第11話:妖派の実力

 影狼はメランの親子に付き従い、順調に旅を続けていた。
 長かった山道はいよいよ終わりを迎え、新しい世界が顔をのぞかせている。
 地平線の彼方まで真っ平らな大地。
 今日も一日歩き詰めだったが、盆地の町で思う存分くつろいだ甲斐あってか、影狼の顔色もよくなっている。この解放感がさらに疲れを吹き飛ばす。
 日光が少し陰り、辺りにはうっすらと夕暮れの気配が漂っていた。
「今日はこの辺にしよう」
 山小屋の手前まで来たところで、ヒュウが言った。ここで泊まるらしい。
 影狼は二人に続いて中へ入った。
 小屋の中は空であったが、隅々まで掃除が行き届いている。旅の者が自由に使っているのだろうか。
 ヒューゴが小屋の中に荷物を下ろす。
 地響き。
 町で買い物をしたおかげで、荷物はまた一段と膨れ上がっていた。ヒュウは店の仕入れだと言うが、目を見張るような買いっぷりであったから、この小屋も彼らの所有物なのでは? と勘ぐってしまう。
 追手に捕捉されているとも知らず、盆地に入ってからの影狼は割とのんびりしていた。
 明日の昼までには着く――そう聞いているからだ。仲間の境遇を考えると穏やかではいられないが、もはや身の危険は無いように思えた。
 気の緩みを引き締めたのは、馬のいななき声であった。
 戸の隙間からヒュウが外の様子をうかがう。奇妙な形をした取っ手を握ったまま、じっとしている。いまさらながら、影狼はその扉が日ノ本のものでないことに気付いた。やはりこの小屋――
 だが、今はそれどころではない。事態は差し迫っている。
「影狼、隠れた方が良いんじゃない? 幕府の人だ!」
 そうは言っても隠れる場所がない。影狼がもたついているうちに扉が大きく開いた。
 あわてて荷物の陰に隠れたが、その前に人が入ってきたので観念して外へ出る。そのせいで来訪者の目に留まってしまった。
 入ってきた男は、扉にスッポリはまるのではと思える程に体が大きい。影狼をしばらく睨みつけ、やがてヒューゴの方へ目をやった。
「お休みのところ失礼致す。拙者は甲斐国、来方こしかた家が家臣、梅崎うめざき勝正かつまさと申す。鴉天狗の者が貴方方あなたがたと同行していると聞いたが、そこの者で間違いありませんな?」
 男は再び影狼の方を一瞥いちべつした。
「ナンデショウ?」とヒューゴが聞き返したのは、しらを切っているからではない。今、彼の頭の中では単語が大暴れしているのだ。
「鴉天狗の人を探してるんだってさ。ほら、邪血を保護してるあの組織」
 そう耳打ちしたヒュウも、影狼が鴉天狗の片割れであることには気づいていない。
 ただ、この梅崎という男が、影狼にとって好ましくない相手であることは明白だった。服は妖派のものではないが、甲斐国所属ならばその仲間ということになる。
「その人は旅の途中で出会った流れ者でございます。鴉天狗の者は知りません」
「本当か?」
 梅崎が、今度は高圧的に問う。
 要人とはいえ、ヒューゴ父子は雇われ者に過ぎない。接し方は対等でも彼らを特別扱いする気はないようだ。
 ヒュウ父子は、わけも分からないまま彼に気圧されつつあった。
「本当だ」そう答えたのは、お尋ね者本人だった。
 みなの視線が影狼に集中する。
 貴様がそれを言うか! と言わんばかりに、梅崎がその方を睨みつけた。その眼差しに臆することなく、影狼も睨みかえす。
「そいつの言ったことに嘘はない。嘘をついてるのは、オレ一人だから」
 影狼の、隠し切れないと踏んでの自白であった。
「……よくぞ言った」
 梅崎の顔に喜色が表れる。
 もし無理に隠していたら、手荷物から鴉天狗の着物が見つかり、ヒュウたちも影狼の道連れとなっていたかもしれない。
 何も知らずに手を差し伸べてくれた彼らへの、せめてもの気遣いであった。
「ヒュウ、今まで黙ってて悪かった。オレはそいつの探してる、鴉天狗の人間だ」
「どういう事!?」
 ヒュウは焦りと驚きの入り混じった表情を見せた。鴉天狗と聞いただけでは、事態は呑み込めないようである。
「鴉天狗は今、妖派の敵なんだ。多分幕府にも睨まれてる」
 妖派に関しては元から敵のようなものだったが、これまでとは話が違う。大義名分を手にした今、妖派は鴉天狗を逆賊として消し去ることができるのだ。
 この連中は鵺丸の凶行に怒りなど感じていないだろう。むしろ大喜びしているはずだ。
「そういう事だ」梅崎が割って入る。「一昨日、鴉天狗の一団が妖派の駐屯地を襲撃した。そいつもその一人だ。引き渡して頂きたい」
 メランの親子への、非情な要求であった。
 多少の誤解は混じっているが、影狼は否定しない。それを言ったところで許してくれる相手ではないからだ。しかし自白したところで、むざむざ捕まる気もなかった。
 腰に手を回し、海猫を引っ張り出す。
 幸成からもらった刀。これだけは肌身離さず持っていた。
「頼んでどうする? 捕まえたけりゃ、力ずくで来いよ」
 ヒューゴらに頼んでも無駄。そういう意味を込めた威嚇である。
 影狼は自分でも驚くほどに強気であった。
「ピストル持ってるヨ」
「バカ!」
 ヒューゴがとんでもない物を取り出そうとしたが、あわててヒュウが押し戻した。
 それは、自分たちは引き渡しに応じないという意思表示である。
「いいだろう。そいつは生け捕らねばならんからな。ヒューゴ殿の手前、手荒な真似はしたくないが……こちらで何とかしよう」
 危険な眼光が梅崎から放たれた。
 小屋の中に緊張が走る。
 梅崎が刀の柄に手をかけ、影狼もそれに続く。
 先に動いたのは、梅崎だった。影狼めがけて突進する。その様は恐怖そのものだが、スピードは大したことない。
 影狼は梅崎を十分に引き付けると、中央の食卓をぐるりと回り出口へ飛び込んだ。
 始めからまともに斬り合う気などなかった。逃げるが勝ちである。まんまと引っ掛かった梅崎を影狼はあざ笑ったが、彼もまた意表を突かれた。
 外は幕府の兵で固められていたのだ。小屋の正面を囲うようにして並んでいる。
 その囲いの真ん中に、薄紫色の外套を身にまとった少女がいた。
 影狼がしり込みしていると、顔を真っ赤にした梅崎が、続いてメランの親子が飛び出した。
「あれ? あの服……」ヒュウが何かに気付いた。「うちの店の物だ」
 少女の外套。
 フード付きの特徴的なつくりと良質な生地は、メランの品で間違いない――しかしヒュウはその持ち主の少女に見覚えはなかった。
「客の顔を忘れるとは、不覚……じゃなくて!」商魂なるものが目覚めかけたが、ヒュウはそれを振り払う。「あんたら、子供一人相手にこんなのは卑怯だぞ!」
「罪人を捕らえるためだ。卑怯もなにもないわ!」
 梅崎は一歩踏み出し、刀を抜こうとした。
「待って梅ちゃん! こいつはアタシが捕まえるから」
「は?」
 影狼はポカンと口を開けたまま、突拍子もない事を言い出した少女の方へ向き直った。
 年は同じぐらいだろうか――背丈は明らかに影狼より低い。
 こんな奴が相手しようというのか?
 不思議なことに、梅崎はそれを聞き入れたのか刀から手を放した。囲っている者たちもただ見守るだけである。
 本気だ――いや、真に受けてはいけない。逃げ出すなら今しかない。
 無視して横に踏み出した影狼の前に、再び少女が立ちはだかった。
「どけよ、怪我するぞ」
「……自分のこと心配したら? 影狼くん」
 小馬鹿にしたような不敵な笑み。
 影狼は受けて立った。
 小太刀を腰にしまい、駆け出す。外套の少女も同時に駆け出す。
 徒手での応酬が始まった。互いに前腕を打ち交わすと、少女がたたみ掛けるような猛攻を浴びせる。
 さすが妖派といったところか。無駄のない、仕込まれたような身のこなし――確かに、ただの子供ではないようだ。
「刀使わないんだね」
「武器も持たない女に、刀向けられるかよ」
「……そう」
 くだらなそうに笑うと、少女は袖口から刃を突き出した。ぶかぶかの外套の下に隠し持っていたのだ。
 一瞬だけ影狼は怯んだが、結局刀は抜かない。なまやさしい相手ではないにしても、まだそれだけの余裕があるということだ。
 体術然り、ことさら身体能力においては影狼が何枚も上手である。
 暗器をちらつかせたことが、影狼を本気にさせる。
 気付けば少女は防戦一方になっていた。よけきれない攻撃を腕で止める――が、力負けしてよろける。その隙を、影狼は見逃さなかった。すかさず回し蹴りを叩きこむ。
 その一撃で勝負は決するはずだった。だが、信じられないことが起こる。
 少女の身体が、真っ二つに分かれた。
 ただし凄惨なものではない。
 蹴りの当たったはずのところが、煙となって消えているのだ。その煙は、振りぬかれた影狼の足を追うようにして、回し蹴りの軌道を綺麗に描いている。
 次の瞬間には、影狼は手痛い打撃をくらっていた。
 恐らくこの場に幸成が居合せても、肝をつぶしたことだろう。鵺丸ともまた違う。この少女の場合は、本当に体が変化したのだ。影狼の受けた打撃がその証拠である。幻ではない。
「なんだ……今の?」
 影狼より先に、見守っていたヒュウが驚きの声を上げた。
 梅崎は我が子を自慢するかのように答える。
雲化うんかの術。あらゆる物理的攻撃を無にする妖術。妖派の最も偉大な研究成果の一つだ。妖術を使えないあの小僧では、來には勝てん」
 來という少女は妖刀を持っている風でもない。肉体そのものが、妖の力を宿しているのだ。
 侵蝕を戦に応用する妖派。これがその力だというのか――
 こんなの――無茶苦茶じゃないか!
 心の中でそう叫びながらも、影狼は何度か打撃を浴びせた――が、手応えのあるものは一つとしてなかった。胴を狙った拳はすり抜け、頭を狙えば全身が煙となってまたどこかに現れる。
 こうなれば決闘を放棄してでも逃げるべきであっただろう。そちらの方がまだチャンスがある。しかし影狼はなかなか諦めようとしない。
 同年代で自分より強い者がいるということなど、認めたくないのだ。
 この点、影狼は人一倍負けず嫌いであった。
 感情的になる一方で、影狼はあることに気付いていた。
 ―――頭を狙った時だけ、こいつは違う動きをした。
 他の所を狙った時、少女はその部分だけを消していたが、頭を狙うとどういう事か全身を消すのだ。そして、その場から逃げるようにして離れたところで姿を現す。
 なぜだろうか――影狼はひらめいた。
 もしかしたら、少女はあの時目が見えていなかったのかもしれない。
 全身を消したのは恐らく、次の攻撃を目視できない――つまり、よけきれないからだ。
 一つ――やってみるか。
「まだ来るの? 頑張るねぇ」
 來は影狼の抵抗を面白がっているのか、隙だらけであった。だから次の一撃を叩き込むのにそれほど苦労はしなかった。
 懐に飛び込み、顔めがけて拳を投げつける。
 すると狙い通り來は姿を消し、一筋の雲となって後方へと逃げ始めた。
 これだ――影狼は瞬時に身をひるがえし、その後を追う。
 気体となった來はそれに気付いているのかどうか、まだ逃げ続ける。
 だがまさか、ずっと煙ではいられないだろう。
「!」
 不意に、影狼の拳が突き出された。
 疾駆の勢いをそのまま残し、全身を投げ出すような一撃。
 ヒュウたちからは、影狼が煙を殴りつけてから來が現れたように見えた。
 それ程に、影狼の反応は素早かった。
 こんな無茶をする者は多分、他にいないだろう。しかし影狼はやってみせたのだ。
 ―――大きな手応えがあった……

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