!
 フェイントを入れただけの簡単なものだが、手先の動きだけで操作できる小太刀ならではの早技。しかもクセの強い左利きとなれば、太刀筋も読まれにくい。十分通用するはずだ。
 來が先に動き出した。
 守ってばかりだったのに、意外である。
 しかし支障はない。むしろ好都合だ。攻撃を当てるつもりなら、そのままの姿でいなければならない――そこが狙い所だ。
 気を取り直したところで、影狼の顔めがけて小刀が二本飛んできた。
 ―――殺す気かよ!
 それはお互い様である。少なくとも來の方は、影狼がそれをかわせることぐらい分かっているようだ。少々危なかったが。
 一方の影狼は、妖刀を手に虎視眈々こしたんたんとその瞬間を待っていた。肩を入れ、小刀を避けた体勢がそのまま構えになる。
 スピードを緩めずに、來は一直線に迫り来る。
 今や遅しと待ち受ける影狼。
 間合いに――入った!
 そう思った時には、すでに來は消えかかっていた。
「!?」
 遅れて影狼は二連撃を放ったが、当たるはずもない。太刀筋を変化させた二撃目も、むなしく空を切った。
 そのまま濃密な雲となった來の影が、影狼の影と重なる。
 影狼が目にしたのはそこまでだった。
 視界が消え、次に電撃が影狼を襲った。
 影狼の視界を奪ったのは、反対向きに覆いかぶさったフードであった。來の着ていた外套が、影狼を包み込んでいたのだ。
 一部分だけを実体化させる――來の早技。
 時間差をつけて現れた來が影狼を蹴倒し、外套の袖で縛り上げる。
 それに抵抗するだけの力はもう、影狼にはなかった。
「はい、お疲れ!」
 男のようなツンツンとした髪を夕陽に照らし出し、來が影狼の敗北を告げる。
 三日間にわたる逃亡劇の終わりを告げる一言。
 それを聞くと、これまでの疲れが波のようにドッと押し寄せてきた。
 視界は真っ暗だが、影狼はさらに深い闇へと落ちて行く――まるで、これから当面するであろう現実から逃れるように……
 意識が薄れていく中で、ヒューゴの祈るような声とヒュウの叫び声だけが――むなしく響いた。

     *  *  *

 甲斐国。
 南に宝永山を有するこの国では過疎化が進み、南に向かうほどそれは深刻であった。妖の研究を行う妖派を除けば、好んでそこへ向かう者はまずいない。
 しかし宝永山からほど近いとある町に、今日は大きな人だかりが出来ている。
 道を挟むようにしてたかる彼らの中には、必死に身を乗り出す者もいれば野次を飛ばす者もいた。
「あれが妖怪の力を借りた兵か……なんとおぞましい」
「……見ろよ、あの先頭の奴! 髪が真っ赤だぜ!? ありゃ人間じゃねぇ!」
 野次の飛び交う道を、異様ななりをした軍隊が悠然と進む。中でも先頭を進む男の風貌は、およそこの世の者とは思えない。
 秀麗な顔立ちだが、その髪は血で塗り固められたかのように赤く、ちぢれている。
 妖派筆頭にして幕府四天王の一人――柘榴ざくろである。
「わざわざ見送りに来てくれるとは、オレたちも人気者になったな」
 小馬鹿にしているのか本当に前向きにとらえているのか、どちらにしてもこの赤髪の男は野次馬たちをさして気にしていない様子であった。
 奇兵きへい――侵蝕人で構成された妖派の私兵を人々はそう呼ぶが、この兵が戦地へ向かう時は、こうしたことがたびたび起こる。侵蝕人というだけで忌み嫌われるのだから、その上を行く奇兵が嫌われるのは自然な流れと言えるだろう。
「くたばれ外道め! お前らは妖怪と一緒だ。殲鬼隊がやっつけたと思ったら、また増殖しやがって」
 異形の兵団を前にして、果敢にも道の先に飛び出す者たちがあった。
 さすがに行く手をさえぎられては無視できない。後ろに控えていた騎馬武者が刀に手をかけたが、柘榴が押しとどめた。
「まあ待て。そんな事をしても事を荒立てるだけだぞ」
「しかし柘榴様! このまま奴らを放っておけば、軍の士気に関わるかと」
「……仕方ねぇな」
 一息つくと、柘榴はゆっくりと馬を進めてその一団と向き合った。
「どきな! オレたちは大事な大事な戦を控えてるんだ」
「し……知るかそんなもん! 幕府がどうなろうが、オレたちにゃあ関係ねぇ!」
 まさか大将が直々に出てくるとは思わなかったのだろう。一団のリーダーらしき男がしどろもどろで応じる。柘榴の視線を受けると、さらに後ずさりした。
「そうか……なら幕府――いや、奇兵のありがたみというのを教えてやろうか」
 柘榴は見物人たちに視線を移し、声高に叫んだ。
「いいかお前たち。一度しか言わないから、よく聞け! 此度の戦はお前たちの命運もかかっている。幕府が負けるようなことがあれば、この国は大変なことになるぞ!」
 見物人たちのざわつきがおさまった。
 彼らの内訳はただ好奇心から見に来た人、憂さ晴らしに野次を飛ばしに来た人など様々だが、概して世事に無関心である。だが自分の身にかかる事と言われれば、大抵の者は耳を傾ける。
「近年、南海や大陸側のいくつかの国が西欧諸国の手に落ちているという。西欧の奴らは邪教を広めて味方を増やしたり、内戦に首を突っ込んで内政干渉したりと、実に巧妙な手口で、内部から侵略していく。これと同じことが今、日ノ本でも起こっている。西欧の大国の手駒になって、この国を売ろうとしている奴らがいる」柘榴は少し時間をおいてから、言った。「我らが敵、皇国の事だ!」
「!?」
 全く予想しなかった話に、見物人たちは困惑した。
 彼らにしてみれば朝幕の争いは所詮国内の権力争いで、これまで繰り返されてきたものと同じだと考えていた。異国が絡んでいるというのは、庶民の想像の域を超えていた。
「皇国は幕府に対抗するため、西欧の大国――プロセインの力を借りている。そのプロセインというのが、熱心な事に軍隊まで送り込んでいるらしい。妙だと思わないか? 遠く海を隔ててやって来た国が、何の利益があって皇国に味方する? 答えは一つしかないだろう。莫大なお金を費やしてまで奴らが狙うのは、日ノ本の征服に他ならない!」
 その言葉が出た瞬間、見物人たちは目の色を変えた。
 異国による支配――それは日ノ本の人々が、未だかつて経験したことのない恐怖だった。
「五百年前の蒙句麗もうぐり襲来は知っているな? あの時は神風が日ノ本を救ってくれたが、今度はそうもいかない。今は皇国が侵略のお手伝いをしている有様だ。これでお分かりだな。そう、もし幕府が戦争に勝たなければ、この国は異国の手に落ちる。そして異国に支配された国の末路といったら、惨めなものだ。異人の為に働かされて、使えなくなったら捨てられる。家畜同然の未来が、お前たちを待ってるぞ」
 再びざわつく。
「幕府にはもう、皇国を止めるだけの力は無い! 奴らに対抗し得るのはオレら奇兵だけだ! その力を得るために我が身を捧げているのが奇兵だ! 忘れるなよ。オレたちに生かされているということを。オレたち奇兵が、この国を守っているんだ」
 辛辣しんらつな物言いだが、柘榴の言葉は聴衆の心に深く突き刺さった。
 野次馬たちが、それまで見下していた者たちに助けを求めなければならない状況になったのである。柘榴の言ったことは憶測の域を出ないが、彼らに恐怖心を植え付けるには十分だった。
「進め!」
 野次を飛ばす者はもういない。道を遮っていた者たちも、奇兵が迫ると力なく群衆の中へ引き上げていった。
 そこへ急使がやって来た。
「梅崎勝正よりご報告があります! 逃亡中の鴉天狗の一員を、武蔵国にて捕らえたとのこと。身柄はまもなく本部に到着する予定でございます」
「……來たちか。仕事が早いな」
 優秀な部下の、予定を狂わせるほどの働きぶりに柘榴は微笑んだ。
 先程の騎馬武者に兵の引率を任せ、自らはわずかな供回りを連れてその場所へと向かった。

     *  *  *

 奥の暗がりから、獣のようなうめき声が聞こえた。
 巨大な地下牢の壁面にこだまし、再び静かになる。
 ここには侵蝕人の中でも、特に凶暴化した者が集められている。そんな牢獄に、影狼は押し込められていた。
 後ろ手に縛られ、当然ながら海猫は没収されている。
 これから起こるであろうことは、未熟な彼にとってはあまりにも残酷であった。不気味な空間がさらに不安を掻き立てる。
 拷問、実験材料、処分――それが憎き相手への礼儀だ。妖派ともなれば、言葉通り想像を絶するようなことだってやりかねない。
 今の影狼にできるのは、それらを待つことぐらいなものであった。
 ふと、虚ろになった影狼の目に、鉄格子をすり抜ける煙が映った。
 ―――なんか来やがった……
 その心当たりのある煙はゆっくりと影狼の後ろに回り込み、そして――
「!? 冷たっ……!」
 幽霊のような冷たい手が、影狼の目を塞いだ。
「だ~れだ?」
「……知るかよ」
 あの外套の少女だ――名前は知らない。一緒にいた大男が來と呼んでいたが、知らないと言われても仕方がない。
 しかし、影狼の声にはそれ以上の響きがあった。
「……何? 怒ってるの?」
「別に……お前は妖派でオレは鴉天狗。それだけのことだ」
 虚勢を張って見せた影狼だが、正直な所、負けたという屈辱の方が大きい。
「まあ自業自得だね。アンタたちはうちの仲間を殺したんだから。こうなるって分かってて、なんであんなバカなことしたの? バカなの?」
「いや、オレはやってないって。あれはうちの代表が一人でやったことだから。しかも、多分侵蝕で魔が差してのことだし……」
「あらら……」苦笑いする來。「でも、だからって許してもらえるわけないじゃん?」
「……!? ぐぁ!」
 影狼に電撃が走った。
「ゴメン、魔が差した」
「お前なぁ……」言った側からこいつは――「分かってるよそんなの。お前も許さないからな……てか、なんなんだその妖術は?」
「これ?」
 再び電撃。
 影狼が抵抗できないのを良い事に、やりたい放題である。
「妖術と言うよりは、人為的な侵蝕で手に入れたアタシだけの体質だよ」
「侵蝕人か」悶えながら、影狼が言った。
「そんなダッサイ呼び方しないの!」
「?」
「邪な血って書いて邪血じゃけつ。うちではそう呼んでるから、覚えときな」
 ―――覚えときなって……いまさらそんな事を知ったところで、何の役に立つんだ?
 これから死に臨む者にとって、新しい知識など塵同然である。
 そんなことを考えていると、石張りの床を鳴らす、乾いた靴音が耳に入った。
「おっと……」
 來が消える。
 なんて便利な能力だ――そう思いながら、影狼はこちらへ人がやって来るのを待った。
 現れたのは看守らしき人物。
 懐から鍵を取り出し、檻の扉を開ける。
「出てこい、鴉天狗の小僧。御屋形おやかた様の所に案内してやる」
 ―――親方様? 早速か……
 何が待っているかは行ってみなければ分からない。恐怖を通り越して、影狼は好奇心すら抱いていた。

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