第4話:人である証

 幸成が海猫を手に入れたのは十五歳の時。
 その日幸成は、妖刀蒐集しゅうしゅうに夢中になる鵺丸に忠告したものだった。妖刀が妖怪の亡骸からできた刀である以上、使い続ければ当然邪気が移る。ほどほどにしなければ、身を滅ぼすことになると。
「まあ、そう堅いことを言うな。酒だって飲み過ぎれば体に毒ではないか。要は今を楽しむか、長生きするかだ」
「鵺丸様には長生きしてもらわなければ困ります」
「クカカ……それは嬉しいな」鵺丸は幸成の頭を撫でた。「だが、儂なんかがいなくなっても鴉天狗は安泰だ。優秀な弟子が揃っておるからな」
「………」
「お主も一つ使ってみてはどうだ? この間も物騒な事件があったではないか。奴らから身を守るためにも、妖刀は持っておいた方がよいぞ」
「要りません」
「邪気のことなら心配要らぬ」
 幸成が遠慮するのをよそに、鵺丸は棚をごそごそと漁り始めた。そうして取り出されたのが、瑠璃色の鞘に納められた小太刀――海猫であった。
「見ろ。こいつは妖刀にしてはなかなか美しい造形ではないか。妖力が弱過ぎて使い物にならんが、捨てるのももったいない。もらってはくれないか?」
 武人ならば、妖刀の持つ圧倒的な力に魅了されないはずがない。そうでなくとも、美しい刀には誰だって惹かれるものだ。結局幸成は、観賞用として海猫をもらい受けることにしたのである。

 風が吹き、庭に輪っか状に積み上げられた落ち葉がざわめく。
 その落ち葉の山の中心に、幸成は立っていた。妖刀海猫を脇に構えて。
 目を閉じると、とりとめのないことが頭をよぎった。
 最後の肉親である母の死。
 村正が来て以来、趣味が悪くなった鵺丸。
 鴉天狗の抱える問題の数々。憤る影狼。前向きな武蔵坊。
 だが幸成はそれらすべての感情、雑念を消し去り、心を研ぎ澄ます。そして静かに息を吐き、海猫を一閃した。
 その瞬間、再び風が、まるで呼び寄せられたかのように庭を吹き抜け、積み上げられた落ち葉を巻き上げた。最初、落ち葉はひらひらと宙を舞っていたが、急に落下速度を早めてボトボトと幸成に降り注いだ。葉の一枚一枚に、霜がついている。
「へぇ~、お前も妙な術使うもんだな」
 幸成は背後から掛かったその声に振り向いた。そこには武蔵坊の姿がある。
「見ていましたか……」
「見ちゃいけなかったか?」
「いえ、別に見られて困るようなものではありませんよ。ただ、鵺丸様には内緒でお願いします」
「ああ、いいぜ。うっかり口にしないとも限らないが」
 それから武蔵坊は、凍りついた落ち葉を拾い上げてまじまじと見つめた。
「それにしても、すげぇなこれ。妖術の類か?」
「うちでは妖刀術と呼んでいます」幸成は丁寧に説明してやった。「妖怪の中には、妖術という特別な力を使うものもいるのですが、その亡骸から作られた妖刀を使えば、私のような人間でも妖術を使うことができるのです」
「ほお~」
 妖怪の亡骸から作られたということは、殲鬼隊に所属していた鵺丸から与えられた物か、父の形見といったところだろう。鴉天狗にあってもなんら不思議はないのだが、勘の鋭い者ならば、その裏にある事情を考えずにはいられないだろう。侵蝕人を保護するための組織が持つにはあまりにも強大な代物だ。
 むろん、この時の武蔵坊はそこまで考えが及ばなかったのだが――
 ふと、屋敷の中から、軽快な足音が聞こえてきた。
「幸兄~、準備できたよ! って、あれ? 武蔵坊じゃん」
「おう、お邪魔してるぜ」
 木刀を片手に現れたのは影狼。意外な不法侵入者を見つけて、目をパチクリさせる。
 一方の武蔵坊は、影狼の木刀が短いことが気になった。
「お前も短い刀使うんだな。鴉天狗にも剣術の流派みたいのがあるのか?」
 そういえば、鴉天狗の中で太刀を佩いている者は幹部以外にほとんど見かけない。鵺丸も幸成も、外出する時は決まって短い刀を腰に差している。
「そんなところです」幸成が代わりに答えた。「元々、鵺丸様は小太刀術の達人として知られていたのですが、それがちょうど鴉天狗の方針と合っていたんです。暴走した侵蝕人を傷付けずに止めるには、加減のしやすい小太刀が適していると」
「それでみんな小太刀使えってなったのか」
「はい」
 幸成は語らなかったが、鵺丸にとって小太刀とは、己が人であることの証明でもあった。
 その容貌から、若い頃の鵺丸は妖怪だの侵蝕人だのと様々な因縁をつけられたが、斬りかかってきた相手を傷つけたことは一度もないという。小太刀の手ほどきを受ける時に聞かされた武勇伝だ。
 そんな鵺丸を、幸成は心から尊敬しているのだが、やはり最近のことを思うと不安になる。
 いつの間にか鴉天狗は変わってしまった。目的は変わらないはずなのに、鵺丸も他の者たちも、みんな物騒な方へと突き進んでいるような気がしてならない。もしかすると自分も――
「ねぇ、早く始めようよ」
「オレが相手してやろうか? オレは木刀で打たれても平気だから、殺す気で来てもいいぞ」
 急かす影狼に、とんでもないことを言う武蔵坊。
 なにやら物騒な稽古が始まりそうなので、幸成は慌てて止めたが、暗くなりかけていたその顔は、少しだけ晴れたようだった。
 彼らには変わらず純粋であって欲しいと、幸成は強く願った。

     *  *  *

 鵺丸の部屋に、今日は五人の男が集まっている。
 鴉天狗の中でも特に鵺丸が信頼を置く者たちである。その中には、忌引きから復帰したばかりの幸成の姿もあった。
「すまぬな。このような時に呼び出して」
「いえ、掟を破っておきながら、いつまでも休んでいるわけにはいきません」
「……あまり無理はするなよ」
 幹部たちの私語がひと段落したところで、鵺丸は話を始めた。
「今朝方、月光から報告があってな。例の噂の出所が判明した。妖派あやかしはの仕業だ」
 鴉天狗が妖怪を集めて幕府に刃向おうとしている――根も葉もないわけではないが、悪意のある噂だ。その出所を知って、幹部たちの間からは「やはり」という声が上がった。
 妖派とは、妖の軍事利用を進める幕府勢力の一派である。当初から侵蝕人の引き取りを巡って諍いがあったのだが、特に二年前の出来事は、幸成も当事者としてよく覚えている。
 事の発端は、鴉天狗が近辺に出没した妖怪を狩ったことである。それが偶然、妖派の施設から脱走したものだったらしい。どう考えても脱走を許した妖派が悪いのだが、それに因縁をつけた妖派は、間もなくして鴉天狗の集落に妖怪を送り込んだのである。幸い死者は出なかったのだが、幕府にこれを訴えても、証拠不十分として不問となった。
「幕府は今回もだんまりなのですか?」
「まだ幕府には知らせていないが、恐らくそうなるだろう」
 それを聞いて、丸刈り頭の男が立ち上がった。
「鵺丸様、もう我慢なりません。もし今回も幕府が動かぬようなら、やはり武力に訴えるべきです。幕府は我々が妖派に潰されるまで待つつもりですぞ!」
上江洲うえず……声がでかい」
 前髪の長い男が諌める。が、発言の内容そのものに異論はないようだ。
 他の者からも、なかなか反対意見が出ない。幸成はこの状況にため息をついた。ただでさえ侵蝕人の管理で手一杯なのに、まったく厄介なことになったものだ。
「私は反対です」幸成は言った。「幕府まで敵に回して、どうやって侵蝕人を守っていくのですか? 戦にでもなれば、無関係な人が大勢死ぬことになります。それは鴉天狗の信条に反することではありませんか?」
 少しの静寂をはさんで、向かい側に座った色白の男が口を開いた。
「確かに、無益な殺生は鴉天狗として避けねばならぬ。だがな、こちらがそのつもりでなくとも、向こうはそのつもりなのだ。己の利益のためなら人の道に背くことも平気でやる。今の幕府を動かしているのはそういう連中だ」
 元々、鴉天狗は引退した殲鬼隊員が集まってできた武闘派の集団。このような強硬な意見が多くなるのはそのせいだろうか。あるいは幸成の幕府に対する認識が甘いのか。
「だからと言って、そんな無謀な……」
「ご心配には及びません」忍装束に身を包んだ壮年の男が、幸成の言葉を遮った。「鴉天狗には幕府が羨むほどの戦力が揃っているではございませんか。それに、情報を制する者は戦を制すといいます。それはかつて将軍直属の隠密であった我々の、最も得意とする所。勝算は十分にございます」
 彼は月光の頭領――名を十六夜いざよいという。
 噂の出所を早期に突き止めたという事実が、彼の率いる月光の実力を証明していた。
「鵺丸様。ご意見をお聞かせください」
 色白の男が言うと、皆の視線が鵺丸に集まった。彼の御心ひとつですべてが決まるのだ。
 しばらく目を瞑ってから、鵺丸は答えた。
「お前たちの気持ちはよく分かる。だが、もう少し慎重になるべきだ。一度戦を始めてしまえば後戻りはできないのだから」
 それから立ち上がり――
「儂はひとまず妖派に直談判しに行く。帰って来るまでに、幕府と今後どう付き合っていくかを考えておいてくれ」
「はっ!」
 幹部たちを残して部屋を後にする鵺丸。そこへ幸成が駆け寄る。
「鵺丸様。妖派の所へ行くならば私がお供しましょうか?」
「うむ。粗相があっては困るからな、連れて行くならばお主が一番だ」
 返ってきた言葉は幸成を信頼している証。だがそれは、彼以外の者たちが、鴉天狗が、望まない方向へ向かっているということでもある。
 しかし、鵺丸が正道に踏み止まってくれていることが、今の幸成には嬉しかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)