第27話:邪気の性質

 それは、はたから見れば奇妙な光景であったろう。あの影狼が、憎き柘榴に教えを乞うている。どうやら好奇心が敵意を上回ったようだった。幸成ですら教えてくれなかった妖刀術を今日やっと、教えてもらえる。
「なにから始めるの?」
「そうだな……」柘榴は、石台に置いてあった妖刀を手に取った。「まずはこいつで、妖術を使ってみようか」
「え……!? いきなり?」
 確かに早く使ってみたいという気持ちはあったけれど――
「妖術自体は今までも何度か見たことあるだろ? 剣もそれなりに使うらしいじゃないか。なら難しいことはない。それだけ条件が揃ってれば猿でも妖術が使える」
「猿でも……!?」
 そう言われればやるしかない。
 与えられた妖刀は柄の両側に刃のついた小刀で、少し錆びている。今まで使ってきた小太刀に近い分、手によく馴染んだ。視界に入った適当な木に狙いを定め――
 ビリビリビリ!
「ぎゃあ!」
 突然の電撃。影狼は奇声を上げてその場に倒れ込んだ。
 確かに術は使えたが、これではただの自爆。その妖刀が雷の性質を持っている事を、影狼は身を以て知ったのである。
「ククククッ、ハハハハ!」柘榴が馬鹿みたいに笑った。「なんだそれは? 猿でもそんなことにはならなかったぞ!?」
「仕方ないだろ!? どんな妖刀かも分からないのに、いきなり使えるわけないじゃん!」
 どうやら猿でも使えるというのは本当らしい。影狼は怒りと恥ずかしさに赤面した。
「仕方ねぇな……教えてやるよ。妖術のコツを」そう言って、柘榴は腰に下げた得物を引き抜いた。「実演を交えてな」
 葉脈のような紋様が刻み込まれた赤銅色の直剣。
 柘榴は水平に突き出したその剣先をじっと見つめ、静止する。そしてゆっくりと、舞が始まった。突く、斬る、払うを基本とした剣捌きに回転、跳躍の体捌き。緩から急、急から緩へ。日ノ本の剣術には見られない独特な動き。優雅で力強い剣舞であった。
「心得其の一。妖刀を己が手足の如く操ること」演武終了と同時に柘榴が言った。「妖刀というのは妖怪の亡骸からできた刀だ。つまり、妖怪はそれを自分の体の一部として使っていたということになる。だから人が使う時も、自分の手足のように使えなければ十分な性能を引き出せない」
 理屈は分かった。だが、言葉そのままの意味で受け取っていいのだろうか。
「とりあえず、妖刀を上手く振り回せるようになればいいの?」
「間違いではないな。上手く振り回せるということは、それだけ手に馴染んでいるということだ。最初のうちはそれでもいい。ただ……」柘榴は補足した。「妖刀の性能を最大限引き出すには、比喩ではなく、言葉通り手足のように使えなければならない」
 奇兵の中には、妖怪の体の一部を移植した者もいると聞いた。彼らは自分の体でなかった部位を、自分の体として使っている。妖刀を使うというのはそれと同じことらしい。
「その妖刀は手元に小さく収まる分、扱いやすいはずなんだがな。どうやらオレは、お前を買い被っていたようだ」
 そう言われて、影狼が不服そうに柘榴を睨みつける。
 だが柘榴はその視線に気付くと、満足そうに笑った。
「いい目だ。その感情が妖術発動の引き金になる」
「?」
 柘榴が剣を一振りすると、その太刀筋に合わせて紅色の花弁が出現した。
「心得其の二。感情の赴くままに妖刀を振るうこと」剣を振り回しながら、柘榴は話を続ける。「基本的に妖術とは邪気の放出。妖刀の場合は刀に内蔵された邪気を放出することで、様々な現象を生み出す。そこで邪気を操るために必要になるのが――感情だ」
 その言葉と同時に、剣が一閃された。
 柘榴を取り巻いていた花弁が、剣の振られた先にあった木を包み込む。そして次の瞬間――
鳳仙花ほうせんか蒴果繚乱さくかりょうらん!』
 爆竹のような音を立てて一斉に弾け飛んだ。
 木は文字通りの木っ端微塵。
「お前もよく知る侵蝕は、邪気が人の感情を動かしているわけだが、逆もまた然りだ。感情の高まりは邪気を動かし、妖術となって現れる」
 なるほど、猿でも妖術が使えるわけだ。むしろ理性が働かない分、猿の方が呑み込みが早いのかもしれない。
「とりあえずは今言った二つのことができていれば、妖刀術が使えるはずだ。多分、お前がつまずいてるのは二つ目だな」柘榴は、影狼が最初に狙った栃の木を指差した。「次はあの木を、お前が一番殺したいと思う人に見立ててみろ。実戦でも役に立つコツだ」
 今まで、そんな気持ちで剣の練習をしたことはなかった。敵を傷つけずに制圧するのが鴉天狗流の剣術だったからだ。少し気持ちの切り替えが必要だ。
 目を閉じ、息を吐く。そして心の中で一番嫌いな奴を思い浮かべてから、影狼は妖刀を突き出した。
 バリバリバリ! バチィ!
 その攻撃は一瞬だった。
 影狼の手元が瞬いたかと思うと、栃の木に向かって一筋の稲妻が走った。
 命中した箇所は樹皮がパックリと割れ、白煙を上げている。雷神影狼の逆鱗に触れた栃の木の、なれの果て――とばっちりではあるが……
 この見事な手並みには柘榴も大喜びだった。手を叩いて歩み寄る。
「……誰を思い浮かべた?」
「御屋形様」
「素直でよろしい」
 柘榴は咎めはしなかった。思った通りの返答であったし、先ほどの挑発もこれが前提だったのだから。むしろ、それを包み隠さず言えたのはよい傾向だ。
「これで基本はできたな。あとは想像力を磨くことだ。妖刀の力をどんな風に使いたいか。より具体的に、より鮮明に思い描くことで、さらに多彩で質の高い妖刀術が使えるようになる」
 影狼は雷の妖刀をじっと見つめ、人生初の妖刀術の余韻に浸っていた。
 だが、ふとなにかを思い出し、懐をガサゴソと探り出した。
「御屋形様」
「なんだ?」
「今のやり方で練習すれば、この妖刀も使えるはずだよね?」
 そう言って影狼が取り出したのは、青白い光を放つ刀――海猫であった。
「なんだそいつか。なかなかの上物だが、そいつは妖刀じゃないぞ」
「いや、絶対妖刀だよ! 義兄にいさんはこれで妖術使ってたから」
「幸成が妖術? それは初耳だが……確かに幸成の刀なんだな。貸してみな」
 柘榴は海猫の観察を始めた。
「ふむ、邪気はまったく無し。そもそも、見た目からして妖刀らしくないんだよな。こんな綺麗な造りでは邪気が寄り付かないはずだ」
「妖力切れじゃないの?」
「無駄だと思うが……まあ、試してみるか」
 苦笑しながら、柘榴は刀を左手に持ち替え、ぐっと力を込めた。
 すると不思議な事が起きた。
 柘榴の手元に黒い煙のようなものが現れ、グルグルと渦を巻きながら海猫に吸い込まれていった。不思議なことに、その煙は夜の闇の中でもはっきりと見えた。
「なにしてるの?」
「邪気を注入している」
「!」
 影狼はゾッとした。この黒い煙のようなものは、邪気そのものということらしい。
 よく見ると、その部分だけ空間が歪んでいるように見えた。
 邪気はこの世のものではないから、人の目には映らない――影狼はそう聞いた事がある。それが今目の前で、あの世とこの世の境を侵して姿を現しているのだ。
 それにしても、この光景を作り出している柘榴は一体何者なのか。
 邪気の注入ということは、人に使えば侵蝕が進むということだ。そんなおぞましい術を、この人は素手でやってのけている。まさかとは思っていたが、やっぱりこの人も他の奇兵と同じように――
「ダメだこの刀。ただの鉄の塊だ」
「えっ?」
 突然のギブアップで、影狼は拍子抜けした。
「こんな刀で妖術を使えるとは思えんな。なにかの間違いだろう」
 なんだか言い訳のようにしか聞こえない。さっきのはハッタリだったのだろうか。
「ふん、それじゃあ、妖刀術は幸兄の方が上手いってことになるね」
「なんとでも言え。鉄の塊で妖術が使えるのは妖怪くらいなもんだ」
 生意気なことを言う影狼を適当にあしらって、柘榴は片付けを始めた。
「もう終わり?」
「思ったより音が響くからな。これ以上やると、いろいろと不味い。あとは甲斐に戻ってから練習するんだな」
 皇国に奇兵の存在を知られないようにと、兼定から頼まれている。少々はしゃぎ過ぎたようだ。
「念のため言っておくが、妖力切れには気をつけろよ。さっき話した通り、妖術は邪気の放出だ。当然使っていくうちに邪気は無くなっていく」
「知ってるよ、それぐらい。使えなくなった妖刀だって何回か見たことあるし」
「ほう、さすがは元鴉天狗」
「でもその理屈でいくと、來みたいな邪血の人が妖術使いまくったら、いつかは邪気が抜けきって、普通の人に戻るってことにならない?」
 その質問に柘榴は感心した。普通の人なら、そんなわけないだろうと見過ごしてしまうような小さな可能性も、この少年は拾い上げる。
「よく気付いたな……けど残念ながら、そうじゃないんだこれが。抜けていった邪気は時間が経てば戻って来るから結局は元通り。いやむしろ、長い目で見れば侵蝕は悪化する。原因はまだ分かっていないが」
 やっぱりそんなものか――影狼は少しがっかりした。
「ちなみに、妖刀の場合も邪気はちゃんと戻って来るぞ」と、柘榴は続ける。「使い捨てに見えるのは、邪気の回復までに時間がかかるからだ。人だったら半日で元通りになるのが、妖刀は数カ月。ひどいやつだと一年以上かかることもある。いちいち人の手を加えて、回復を早めなければならない。まあ、所詮は妖怪の死骸から作られた刀。魂を持たない物に邪気は寄り付かないって事だろう」
 柘榴は松明にかがり火の炎を移し、影狼に手渡した。
 両手が塞がっていた影狼は、借りていた妖刀を柘榴に差し出す。
「これはどうするの?」
「そいつは貸してやる。自爆しても死なないように邪気は調整してあるから、お前でも安心して使える。雷霆らいていと言って、オレの父が使っていたものだ。大事に使えよ」
 夜の山道を一人で行くのは危ない。二人はそのまま、一緒に陣地へ戻ることとなった。
 道中、気まずそうにしている影狼を見て、柘榴は内心ため息をついた。
 ―――妖派が少しでも期待を裏切るようなことをしたら、オレは出て行くから……
 影狼はそう言った。
 これは、影狼が少なからず妖派に期待を抱いているからこその言葉だ。
 鴉天狗の件は難航しているが、影狼を手懐けることが出来れば、それ無しでも彼を妖派に引き留めておくことができる。そのためには影狼の待遇をよくすることが重要であろう。
 しかしそれでも、妖刀術を教えるのは度が過ぎている。
 今回の戦に影狼を呼んだのは、奇兵の仲間と一緒に戦うことで帰属意識を育んでもらおうと考えての事。死なれては困るから、その後は戦に連れて行かないつもりだった。影狼に期待しているのは戦働きではないのだ。あまり力を与え過ぎれば、己の首を絞める危険すらある。
 ―――あまり合理的とは言えないな。オレらしくもない……
 そう思いつつも、柘榴はこの甘い考えを捨てる事ができなかった。

     *  *  *

 夜遅くになっても、皇国の陣営では盛んにかがり火が焚かれている。
 昼間の戦闘で疲弊している者も多いが、なにぶん曇り空の暗夜である。夜襲を警戒しないわけにはいかなかった。
「喜兵衛め、次会った時にはハリネズミにしてくれようぞ」
 そう恨み事をつぶやいたのは、他でもない小笠原長矩。無様な敗戦と喜兵衛の嫌味を、未だに引きずっているようだ。恨み言の矛先は彼の指揮下の民兵にまで及んだ。
 隣では派手な軍服に身を包んだ男が、このみっともない指揮官をなだめている。
「一度負けたぐらいでふてくされるな。戦に勝敗はつきもの。負けたのなら、それを次に活かせばよい。何度でも立ち直れるのが我ら皇国陸軍の強みであろう」
 男の名は高遠たかとお頼卿よりのり。長矩と同じく朝廷軍の一連隊――五千の兵を率いる将である。その経歴は長矩と対照的で、皇国の軍制改革の中で頭角を現すまではまったく無名な武士だったという。
「そんな悠長な事を言ってる場合か! 信濃の攻略を始めて何年経ったと思っている!?」
 長矩が兵たちの眠りを妨げるような大声を出した時、本営の方からポロンポロンと琴を奏でるような音が流れてきた。
 その緊張感のない演奏に、長矩は腹を立てる。
「あの西洋かぶれは……この状況で、なにを悠長な事をしておる!」
「おい、言葉を慎め」
「うるさい! 元はと言えば、あやつが西洋の真似事なんぞ始めたからこうなったのだ。質の悪い軍を作るだけ作っておいて己は指揮を取らない。だからこうして儂が恥をかくことに……」
「確かに変わった御方であるが、海八殿が皇国を強くしたのは事実だ。我らは信じてついて行くのみ」
 高遠は一部同意しつつも西洋かぶれを擁護した。彼が出世できたのは軍制改革のおかげなのだ。
 西洋かぶれこと柴田海八は、その蔑称に違わず西洋一色の身なりをしていた。
 向こうでは流行り始めているらしい茶褐色のコート。平たいつば付きの帽子。手にはリュートと呼ばれる弦楽器が握られている。
 陣中とはいえ、見るからに戦意のなさそうな服装。部下から気味悪がられるのも無理からぬことだ。
 リュートの弦を弾いて、海八は栃波山を興味深そうに眺めやる。
「感じる……あの向こうに同志がいる。ふふふ、どんな血なまぐさい戦になるか、楽しみね」
 いわくありげなその言葉は夜風に流れて、誰の耳にも届かなかった。

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