第34話:殲鬼隊の鬼

 犍陀多かんだた――それが武蔵坊の父の名だ。
 故郷の大滝村では、父が妖怪であることを隠し続けていたが、名前くらいは村の誰もが知るところであった。だから武蔵坊も、他人の口からその名が出ることにいちいち驚いたりはしないはずだったのだが、今回ばかりは事情が違った。
「親父のこと、知ってんのか!?」
 犍陀多の名を口にしたのは鴉天狗の、それも一度も言葉を交わしたことのない男。その名を知るはずがない人だった。
「いや、噂で聞いた程度だ。お前が犍陀多と似たような術を使うもんだから、気になってたんだよ」
「噂って……どこでそんなの聞いたんだよ?」
 この言い方――男は犍陀多が妖怪であることまで知っているのだろうか。噂になるほど、父の秘密はだだ漏れだというのか。もうわけが分からなくなってきた。
「なんだ? お前、自分の親のことなんにも知らないのか?」長い前髪をかき上げて、男は言った。「オレは昔、殲鬼隊に所属してたんだけどよ、オレの隊じゃ犍陀多は伝説になってたぜ。殲鬼隊として活躍してた妖怪がいたってな」
「オレの親父が、殲鬼隊だと……!?」
「ああ。もちろん、そんなことを公にしたら大問題だから、あくまでも陰の隊員っていう扱いだった。うちの隊でも一部の人しか知らなかったって話だ」
 武蔵坊は、故郷の人たちから伝え聞いた父の人物像に思いを馳せた。
 気性が荒い反面、過去の罪を償うためと言っては、困っている人に進んで手を差し伸べるような男だった。ある日突然村を去ったそうだが、まさか殲鬼隊で活動していたとは――
 妖怪だと知られれば、命を狙われる危険もある。それを承知で父は殲鬼隊に加わったのだろう。自分が大滝村を妖怪から守ったことと重ね合わせ、犍陀多はやはり父だったのだと武蔵坊は実感する。
「妖怪が殲鬼隊だなんて、よくそんなこと認められたな。大分昔の話だろ?」
 父が村を去ったのは二十何年も前――宝永山の大噴火が起きて間もない頃のことだ。
「そりゃあ、最初はみんな反対してたらしいぜ。まだ侵蝕人すら現れてなかった時代だからな。でも妖刀がなかった時代でもあったから、貴重な戦力だったのは間違いない。それにうちの隊の隊長は変わった人だったんだ。使えるものはどんどん取り入れるし、最初に妖刀を使い始めたのもうちの隊長だった」
「隊長って、鵺丸じゃないのか?」
 妖刀を扱う殲鬼隊隊長のちょっと変わった人――それを聞いて真っ先に思い浮かんだのは鵺丸だったのだが、それにしては男の話し方が回りくどい。
「オレん所は違ったよ。殲鬼隊ってねぇ……最初は三つの隊に分かれてたんだよ」男は指折りしながら続けた。「近藤こんどう隼人はやとの一番隊。さかき竜眼りゅうがんの二番隊。鵺丸様の三番隊――そんでオレは、榊隊長の二番隊所属だったってわけ」
「なるほどな。じゃあ鵺丸は犍陀多のことを知らないのか」
「さあね。人型の妖怪がいたって話ぐらいは聞いてるんじゃないかな」
「結局バレてんのかよ」
 そう言えば、鵺丸は人のような姿の妖怪を見たと言っていたような気がする。他の妖怪である可能性も無きにしも非ずだが。
「まあ仕方ないさ。元から隠し通すには無理があったんだ」男は苦笑した。「活動中に他の隊と鉢合わせになって、最後は追われる身になっちまった。その後どうなったかはオレも知らないよ。極秘裏に殺されたか、自決したか、はたまたどこかで生き永らえてるか――」
「はぁ……そりゃ残念だ」
 武蔵坊としては生き永らえている説を信じたいところだが、その線は薄いだろう。
 殲鬼隊を追われたとしても、父には大滝村という帰る場所がある。武蔵坊らになにも起きなかったことを考えれば、追う側に出自を嗅ぎつけられたわけでもあるまい。帰ることは十分できたはずだ。
 しかし父は帰って来なかった。彼なりの考えがあったのだとしても、この乱世で息を潜めているのはらしくない。
「いやあ、しかし……こんな所で犍陀多の子に会えるとはね。ちょっと感動しちゃったよ」
「オレも、まさかこんな所で親父の話が聞けるとは思わなかったよ」
 しみじみと言って、少しの間沈黙する。
 周りではしゃぐ者たちの声は、もうそれほど気にはならなかった。
「まあともかく、犍陀多のことがあるから、二番隊は侵蝕人に理解のある人が多いんだ。鴉天狗にはオレしかいないけどな」そう言って、男は手を差し出す。「オレの名は笹野ささの才蔵さいぞうだ。妖怪でも半妖でもいいけどよ……仲良くやろうぜ、武蔵坊」
「おう、よろしくな」
 頼もしげに見つめ合い、武蔵坊は才蔵と握手を交わした。
 秘密にしていたはずなのに、彼は自分の知らないことをこんなにも知っていた。鵺丸の秘密を抱えて塞ぎ込んでいた気持ちが、大分楽になった気がした。

     *  *  *

 山国と言えば信濃だが、越後も多くの名山を有するれっきとした山国である。
 特に南西部にある鉄囲山脈てっちさんみゃくは、八座の山々が渦巻き状に連なる特異な地形となっていて、古くから信仰の対象となってきた。中心の須弥仙岳しゅみせんだけは越後の宝永山とも呼ばれ、山頂に天帝が住むという伝説が残る。
 越後の本城――善見山城ぜんけんざんじょうは、外から四番目の善見山と中心の須弥仙岳の間にある。難攻不落の城に違いないが、外敵の侵攻を受けたことがないために堅固さは未知数。皇国も幕府も手が出せずにいる理由の一つがこれであろう。
 越後大名の吉良きら義秋よしあきはすでに五十代後半であったが、肩幅の広いがっしりした体つきをしていた。幕府に対して敢然と反旗を翻したのだ。彼も一人の豪傑であった。
 義秋の前には二十人程の家臣が、部屋の両脇に並んで座している。
 手前の二人は本庄信繁と新発田しばた晴家はるいえ。どちらもかつては殲鬼隊で活躍していた者で、家臣団の中では最も格が高い。
「さて、大方の事情はすでに聞いておろう」義秋が一同を見渡してから言った。「事件を起こして幕府を追われていた鴉天狗が、我らを頼ってこの越後へやって来たそうだ。鴉天狗の処遇について、皆の意見を聞きたい。信繁、詳しく話せ」
「はっ」
 信繁は報告内容をまとめたであろう巻物を手に取り、鴉天狗の人数、傷病者、主だった人物、伝言などの情報を読み上げた。
 一通り報告が終わったところで、向かい側の新発田が問いを発した。
「鴉天狗は二千は下らない幕府軍を撃退したと聞いている。その程度の兵力で幕府の追撃を逃れるなどあり得ぬことだ。幕府の回し者ではあるまいか?」
「私も最初はそう思ったのだがな……これを見ろ」信繁は顔の火傷を見せつけた。「鴉天狗には妖怪がいる。これはそいつにやられた傷だ。加えて我らと同じ元殲鬼隊の者が鵺丸の他に四人いて、それぞれが妖刀を持っている」
「なるほど……戦力は申し分ないな」新発田は納得したようだった。「妖怪がいるというのは気になるが、それならばあの近藤が放っておくわけがない。それで、信繁よ。お主は鴉天狗を信用できるのか?」
 少し考えてから、信繁は真面目くさった顔で答えた。
「鵺丸は近藤になびくような男ではない。幕府に追われて来たという話に偽りはないと思うが、受け入れるとなると話は別だ。鴉天狗は侵蝕人を庇うために戦を始めたわけだが、これでは妖の下僕になったも同然。鴉天狗を受け入れることはすなわち、その行いを認めることでもある。恥ずべきことではないか」
 新発田が同調するようにうなずいた。殲鬼隊出身の二人にとって、侵蝕人は当然のように斬り捨てるべき存在で、それを保護するなど到底受け入れられないものらしい。他の家臣たちも大方同じ意見だった。
 そんな中で異を唱えたのは、まだ二十にも満たないであろう若者だった。
「信繁殿はなぜそうも侵蝕人を忌み嫌うのですか!? 彼らも邪気が多いだけで、元は私たちと同じ人間だったというではないですか」
 若者の名は甘粕あまかす信忠のぶただ。席は大分後ろの方だが、若くしてこの場に顔を出せるからには、家格はそれなりだろう。それでも、身分も年もかけ離れた信繁に意見するには相当な勇気を必要とする。余程の強い思いがあったに違いない。
 若輩者に意見された信繁は一瞬不愉快な顔をしたが、感情を抑えながら言った。
「そんなことは分かっている。私も奴らが妖怪と同じだとは思っておらん。そもそも侵蝕人への誤解は殲鬼隊内での権力争いに端を発している。政敵に侵蝕人の濡れ衣を着せるなら、邪気に侵されたというより、妖の仲間だとしておいた方がなにかと都合がよいからな」そこまで言って、信繁は鬼のような目で信忠を睨みつけた。「しかし元が人間だったかどうかなど、大した問題ではない。侵蝕人は心が弱いから邪気に付け込まれるのだ。そして人に害なすようになれば、それはもはや妖と大差ない。世のためにも、奴ら自身の名誉のためにも、引導を渡してやるのが道理であろう!」
「心の弱い者は死ねと言うのですか……?」
 一歩も引かない様子の信忠に、信繁は怒りを抑えきれなくなったようだった。
「信忠! 貴様の父――虎泰とらやすは殲鬼隊として妖怪の殲滅に尽力したのだぞ。侵蝕人となった者も少なからず斬ってきた。その息子が侵蝕人を庇ってどうする!?」
「貴方は殲鬼隊としての父しか知らないのです。父は確かに侵蝕人を何人も殺しましたが、彼らを助ける方法はなかったのかと、その時のことをいつも悔いていました」
 信忠が鴉天狗を擁護する理由がこれであった。彼の父はすでに病でこの世を去っているが、侵蝕人を救う術を模索する鴉天狗は、父の遺志を継いでいるように思えたのだろう。
「ほう……虎泰がそのような腑抜けだったとは知らなかったわ。この親にしてこの子ありとはよく言ったものだ」
 しかし信繁の心は少しも揺るがなかった。長年かけて醸成された固定観念によるものか、信忠への反発心によるものかは本人でも分からない。
「言葉を慎まれよ、信繁殿。ここは口喧嘩をする場ではありませんぞ」
 話が逸れそうなところへ割って入ったのが、色部いろべ正成まさなりという男であった。
 彼も家臣団の中では若い方だが、荒ぶる信繁に諫言するあたり、相応の発言力は持ち合わせているらしい。
「鴉天狗の保護は大義名分の上でも悪い話ではありますまい」主に向き直り、正成は意見を述べた。「侵蝕人が元は人であることは、少しずつではありますが庶民にも知られるようになっております。ここで鴉天狗を追い返せば我々は無情者のそしりを受けますが、保護した上で幕府の彼らに対する仕打ちを触れ回れば、民の支持を得ることもできましょう」
 これには信忠をはじめとする数人が賛同したが、当然信繁は黙っていなかった。
「将軍家が途絶えた今、幕府に従う義理はないというのが我々の大義だったはずだ。いまさらそんな回りくどいことをする必要があるものか」
「それだけでは不十分だから言っているのです。幕府に従う義理はないが、手向かう道理もないのが我らの実情」
「道理はある!」威圧するように信繁は声を張り上げた。「殲鬼隊一番隊隊長の立場を利用し、不当に将軍に取って代わった近藤を討ち果たす。将軍の臣下として当然の務めだ」
「だから我々が取って代わると?」正成は鼻で笑う。「同じことではありませんか。もはや幕府の時代は終わったのです。これからは幕府ではなく、民を中心に考えていかねばなりません。幕府にはない徳を示す必要があるのです」
 それからしばしの間、両者の睨み合いが続いた。
 他の者も口を閉ざして考え込むばかり、考えをまとめるにしても頭を冷やすにしても、少し時間を置いた方がよさそうだった。
「ひとまず、鴉天狗を信用してよいという点で異論はないな?」義秋は集会を切り上げることにした。「ならば早いところ、鴉天狗に屋根のある寝床を与えるのがよい。処遇についてはその後で慎重に決めようではないか」
「はっ!」
 その決定に、家臣団は快い返事で応じた。
 一枚岩ではない彼らも、主を慕う心は一つだった。

     *  *  *

 集会が行われた日の夜。善見山城の屋根から飛び立つ一つの影があった。
 その影は、一段あたり六丈約十八メートルはある石垣数段を苦もなく飛び降り、月の影に隠れるようにして林の中へ消えていった。
 見張りは決して少なくはなかったが、なにぶん城が大き過ぎる。誰一人としてそれに気付く者はいなかったようだ。
 林の中では、たった今城を抜け出した者と、それを待っていた者とが言葉を交わしていた。
 月光の忍である。
「ご苦労だったな、木耳きくらげよ。聴こえたか?」
「ええ、バッチリです。一人だけ声が馬鹿でかかったのでね」
 彼らの目的は鴉天狗の処遇に関する情報をいち早く得ること。信繁の動静を探るうちに今日の集会を嗅ぎつけ、昨夜のうちに仕込んでおいたのである。この木耳と呼ばれた忍の異常なまでの聴覚がなければ、到底成せなかった業であろう。報告の中にはひそひそ話の内容まで含まれていた。
「そうか……反対者が多いか」報告を聞いた頭領は言った。「義秋は家臣の意見を重んじる男だと聞いている。余程のことがなければ覆らぬだろう。このままではまずいな」
「それでは……」
「うむ、もう一仕事必要になるな」
 口元を覆う布で表情はうかがえないが、頭領十六夜はこの状況を楽しんでいるように見えた。
 思わしくない情勢を諜報、工作活動により覆すことは、元来将軍家に仕えていた彼らの最も得意とするところである。
 越後の地に動乱の嵐が吹き荒れようとしていた。

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